先人の智恵のかたまり:京町家ガイド【構造編】

京町家は洗練された外観だけでなく、温度や湿度の調整機能や耐震構造など、住居としての機能性においても非常に優れている。平安時代から千年の時をかけて築き上げられた京町家の構造とは—。

「平安初期の町家は“店屋(まちや)”で、市で物を売るための小屋でした。売買施設に居住の機能が加わったものが京町家のルーツです」

そう教えてくれたのは、住まいの工房と京町家情報センターで代表を務め、建築家として多くの京町家を再生している松井薫さん。京町家の構造は、都の人々の暮らしと町づくりと密接にかかわりながら変化し、次第に統一されていったそうだ。昭和251950)年以前に、伝統木造構法によって建築された京町家は約4100軒(京都市都市計画局「京町家調査」)が現存している。それらは、千年の時をかけて、先人が築き上げた知恵の結晶と言っても過言ではない。

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右奥に見える「ばったり床机」を下し、品物を並べれば商売が始まる

京町家のつくりは究極のサステナブル

江戸時代中期に完成した京町家は、当然ながら自然界の材料だけを使用して作られていた。面白いのは、建材となる植物のサイクルに合わせて、それぞれの部品を交換できるように工夫していたということ。

「ワラは1年で育つので、1年ごとに交換する。紙の原料となるミツマタやコウゾ、竹は3年たてば材料に使えるので3年で更新。育つのに数十年かかる木は、長く使えるように組み替えや補強がしやすいように用いられました」(松井さん)

廃棄処分する時は、竈(かまど)の燃料として利用し、灰は近隣の農家が肥料とした。生態系からはみ出すことなく循環する京町家は、究極にサステナブルな住宅なのだ。

坪庭から眺める京町家

町家は湿度調整機能も非常に優れている。

 「室内の湿度は、1年を通して5060パーセントくらいに保たれます。屋外が湿度80パーセントになる時でも、過ごしやすい室内環境を作るのです。町家の真壁造り(柱を見せて土壁を塗る仕上げ)の湿度調整機能は、他の工法に比べても非常に優れています」(松井さん)

 梅雨の頃には、障子紙が重くなるほどに水を吸うし、柱1本につきビール瓶1本分の水分をやりとりするそうだ。まるで、家全体が呼吸しているように思えてくる。

真壁造りと障子によって湿度をコントロールしている

光と風を操る町家の科学

採光と通風のための工夫も随所に施されている。夏の太陽を遮り、冬は座敷の奥まで光を取り込む庇(ひさし)の深さ。空気を断熱材として利用する、縁側などの中間領域。季節に合わせて室内環境を調整できる装置が埋め込まれているのだ。

障子の外に縁側を設けることで断熱効果を生む

天窓はトップライトとして機能すると同時に、室内の熱を外に逃がす役割も果たしている。坪庭もまた、室内環境に一役買っている。通りで打ち水をすれば、坪庭との間に生じる小さな気圧差によって、建物の内部に空気の流れが生まれ、中庭では空気を引っ張り上げる「煙突効果」も発生させる。そのおかげで、真夏の夕刻、表に水を打った京町家には、涼やかな風が舞い込んでくるのだ。

光を取り入れる天窓からは、屋内にこもった熱も放出される

力を上手に逃がす、耐震・免震構造

京町家は柱梁(はしらはり)に加えて、安定させるための貫(ぬき)を通した軸組を並べて構成される。鳥居が手前から奥に向かってズラリと並び、屋根を乗せている状態をイメージしてもらうと分かりやすいだろうか。

柱が基礎の石に結合されていない免震構造

格子、障子、土壁を作るために竹を交差して編む竹小舞(たけこまい)から、大きな柱梁の軸組に至るまで、京町家は大小の木組みでひたすら縦横に組み上げられる。斜材はほとんど用いない。建物は、基礎の石に緊結(きんけつ)せず、置かれているだけである。

現代の建築と比べて脆弱(ぜいじゃく)に思われるかもしれないが、実は力に対抗しない分、京町家は震動をしなやかに受けとめることができる。実際に、震度4までの地震なら基礎石と柱は外れないという。

「中規模の地震なら、固いけれど脆(もろ)い土地塗りの壁が揺れを受けとめます。それ以上の大地震になると木組みの接合部と通し貫が揺れ、木の食い込みによってエネルギーを分散吸収して耐えます」(松井さん)

さらに大きな地震のときは、建物全体が基礎石から離れて飛び上がり、エネルギーを遮断する免震構造の働きもする。中地震には剛構造、大地震には柔構造、巨大地震には免震構造。京町家は、一つの構造体に3段階の耐震機構を持っているのだ。そんな京町家をはじめとする伝統木造構法が持つ耐震性は、現代において再び評価されつつあるという。

斜材を使用せず、柱と梁によって構成された屋内は整然として美しい

社会と自然、その間を行き来する          

「うなぎの寝床」と言われる通り、京町家は間口に対して奥行きが深い。江戸時代の京都では、通りに面する間口の幅で税金が掛けられる「間口税」があったため、そうした構造が増えたという。

間口は狭いが奥が長い京町家

店の間のある通り側は社会に接しているが、奥の座敷に面する坪庭は自然に接している。通り側にあるのは、社会の決まりごとを守る、時計に沿った生活。庭側にあるのは、時計の針を気にしない、自然のままの暮らしである。

「京町家の暮らしには、通り側にある社会的な時間と、庭側にある自然の時間の両方が流れています。その間を行ったり来たりすることで、われわれの社会が、自然の恩恵によって成り立っていることを常に意識できるんです」(松井さん)

仕事場と居住空間が一緒の京町家。坪庭が2つを切り替える役割を持つ

障子を透過するやわらかな光、土壁と柱がつくる趣、磨き込まれた床、夏にはひんやりと気持ちいい畳。自然素材の心地よさに身を委ねていると、いつもは意識していない音や光に気付く。

裸足で過ごせる畳の部屋には、障子が作り出す柔らかな光が良く似合う

「今のように変化が激しい時代だからこそ、京町家という住環境によって五感を磨き、流されずに生きる軸足を作る。そうした発想の方が、最先端だと思っています」(松井さん)

京町家で過ごす機会があるなら、庭の見える場所で一人静かに時を過ごしてみてほしい。表通りから隔絶された庭は、まさに“市中の山居(さんきょ)”。眺める位置や角度、日の陰りによって変わる庭の表情を味わううちに、自然と五感が研ぎ澄まされていく。

坪庭を2階から見下ろすと、屋内の空気を循環させる役割が感じられる

取材・文=杉本 恭子
写真=浜田 智則

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