モノクローム巡礼

秩父・観音院の大岩壁と鷲窟磨崖仏:大坂寛「神のあるところへ」 石の章(8)

Images 文化 美術・アート

磐座(いわくら)や神奈備(かんなび)などと呼ばれ、神が宿るとあがめられてきた自然物を写真家・大坂寛がモノクロームカメラに収める。今回は、岩壁に無数の仏を祀(まつ)る、埼玉県西部の霊場をお届けする。

「十万八千仏」が並ぶ岩肌

巡礼とは、聖地や霊場を参拝して巡る旅。仏教の巡礼者は札所で御利益を祈り、参拝の証しに札を納め、冊子に御朱印を押してもらい、また次の札所を目指す。

もともと神への祈りの場であった山や巨岩、滝などが修験道の霊場となり、仏教と融合し、巡礼者が訪れるようになった。仏教が盛んになった平安から鎌倉時代には、特に信仰を集めた観音菩薩(かんのんぼさつ)を祀る寺が札所となった。歴史が古く、広く知られる秩父札所34観音霊場は約100キロと比較的コンパクトな巡礼路で、江戸から近いこともあり御利益を求める人でにぎわった。

岸壁を背にした観音堂 撮影=大坂 寛

岸壁を背にした観音堂 撮影=大坂 寛

秩父札所31番の鷲窟山(しゅうくつざん)観音院の山門をくぐると、296段の石段が続く。

息を継ぎながら石段を上り切ると三方を岩に囲まれた境内が広がり、前方に巨大な岩壁に抱かれるように観音堂が立つ。この岩壁は、約1700万年前の地層の砂岩でできており、堆積した時の水の流れの跡を示す薄い層「斜交葉理(しゃこうようり)」が残るそうだ。

堂の左奥を落ちる「清浄の滝」は落差約30メートルあるが、水量は乏しい。かつてはここで修験者が滝行をしていたというから、もっと水量があり流れも激しかったと思われる。

滝の左手の岩壁には18センチほどの仏が無数に浮き彫りされた「鷲窟磨崖仏」が続く。地中にも数段の磨崖仏が残っていて、これらを合わせて俗に「十万八千仏」と呼ぶ。彫られた時代は不明だが、室町時代ごろではないかと推定され、さらには弘法大師が一夜にして彫ったという伝説も残る。

神さびた境内にたたずんで、巨大な岩壁を眺めていると、古代より連綿と続く祈りの場の力と尊さを感じてしまう。

滝つぼにしずくが落ちる 撮影=大坂 寛

滝つぼにしずくが落ちる 撮影=大坂 寛

鷲窟山観音院

  • 本尊:聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)
  • 住所:埼玉県秩父郡小鹿野町飯田観音2211

標高698メートルの岩峰・観音山の中腹に立つ曹洞(そうとう)宗寺院。伝承では、鎌倉初期の武将・畠山重忠(はたけやま・しげただ)が同地で狩りをした折、鷲の巣から観音像を見つけたのが寺の始まりとされる。古来の修験道の霊場であり、秩父札所で随一の難所といわれた。

石段を上るだけで厄よけの御利益があるという 撮影=大坂 寛

石段を上るだけで厄よけの御利益があるという 撮影=大坂 寛

磨崖仏を彫ったと伝わる弘法大師の像 撮影=大坂 寛

磨崖仏を彫ったと伝わる弘法大師の像 撮影=大坂 寛

滝の下には修験者を守護するという不動明王が祀られる 撮影=大坂 寛
滝の下には修験者を守護するという不動明王が祀られる 撮影=大坂 寛

取材・文・編集=北崎 二郎

バナー写真:観音院の鷲窟磨崖仏 撮影=大坂 寛

自然 写真 秩父 埼玉県 巡礼 観音菩薩