いざ、名古屋城へ:絢爛豪華な本丸御殿と天守閣が久々の共演

名古屋城は、江戸と大阪の中間地点を守るために築かれた尾張徳川家の居城。忠実に復元した本丸御殿が2018年から公開を開始し、近世城郭の完成形と評された本丸内がよみがえった。天守閣の木造復元工事前に、本丸御殿との共演を眺めに行こう。

大都市・名古屋を生んだ徳川幕府の重要拠点

光り輝く、金のしゃちほこを頂くことで知られる名古屋城。その城下町として発展した愛知県名古屋市は、現在230万人が暮らす中部地方最大の都市である。町のシンボルとして市民が愛し続ける名城は、江戸幕府にとって最重要な砦(とりで)として1612年に完成した。

大天守にそびえる名古屋のシンボル・金のしゃちほこ。通称「金シャチ」は、写真左の北側が雄で、南側が雌
大天守にそびえる名古屋のシンボル・金のしゃちほこ。通称「金シャチ」は、写真左の北側が雄で、南側が雌

徳川家康が名古屋城の築城を命じたのは、関ケ原の戦いで豊臣方に勝利した9年後の1609年。豊臣家を滅ぼした大坂の陣(1614-15)の前で、秀吉の子・秀頼がまだ大坂城に残っていた時代である。徳川家が幕府を置く江戸と上方(関西)とを結ぶ東海道の中間地点・尾張(愛知県西部)に、高い防御力を持つ要塞(ようさい)が必要と考えたのだ。

それまで尾張の中心は清洲城(愛知県清須市)とその城下だったが、川沿いの低地にあるために水害に悩まされ、地盤のもろさも問題になっていたため、新しい城を熱田台地の上に築くこととした。若き日の織田信長が拠点とした、那古野(なごや)城があった場所である。

外堀の西側から名古屋城天守閣を望む
外堀の西側から名古屋城天守閣を望む

全国の大名を動員する天下普請によって1610年に着工した。天下普請は外様大名の忠誠心を試し、財力を弱体化させる狙いもある。負担の大きい石垣造りなどは、かつて豊臣家に仕えていた西国の大名などに命じられた。“築城の名手”として知られる加藤清正(熊本藩)が、最も重要な天守台の石垣担当に自ら名乗りを上げ、たった3カ月ほどで完成させたのは有名な話だ。

名古屋城正門近く、名古屋能楽堂前にある加藤清正像
名古屋城正門近く、名古屋能楽堂前にある加藤清正像

城を預かったのは、家康の九男・義直から始まる尾張徳川家。御三家筆頭の居城となったことからも、江戸幕府がどれほど重視した地点かが分かる。純金をふんだんに使用したしゃちほこ一対を載せた5層5階の大天守は徳川家の威光を表し、1615年に完成した藩主の住居兼藩庁の本丸御殿は、当時のぜいを尽くして絢爛(けんらん)豪華に飾られた。

城下町も碁盤状に道を整備し、武家や職人から、商家、寺社まで清洲の町ごと移転させる「清洲越(ごし)」を行ったことで、名古屋はすぐに人々でにぎわったという。

重要文化財の西南隅櫓越しに眺める大天守。石垣積みは、外様大名が工事を担当した
重要文化財の西南隅櫓越しに眺める大天守。石垣積みは、外様大名が工事を担当した

木造復元計画中の天守閣

明治に入ると一時は軍が利用したが、城郭を保存することが決定し、後に宮内省管轄の名古屋離宮となる。昭和初頭に旧国宝の第1号として認定を受けると、名古屋市に寄贈され、一般公開が始まった。しかし、第2次世界大戦の空襲により、1945(昭和20)年5月に天守閣や本丸御殿が焼失してしまう。

それでも戦後すぐに、わずかに焼け残った隅櫓(すみやぐら)や門、石垣などを公開。1952年には「特別名勝 名古屋城跡」に指定される。名古屋市民が中心になって集めた多額の寄付もあって、現在の鉄骨鉄筋コンクリート造の天守閣が1959年に完成した。外観は戦前に作成されていた実測図を忠実に再現し、金のしゃちほこも復活。5層7階の内部は展望室の他、歴史資料や模型を展示する博物館とし、観光客でにぎわった。

西南隅櫓の窓から大天守と小天守を望む
西南隅櫓の窓から大天守と小天守を望む

現在、老朽化と耐震性が低いことを理由に天守閣内部の公開は休止中で、名古屋市では木造での復元計画を進めている。天守閣に登れないのは残念だが、2018年に本丸御殿が再建され、70年以上ぶりにかつての本丸内の姿がよみがえった。復元工事が始まれば、またしばらくは天守閣と本丸御殿の共演は見られなくなるので、早めに一度訪れることをおすすめしたい。

ぜひ入園して、今の天守閣も近くから見上げてみてほしい
ぜひ入園して、現在の天守閣も間近から見上げてみてほしい

よみがえった壮麗な本丸御殿

昨年6月から公開が始まった本丸御殿は、実測図や多数の写真、礎石などを基に、約10年を費やして忠実に再現された武家風書院造の建築物だ。

本丸御殿の玄関。唐破風で装飾された車寄(くるまよせ)が美しい
本丸御殿の玄関。唐破風で装飾された車寄(くるまよせ)が美しい

3代将軍・家光が上洛する際に増築した上洛殿。その後ろには小天守、大天守が望める。本丸御殿の屋根は、薄い木の板を並べた杮葺(こけらぶき)で趣深い
3代将軍・家光が上洛する際に増築した上洛殿。その後ろには小天守、大天守が望める。本丸御殿の屋根は、薄い木の板を並べた杮葺(こけらぶき)で趣深い

