ニッポンの三大祭り

【三大からくり人形祭り】愛知「亀崎潮干祭」・岐阜「春の高山祭」・茨城「日立さくらまつり」:山車をステージに圧巻の演技と曲芸を披露

イベント 文化 地域

日本全国に数ある祭りの中から、ジャンル別の御三家を取り上げるシリーズ企画。今回は、山車(だし)の上で「からくり人形」の芸能が繰り広げられる祭りを紹介する。

「山車からくり」が神様も人も魅了

日本各地には神を迎える「山」が移動式に発展した「山車」を曳(ひ)く祭りがある。その絢爛(けんらん)豪華な山車の上で、精巧なからくり人形で芝居を上演し、神様に奉納するのはいかにも日本らしい祭りだ。

「山車からくり」の多くは3層からなり、一番下で演奏するお囃子に乗って、最上層の舞台で芝居が展開される。演じる人形は中層の操り手が手足や口でひもを引いて巧みに操作する。

芸を演じるからくり人形は、大陸から伝わった機械仕掛けの人形から発展したもの。1662(寛文2)年に竹田近江(おうみ)が大阪で創設した「竹田からくり芝居」が元祖といわれている。その技術は上方で人形浄瑠璃に取り入れられた一方、中部地方では山車人形と結び付いた。

竹田一座による「船弁慶」の上演シーン 「摂津名所図会」国立国会図書館所蔵
竹田一座による「船弁慶」の上演シーン 「摂津名所図会」国立国会図書館所蔵

山車からくりを誕生させたのは、京都の人形師・玉屋庄兵衛(しょうべえ)で、1733(享保18)年の「名古屋東照宮祭」(愛知県名古屋市中区)の時。数十本のひもや滑車を利用して、長い首を自在に動かして羽ばたく鶴と、中国の童子である唐子(からこ)が拍子に合わせて祭りばやしの鉦(かね)を打つからくり芝居を新設の山車で上演した。この芸が評判を呼び、庄兵衛は尾張に定住して技術を伝えた。

江戸後期から尾張各地の人々は、競うように山車からくりを生み出した。そこに宿る神様に地域の繁栄や家族の無事を願って上演を奉納し、自分たちも楽しんだ。現在は愛知県を中心に岐阜県、滋賀県から関東、北陸地方にかけておよそ300台を見ることができる。ここでは特に著名なからくり人形の祭りを紹介する。

愛知「亀崎潮干祭」

(半田市、5月3・4日)

山車が一斉に海辺に曳き下ろされる
山車が一斉に海辺に曳き下ろされる

知多半島の付け根に位置する亀崎は小さな港町。普段はのどかだが、神前(かみさき)神社の春季大祭「亀崎潮干祭(かめざきしおひまつり)」の日は、海運で隆盛を極めた江戸時代の活気を取り戻す。登場する5台の山車からくりは、小回りが利く内輪や素木(しらき)の彫刻などを特徴とする「知多型山車」の代表作。名古屋東照宮祭をルーツとして300年余にわたって継承されており、名匠の作品が多く残る愛知県でもとりわけ由緒がある。

神社の門前には祭神・神武天皇が上陸したという潮干の浜が広がる。この伝説にちなんだ「海浜曳き下ろし」では山車5台が浜辺を練って、豪快に水しぶきを上げる。その後、広場や神社前に整列して、次々とからくり芝居を上演する。

本物の雑技さながらの華麗な曲芸
本物の雑技さながらの華麗な曲芸

「唐子遊び 逆立ち」は唐子2体が台を回転させ、その上でもう1体が左手1本で逆立ちしながら右手で鉦をたたくというアクロバティックな動きが見もの。現在の人形は平成に入って制作したものだが、1842(天保13)年の人形の復元で、江戸期のからくり技術の高さに驚く。

「綾(あや)渡り 桜花唐子あそび」は、唐子2体が桜の枝につるされた棒を次々と渡る芸当を見せる。体を前後にゆすり、その反動を利用して手、足を交互に引っ掛けて飛び移る仕掛けだ。バランスを取りながら最後まで無事に渡り切れるのか、観客は手に汗を握って見守る。

空中ブランコのようでハラハラさせられる「綾渡り」
空中ブランコのようでハラハラさせられる「綾渡り」

人形遣いのからくり人形が「船弁慶」のからくり芝居を見せるという設定の「傀儡師(かいらいし)」は、驚くほどの精巧さ。傀儡師は胸に抱えた箱の上でさらに小さな唐子人形を操った後、箱の中へと上半身を折りたたまれて舞台から退場。すると場面は変わり、義経と弁慶が現れて劇中劇が始まる。竹田近江一座の演目を再現したもので、“生きた竹田からくりの化石”ともいわれる。

