新1万円札の“顔”、渋沢栄一の故郷へ(1):深谷・渋沢栄一記念館

2019年4月9日に発表された新紙幣のデザインで、1万円札に肖像が採用された渋沢栄一。「近代日本経済の父」「公益の追求者」と呼ばれる人物の生誕の地、埼玉県北部の深谷市を訪ね、ゆかりの地や関連施設を巡る。

2024年度上期から発行が始まる新1万円札の顔となる渋沢栄一(1840-1931)。500社以上の企業設立に関わった人物で、近年は600以上の社会福祉公共事業に尽力したことでも広く知られるようになった。

出身地である埼玉県深谷市は、新紙幣デザイン決定を受けて盛り上がりをみせている。生誕地の市内北部の血洗島(ちあらいじま)付近には、栄一ゆかりの史跡や施設が多くあるのだ。貴重な写真や資料を数多く展示する「渋沢栄一記念館」(深谷市下手計)では、決定直後の1カ月だけで、来場者数が前年の年間合計を上回ったという。

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重厚な意匠の渋沢栄一記念館は、地域の公民館を兼ねている
重厚な意匠の渋沢栄一記念館は、地域の公民館を兼ねている

正面入り口には「祝 新1万円札」という横断幕が飾られていた
正面入り口には「祝 新1万円札」という横断幕が飾られていた

故郷・深谷が育んだ小さな体と大きな心

建物内は左側が渋沢栄一記念館の展示室で、他には八基(やつもと)公民館の多目的室や談話室、図書室などが入る複合施設となっている。

記念館のエントランス。入って左側(写真では左奥)が展示室になっている
記念館のエントランス。入って左側(写真では左奥)が展示室になっている

入館前にぜひ、建物の北側に回って見てほしいのが、台座も含めて5メートルもある巨大な「渋沢栄一像」。視線の先には、少年時代の栄一が幾度も目にした赤城山(群馬県)方面の風景が広がる。実際の栄一は、身長150センチちょっとの小柄な人物だったそうだが、人としてのスケール感、功績の大きさは「巨人」と呼ぶにふさわしい。来館の記念に、巨大な栄一と記念撮影してみてはどうだろう。

記念館北側で赤城山を見つめる「渋沢栄一像」
記念館北側で赤城山を見つめる「渋沢栄一像」

栄一の生家は畑作や養蚕、染料となる藍玉の製造販売などを営む豪農であった。7歳になると、いとこの尾高惇忠(おだか・じゅんちゅう)の下で論語や歴史を学び、家業を手伝って商才を磨いていく。20歳を過ぎ、農閑期に江戸の儒者・海保漁村の塾と北辰(ほくしん)一刀流の千葉道場に通うようになると、尊王攘夷(じょうい)思想にのめり込んだ。

23歳の時、高崎城の乗っ取りや横浜異人館の焼き打ちを企てた。計画は未遂に終わったが、嫌疑を避けるために京都に逃げ、江戸で縁故があった一橋徳川家に仕官。1866年に一橋(徳川)慶喜が将軍になったことで、幕臣となる。1867年から慶喜の弟・徳川昭武(あきたけ)の仏国留学に随行し、欧州各国も視察。帰国後は海外経験を買われ、明治政府で日本の近代化を推進する。30代半ばに民間人に戻ると、銀行家、起業家として実業界をリード。多くの社会福祉・教育事業にも尽力し、91歳の天寿を全うした。

偉大な功績が身近に感じられる展示

激動の生涯を紹介する展示室では、解説員が常駐し、時間が合えば見学をアテンドしてくれる。展示資料や写真について詳しく説明を聴くと、栄一の偉業への理解が一層深まる。展示物の中でも、青春期を過ごした地元・深谷にゆかりのものが興味深い。

天井が高く、広々とした展示室。解説員が無料で応対してくれるので、予備知識が少なくても十分楽しめる。展示室内は撮影禁止だが、特別に許可を得た
天井が高く、広々とした展示室。解説員が無料で応対してくれるので、予備知識が少なくても十分楽しめる。展示室内は撮影禁止だが、特別に許可を得た

1862年、22歳の時に作成した藍玉製造農家の番付「武州自慢鑑 藍玉力競」は、後に実業家として活躍する栄一のアイデアマンぶりを示すものだ。自らが行司役を務め、地域の農家が育てた藍の出来を相撲の番付に見立てて「大関」「関脇」「前頭」と格付けしたのだ。昇進を目指して、農家が競い合い、知恵を絞り、翌年の品質と収穫量を向上させようという狙いだ。栄一は当時から、良質の藍玉を加工製造することで利益を増やし、村全体、地域全体が藍の産地として力を付け、豊かになることを考えていたという。