初代藩主・義直は5年ほどで二之丸御殿に引っ越している。1626年に徳川2代将軍・秀忠が上洛(じょうらく)する際に宿泊したことで、その後は将軍専用の御殿となった。実際に使用された回数は数少ないが、狩野貞信(かのうさだのぶ)や狩野探幽(たんゆう)などが描いた障壁画、飾り金具などで内部はきらびやかに彩られた。

戦時中は取り外して保管していた障壁画が数多く残り、1000枚以上が国の重要文化財に指定されている。本丸御殿には、その紙の材質や顔料を分析し、緻密に復元した模写作品がずらりと並ぶ。現代の職人たちが技を尽くして再現した欄間や飾り金具も、あまりの豪華さに息をのむほどだ。

上洛殿の内部。左奥が家光の部屋・上段之間で、狩野探幽の障壁画や色鮮やかな欄間で飾られている
上洛殿の内部。左奥が家光の部屋・上段之間で、狩野探幽の障壁画や色鮮やかな欄間で飾られている

将軍のための浴室「湯殿(ゆどの)書院」。湯船はなく、湯気を引き込む蒸し風呂式
将軍のための浴室「湯殿(ゆどの)書院」。湯船はなく、湯気を引き込む蒸し風呂式

築城当時をしのばせる隅櫓と門

創建時の姿を残す3つの隅櫓は、全てが国の重要文化財。正面入り口から近い西南隅櫓は、内部を常時公開しているので必見だ。最上階からは大天守や小天守が間近に見え、正門側を見れば名古屋駅周辺の高層ビルまで見渡せる。宮内省の管轄だった大正時代に修復されたため、鬼瓦などに菊紋があしらわれているのが名古屋城の変遷を感じさせる。

東南隅櫓は城内で眺められるが、西北隅櫓は本丸北西にある御深井丸(おふけまる)の外堀に面しているため、名古屋城公園の外から眺めた方が石垣、堀の水面とのコントラストが美しい。

西南隅櫓から名古屋駅方面を望む
西南隅櫓から名古屋駅方面を望む

西南隅櫓と同じ1612年頃に建てられた東南隅櫓。左に見えるのは、本丸南側の表二之門
西南隅櫓と同じ1612年頃に建てられた東南隅櫓。左に見えるのは、本丸南側の表二之門

外堀越しに眺めた西北隅櫓(1619年頃完成)
外堀越しに眺めた西北隅櫓(1619年頃完成)

他にも3つの門が国の重要文化財に指定され、築城当初に造られた石垣や塀などが残る。名勝に指定される二之丸庭園を筆頭に、梅林やボタン園、椿園など季節の花々をめでることができる庭園も見物。

予約不要の「名古屋城ガイドツアー」に参加した後、自分の興味がある場所をゆっくりと巡るのもおすすめだ。名古屋城のみならず、名古屋の町にも精通したボランティアガイドが無料で案内してくれるので、名古屋弁の解説に耳を傾けながら城内を満喫しよう。

本丸南側にある重要文化財の表二之門。左右の土塀にある穴は鉄砲狭間(てっぽうざま)
本丸南側にある重要文化財の表二之門。左右の土塀にある穴は鉄砲狭間(てっぽうざま)

1972年に本丸東二之門跡に移築された旧二之丸東二之門(1612年頃完成
1972年に本丸東二之門跡に移築された旧二之丸東二之門(1612年頃完成)

二之丸庭園は、藩主が居住した御殿の庭としては日本一の規模を誇る。庭園南側に、1555年まで信長が暮らした那古野城跡がある
二之丸庭園は、藩主が居住した御殿の庭としては日本一の規模を誇る。庭園南側に、1555年まで信長が暮らした那古野城跡がある

正門近くに置かれている記念撮影用の金シャチ
正門近くに置かれている記念撮影用の金シャチ

特別史跡 名古屋城

  • 住所:愛知県名古屋市中区本丸1番1号
  • 開園時間:午前9時~午後4時30分(本丸御殿、西南隅櫓の入場は午後4時まで)
  • 休園日:12月29日~1月1日
  • 観覧料:大人500円、中学生以下は無料 ※団体、名古屋市内高齢者の割引有り
  • 名古屋城ガイドツアー集合場所:正門、東門のガイド案内板周辺 予約不要・参加無料
  • 名古屋城ガイドツアー出発時間:平日=午前10時、午後1時30分 休日=午前9時30分、午前11時、午後1時30分
  • アクセス:名古屋市営地下鉄・名城線 「市役所」駅 から徒歩 5分、鶴舞線 「浅間町」 駅から徒歩12分。なごや観光ルートバス・メーグル「名古屋城」(名古屋駅から21分) 下車、徒歩すぐ

取材・文・写真=ニッポンドットコム編集部

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