京都・大徳寺本坊:国宝の唐門や狩野探幽の天井画を特別公開

・境内に20以上の塔頭(たっちゅう)がある臨済宗大徳寺派の大本山
・国宝の方丈と唐門(からもん)に加え、歴史ある建築、庭園が鑑賞できる
・狩野探幽(たんゆう)の天井画、障壁画など貴重な寺宝の数々

秀吉が信長の霊を弔った大寺院

大徳寺(京都市北区)は臨済宗大徳寺派の大本山。市営地下鉄烏丸線「北大路駅」からバスで5分ほどの場所に、京都の寺院でも有数の敷地を構える。境内に龍源院、黄梅院、真珠庵といった塔頭(小院や別坊のこと)が多数あるのが特徴で、それらの中核となるのが大徳寺本坊である。

北大路通沿いの南門前。すぐ近くにはK'LOOPバス 「大徳寺」と京都市営バス「大徳寺前」の停留所がある

正和41315)年に、大燈国師(だいとうこくし)の名で知られる宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が開創。後醍醐天皇(1288-1339)や花園天皇(1297-1348)の帰依によって栄えたが、火災や応仁(おうにん)の乱(1467-1477)などで一時荒廃する。それを、とんち話でも知られる、型破りな禅僧の一休宗純(1394-1481)が復興した。

豊臣秀吉は1582年、本能寺の変で倒れた織田信長の葬儀を大徳寺で盛大に行い、自らが後継者であることを天下に知らしめた。一周忌には菩提(ぼだい)を弔うために総見院を造り、併せて寺領を寄進している。それを契機に、前田利家や細川忠興(ただおき)ら戦国武将によって、境内に多くの塔頭が建立された。

江戸時代初期には、元住持だった沢庵(たくあん)和尚が紫衣事件によって一時流罪になる。しかし、3代将軍の徳川家光が沢庵を尊崇したことで名誉を回復。以後は、多数の塔頭や庵(あん)、膨大な寺領を誇った。明治維新後に多くを失ったが、現在も広い敷地を維持し、2つの別院と22の塔頭が残る。

大型バスの駐車場がある東側の総門

通常は公開されていない本坊

大徳寺の境内は自由に立ち入ることが可能で、厳かな雰囲気の中を散策すると心が癒される。一番歴史の長い塔頭の龍源院、大友宗麟(そうりん)が建立した瑞峯院、細川家ゆかりの高桐院、枯山水庭園が有名な大仙院などは見学できるが、多くの塔頭や本坊は一般参詣を受け付けていない。特別公開時のみに拝観できる本坊内を、この稿では紹介したい。

境内を散策する観光客の姿

大徳寺本坊は中国から伝わった禅宗の建築様式に倣い、南から勅使門、三門、仏殿、法堂が一直線に並び、全てが重要文化財に指定されている。その奥には台所と僧侶の居住場所となる庫裡(くり)があり、国宝の方丈と唐門、特別名勝の方丈庭園へとつながる。

一般参道からも見ることができる重要文化財の勅使門

本坊内には、江戸初期の天才絵師・狩野探幽の作品が多く所蔵されている。法堂の天井では、探幽作の「雲龍図」がにらみを利かせる。「天下一の鳴龍(なきりゅう)」ともいわれ、勇壮な姿をした龍の真下で手をたたくと、「ピシシシシシッ」と鳴き声のような音が堂内に響く。

探幽が35歳の時に描いたとされる雲龍図

天井画のモチーフに龍が多いのは、水神の象徴を描くことで火よけになると考えたからだ。同じ理由で、法堂の壁には波連子(なみれんじ)と呼ばれる、水の流れを表現した美しい透かし彫りが施されている。

上部の欄間が火よけを意図する波連子

方丈には、探幽の描いた水墨画の襖絵(ふすまえ)が84面も残されている。中央に位置する室中(しっちゅう)には、16面に描かれた「山水図」がある。余白を大胆に使い、空間的な広がりを表現した。

方丈(国宝)の本堂にあたる室中に収まる山水図

墨の濃淡によって奥行きが表現されている

国宝の方丈と唐門、禅僧の生活を眺める

方丈建築は、南側に3室、北側に3室の計6室から構成されるのが一般的。しかし、大徳寺本坊の方丈は、南側に4室、北側に4室の、計8室という珍しい造りである。

大燈国師は、「私の墓所として別寺院を建てる必要はない」という遺言を残している。そのため、本坊内に「木造大燈国師坐像(ざぞう)」を祀(まつ)る雲門庵(うんもんあん)を設け、方丈に前室を2つ用意したのだ。

大燈国師の塔所である雲門庵

特別名勝に指定されている方丈庭園は、砂紋(さもん)によって水の流れを表現する枯山水。その南側にある唐門は国宝に指定され、秀吉が贅(ぜい)を凝らして造営した聚楽第(じゅらくだい)から移築したと伝わる。軒の唐破風(はふ)下には、豊臣家の家紋「五七桐紋」の装飾金具が施されている。

方丈庭園は、国の特別名勝および史跡に指定される。左奥が国宝の唐門

唐門には左右に控える阿吽(あうん)の唐獅子など、至る所に施されている彫刻が美しい。一日中見ていても飽きないという意味で、「日暮門(ひぐらしもん)」という別称も持つ。

方丈の外側から見た唐門

破風の下には、至るところに豊臣家の家紋が見られる。中央の唐獅子の後ろにいる、鼻の長い生き物が獏(ばく)で、左側の白い顔に鋭い牙を持つのが蜃(しん)

本坊内では、他にも貴重な品々に出会える。方丈と庫裏をつなぐ空間に何気なく置かれているのは大徳寺大茶会の時に使用された茶釜。秀吉が催した同茶会は、自身の関白就任祝いとも信長の追悼ともいわれる盛大なものであった。その傍らにある応接セットは、大正天皇の皇后である貞明皇后が参詣される際に用意したものだという。

天正13(1585)年の大徳寺大茶会で使われた茶釜

貞明皇后のために準備された応接椅子と机

方丈の西にある庫裏(くり)に入ると大きなかまどが目を引く。年に1回、1122日(大燈国師の命日)の法要では、これを使って7升の米を炊くという。

庫裏にある大かまど

廊下で天井を見上げると机が収納されていて、これを下ろして食事を取るという。禅寺らしい合理的かつ実用的な造りである。

歴史を感じさせる寺宝を眺めながら、寺で修行を積む僧侶らの現在の生活も実感できる。観光客用にあまり手を入れていない、通常は非公開の寺院ならではの面白みであろう。境内を散策するだけでも魅力ある大徳寺だが、本坊や塔頭の特別公開の日程を調べておくことをおすすめしたい。

修行僧の雲水が生活していた部屋。天井には机が収まっている

2018 大徳寺本坊 特別公開

  • 所在地:京都市北区紫野大徳寺町53
  • 公開内容:方丈(国宝)、狩野探幽筆 方丈障壁画(重要文化財)、方丈庭園(特別名勝・史跡)、唐門(国宝)、長谷川等伯筆「羅漢図」
  • 公開期間:201810月5日(金)~ 1028日(日) ※14日は拝観休止、21日は1130受付終了、27日は1300受付開始
  • 公開時間:午前9時30分~午後4時(受付終了)
  • 拝観料:大人1000円、中高生700円、小学生以下無料(保護者同伴)

写真=黒岩 正和(96BOX
取材・文=藤井 和幸(96BOX
(バナー写真:法堂にある探幽作の雲龍図)

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