鎌倉「天園ハイキングコース」で自然・史跡散策:新緑や紅葉に憩い、“岩の文化”に触れる
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街中とは一味違う古都の景観
南に海が広がり、三方を丘陵に囲まれた鎌倉は、800年前に政治の中心地だったとは思えないほど平地が極端に狭い。その分、市街近くからハイキングコースが延びているので、気軽な自然散策には絶好の地といえる。
お薦めは町の北側から、鎌倉の最高峰・大平山(おおひらやま、標高159メートル)の尾根筋に続く約4キロ、所要3時間の「天園ハイキングコース」。特に鎌倉五山最高位の建長寺からスタートし、通称「鎌倉アルプス」の山並みをたどり、花の寺・瑞泉寺に下るルートは古都らしい景色を満喫できる。
道沿いには鎌倉時代の遺構で、岩肌に横穴を掘って墓とした「やぐら」が点在し、古都の街並みや富士山を望むビュースポットもある。豊かな自然の中を散策し、史跡や絶景と出会うのは、寺社巡りとは一味違う鎌倉の楽しみ方だ。
建長寺境内から十王岩へ
天園ハイキングコースの登山口はいくつかあるが、せっかくなら古刹(こさつ)・建長寺から訪ねたい。境内最奥にある250段のきつい石段を上ると、寺の鎮守「半僧坊大権現(はんそうぼうだいごんげん)」にたどり着く。ここからは、中国禅宗の建築様式にならった一直線に並ぶ伽藍(がらん)を一望できる。
さらに奥へと進むと、建長寺裏山「勝上献(しょうじょうけん)」の頂上に出る。境内と鎌倉市街を眼下に収め、一息ついたらハイキングコースに合流しよう。
東へ向かって5分ほど歩くと、左手の一段高い場所に風化した石像がある。「十王岩」といって、古くはやぐらの壁に、冥界で亡者を裁く閻魔王(えんまおう)らが刻まれていたという。今では墓自体は崩壊し、十王のうち3体の像が辛うじて残るのみ。岩の上からは正面に鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の参道・若宮大路が一直線に海まで延び、左右に広がる街並みを見渡せる。
鎌倉独自の岩を掘り込んだ墓
十王岩のすぐ先には、知らないと見落としてしまいそうな細い枝道が下っている。その先の茂みにやぐらが潜んでおり、入り口の天井部分にはかすかに赤い線が何本も並ぶ。木造建築の屋根や庇(ひさし)を支える部材・垂木(たるき)を模したとされ、「朱垂木(しゅだるき)やぐら」と呼ばれる。
鎌倉時代は町中での埋葬が禁止されたため、岩質が軟らかい山地を削り、木造の納骨堂を模した横穴墓が盛んに造られた。今でも鎌倉市内にやぐらは、1000基以上が残るという。

天井にかすかな紅柄(べにがら=ベンガラ)の残る朱垂木やぐら 写真=原田寛
ハイキングコースに戻ってさらに進むと三差路があり、直進方向は天園、右へ下ると覚園寺に至る。分岐の右前方にある「百八やぐら」は、鎌倉で最大規模のやぐら群。名称は仏教の百八煩悩になぞらえて数の多さを表したのだろうが、実際には180基ほどある。壁面や内部には仏像や梵字(ぼんじ)、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)など、さまざまな装飾が施されている。

百八やぐらでは、鎌倉で見られる仏教の意匠の多くを目にする 写真=原田寛
絶景広がる天園から石の名庭へ
さらに上り下りの険しい道を進むと、最高地点の大平山に到着する。その先の天園は峠の休憩所であり展望スポット。安房、上総、下総、武蔵、相模、伊豆の6つの国を望めることから古くは「六国峠」と呼ばれていたが、日清・日露戦争で活躍した海軍大将・東郷平八郎が「天園」と名付けたといわれている。
天園はすぐ下がイチョウ林の谷で、秋には新雪を頂く富士山を背景に雄大な黄葉が広がり、落ち葉を踏み締めながら下山するのが紅葉狩りルートとして人気だ。本道をさらに南へと進むと、瑞泉寺裏山に「北条首やぐら」がある。鎌倉幕府の滅亡時、自刃した北条一族の首を残党が山中に隠して供養したといわれている。

山中にひっそりと祀(まつ)られている北条首やぐら 写真=原田寛
ゴール地点の瑞泉寺に出たら、せっかくなので境内に立ち寄ろう。早春の梅に始まり晩秋の紅葉まで、一年を通じて目を楽しませてくれる花の寺だ。
本堂背後には、開山の夢窓疎石(むそう・そせき)によるユニークな庭が残されている。優れた作庭家でもある名僧は、岩盤を削るだけで海に見立てた池などを創造し、禅の庭に必要な要素をすべて表現。武家屋敷に設けられた書院庭園の起源ともされる。やぐらと共に、鎌倉の“岩の文化”を象徴する史跡といえる。

鎌倉時代から残る瑞泉寺庭園は国指定史跡名勝。見る者を圧倒する迫力だ 写真=原田寛
写真・文=原田寛
バナー写真:秋の天園峠から望む富士山と紅葉 写真=原田寛