人形遣いが子どもに人形劇を見せるという構成で、いわば“からくり人形による劇中劇”
人形遣いが子どもに人形劇を見せるという構成で、いわば“からくり人形による劇中劇”

岐阜「春の高山祭」

(高山市、4月14・15日)

いずれの屋台も精緻な彫刻が施され、「動く陽明門」とたたえられる
いずれの屋台も精緻な彫刻が施され、「動く陽明門」とたたえられる

江戸時代の古い街並みが残る飛騨高山は中部を代表する観光地。高さ8メートル、3層の絢爛豪華な屋台の行列が練り歩く高山祭にはとりわけにぎわう。祭りの起源は飛騨の大名・金森氏の時代(1585-1692年)で、1718(享保3)年に始まった屋台上でのからくり芝居が呼び物だ。

春は日枝神社の「山王祭」、秋は櫻山八幡宮(はちまんぐう)の「八幡祭」が正式名称。旧高山城下町の南北の鎮守で、それぞれの氏子町から屋台が曳き出される。八幡祭の屋台は11台あり、そのうち1台がからくり人形を乗せる。山王祭は全12台、うち屋台からくり3台が各日午前と午後に御旅所前広場で順番に芝居を奉納する。

自在に物を握る童子人形。玉手箱をのぞき込み、顔を上げると翁(おきな)に
自在に物を握る童子人形。玉手箱をのぞき込み、顔を上げると翁(おきな)に

山王祭の3演目は、目にも止まらぬ早替わりが見せ場。幕開きの「三番叟(さんばそう)」は6~9人の操作により、童子が黒い翁面をかぶる早業をはじめ、扇子をつかんでは広げて舞うなど複雑な動作を見せる。続く演目「石橋(しゃっきょう)」は、あでやかに舞う美女が一瞬にして獅子となり、踊り狂ったかと思えば再び元の姿に戻る。最後の「龍神」は唐子が運んできたつぼが割れると、中から龍神が現れて荒々しく舞う。

女性がくるりと身をひるがえして獅子舞に変身
女性がくるりと身をひるがえして獅子舞に変身

つぼの中から紙吹雪と共に赤ら顔の龍神が飛び出すクライマックス
つぼの中から紙吹雪と共に赤ら顔の龍神が飛び出すクライマックス

御旅所を埋め尽くす観客は見事なからくり演技に拍手喝采。祭りには1日に十万人もが詰めかけ、近年は警察官が多言語で通行整理に当たるほど外国人のファンも多い。

呼び物の屋台からくりに観衆が押し寄せる
呼び物の屋台からくりに観衆が押し寄せる

茨城「日立さくらまつり」

(日立市、4月上旬の土日)

桜のトンネルから頭が飛び出すほど巨大な山車
桜のトンネルから頭が飛び出すほど巨大な山車

茨城県北東部・日立市で花見シーズンに開かれるさくらまつりは、「風流物(ふりゅうもの)」と呼ばれるからくり人形の山車を目当てに2日間で延べ55万人が訪れる(2024年は4月6-7日)。高さ15メートル、5段の舞台を持つ巨体は5階建てのビルのようだ。正面の御殿が次々と開くと、幅8メートルの大舞台が登場する。人形の仕掛けのために乗り込む男たちは40人近くもいる。

表情を変えたり、矢を放ったりするなど精巧なからくり
表情を変えたり、矢を放ったりするなど精巧なからくり

最上段の天守閣がせり上がると、各段の人形が「源平盛衰記」「忠臣蔵」「花咲爺」といった時代物やおとぎ話を演じ始める。フィナーレでは武者人形が一斉に華やかな女人形に変身して、総踊りで観客を魅了する。

その芝居が終わると山車は180度回転し、後部の「裏山(うしろやま)」で別の芝居を上演する。実に大掛かりな回り舞台だ。

そろいの赤い傘を手に踊る人形たち
そろいの赤い傘を手に踊る人形たち

山車からくりは日立市宮田町の4地区に1台ずつ伝わり、年代わりでさくらまつりにお目見えするのだが、7年に一度、氏神の「神峰(かみね)神社大祭礼」では4台が一斉に繰り出す(次回は2026年5月3-5日を予定)。大祭礼は1695(元禄8)年に水戸藩主・徳川光圀の命で付近一帯の総鎮守となった頃に始まり、享保年間(1716~36年)に人形芝居が加わった。地域が出来栄えを競い合った山車は大きく華美に進化して、現在の日立風流物が生まれたという。

100人以上で動かし、方向転換も迫力満点
100人以上で動かし、方向転換も迫力満点

※祭りの日程は例年の予定日を表記した

写真=芳賀ライブラリー

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