中央左下が「武州自慢鑑 藍玉力競」。中央右の写真が、渋沢に論語を教えた尾高惇忠
中央左下が「武州自慢鑑 藍玉力競」。中央右の写真が、渋沢に論語を教えた尾高惇忠

尊王攘夷を企てた時の決起文「神託」も必見だ。書いたのは尾高惇忠。後に富岡製糸場の初代場長として生糸生産の西洋化を推進した人物とは思えない、外国人排斥をあおる過激な言葉が並ぶ。この計画は未遂に終わったのだが、熱い文章からは使命感や正義感があふれ出し、その後の2人の活躍を予見させる貴重な資料である。

一番右が、惇忠がしたためた「神託」。徳川慶喜の書やフランス随行時の貴重な写真などが飾られる
一番右が、惇忠がしたためた「神託」。徳川慶喜の書やフランス随行時の貴重な写真などが飾られる

設立に関わった会社、力を注いだ社会福祉・国際親善活動の写真も数多く展示される。栄一が提唱する「道徳経済合一説」について語った肉声を収めたレコードも飾られ、2階に設置されたプレーヤーで音源を聞くことができる。

学芸員で館長補佐を務める馬場裕子さんは、新紙幣をきっかけに多くの人に深谷へ訪れてほしいと言う。

「渋沢栄一は数々の功績を残しており、『近代日本経済の父』と評されていますが、逆に多岐にわたる功績のために人物像がつかみづらいかもしれません。それが当館の展示を見ることで、『あの会社を立ち上げた人か』『この学校をつくった人なんだ』という風に、『身近に感じられた』と多くの来場者から感想をいただきます。深谷には生地の旧渋沢邸『中の家(なかんち)』や学問の師である『尾高惇忠生家』などのゆかりの施設もありますので、より渋沢を知ることができるでしょう」

渋沢の肉声が収められたレコード。2階に設置されたプレーヤーで、実際に聞くことができる
渋沢の肉声が収められたレコード。2階に設置されたプレーヤーで、実際に聞くことができる

深谷に根付く渋沢栄一の思想

記念館の入り口では、地元のスタンプショップ「川本山陽堂」が渋沢栄一グッズを並べて販売していた。

「新1万円札への採用が決まる前から、深谷と渋沢栄一翁(おう)を盛り上げるために活動していました。みなさんから注目されたことは、本当に“たまたま”なんです」

店主の川本徹郎さんは言う。祭りやイベントの時に、地元の偉人・栄一の「グッズがあればいいよね」という声があったため、数年前から川本山陽堂が採算度外視でTシャツやスタンプなどを制作していたそうだ。

期間限定で記念館前に出店していた川本さんと、ズラリと並んだ渋沢栄一グッズ。紙幣風のミニタオルの通貨単位は「円」ではなく、深谷名物からとった「葱(ねぎ)」になっている
期間限定で記念館前に出店していた川本さんと、ズラリと並んだ渋沢栄一グッズ。紙幣風のミニタオルの通貨単位は「円」ではなく、深谷名物からとった「葱(ねぎ)」になっている

「新1万円札に決まると、大手の通販サイトから商品を扱いたいとオファーがありましたが、お断りしました。悪い話ではないけれど、一時的な利益よりも、深谷に来ないと買えないプレミアム感を大切にする方が、深谷が観光地としてにぎわい、グッズも売れ続けるでしょ。これこそ、渋沢栄一翁が唱えた“道徳経済合一説”ですよ」(川本さん)

経済活動の根底には道徳が必要で、利益を周りに還元することで社会が繁栄し、さらに企業も発展していく。今、世界的に再評価が進む渋沢栄一の思想は、深谷市民にしっかりと浸透しているようだ。

深谷駅前にも渋沢栄一像がたたずんでいる
深谷駅前にも渋沢栄一像がたたずんでいる

渋沢栄一記念館

  • 住所:埼玉県深谷市下手計1204
  • 休館日:年末年始(12月29日から1月3日)
  • 開館時間:午前9時~午後5時
  • 入館料:無料 解説員も無料
  • アクセス:JR深谷駅北口からタクシーで約16分
  • 注意事項:10名以上の団体での来場は、事前に電話予約が必要。展示室内は写真撮影禁止。

取材・文・写真=ニッポンドットコム編集部

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