“水の都・おおさか”の1350年超の歩みを難波宮跡で体感できる「大阪歴史博物館」

歴史

大阪歴史博物館(大阪市中央区)では、古代の宮都「難波宮(なにわのみや)」から、「水の都」とうたわれた中近世、大正末期から戦前の商工都市「大大阪」の町並みまで、原寸大の展示や貴重な資料で体感できる。

古代には日本の都だった大阪

東京、横浜に次いで、全国3位の人口を誇る西日本最大の都市・大阪。豊臣秀吉の築城
や大坂の陣など戦国時代以降にたびたび歴史の大舞台となったが、平安京以前に都が置かれた “古都”であったことは意外と知られていない。

古くは「なにわ」と呼ばれ、「難波」「浪速」「浪花」などの文字を当てたように、水上交通の要所であった。上町(うえまち)台地を挟むように、北には琵琶湖の水が京都を経由して流れてくる淀川、南には奈良盆地から始まる大和川の河口部がある。大阪湾岸の難波津(なにわづ、なにわのつ)は、古代日本の最も重要な港で、遣隋使(けんずいし)や遣唐使はここから出発したという。

上町台地の北端にそびえ立つ大阪城の天守。大阪歴史博物館から撮影
上町台地の北端にそびえ立つ大阪城天守閣。大阪歴史博物館から撮影

大坂城の南、法円坂1丁目にある「難波宮跡公園」。中央部に復元された太極殿基壇
大坂城の南、法円坂1丁目にある「難波宮跡公園」。中央部に復元された大極殿基壇

大阪府唯一の世界遺産「百舌鳥(もず)・古市古墳群」で、最も大きい古墳は「仁徳天皇陵」(大山古墳、堺市堺区)、2番目が父の「応神天皇陵」(誉田御廟山古墳、羽曳野市)。両天皇は宮殿を大阪市内に置いたと伝わっている。

そして、現在の大阪城の南西一帯には、飛鳥時代から奈良時代にかけての約150年間、古代の宮殿「難波宮」が広がっていた。645(大化元)年から皇居が置かれ、大化の改新の舞台となった。その後は副都に定められたり、都に返り咲いたりした。794年(延暦13年)に平安京が完成し、京都に都が固定されると難波宮は役目を終える。跡地が廃れたために正確な所在地などは長年不明となり、存在が明らかになったのは、たった60年前の1961(昭和36)年のこと。そうした影響で「古都・大阪」の印象は弱いが、京都や奈良に引けを取らない歴史ある地域といえる。

現在、難波宮跡公園を中心とする「難波宮跡 附 法円坂遺跡」は、国の史跡に指定されている。その一角に建つのが「大阪歴史博物館」。難波宮の時代から、商業と文化の中心地だった江戸時代、「東洋一の商工地」と呼ばれた大正後期から戦前など、大阪の歩みを精細なジオラマを振り返ることができる人気施設だ。

NHK大阪放送局(左)と連結している大阪歴史博物館。手前のかやぶき屋根は「法円坂遺跡復元倉庫」
NHK大阪放送局(左)と連結している大阪歴史博物館。手前のかやぶき屋根は「法円坂遺跡復元倉庫」

まさに難波宮跡にある博物館で、ビルの下には古代遺跡が眠っており、当日申し込みで見学可能(※現在は新型コロナウイルス流行の影響で休止中)
まさに難波宮跡にある博物館で、ビルの下には古代遺跡が眠っており、当日申し込みで見学可能(※現在は新型コロナウイルス流行の影響で休止中)

戦後まで発見されなかった難波宮跡

大阪歴史博物館では、1階のエントランスホールからエレベーターで10階まで一気に上がり、そこからエスカレーターでフロアを下りながら、大阪の歩みを古代から現代へと鑑賞する。順路にはじっくりと展示を巡る「全周コース」と、1時間程度で大阪の歴史の輪郭がつかめる「ハイライトコース」があるので、大阪城観光と併せて旅程に組み込みやすい。

10階は「難波宮の時代」で、744(天平16)年の後期難波宮・大極殿へとタイムスリップ。実物大の朱塗りの円柱が立ち並び、優美な組み物が天井を覆う巨大な部屋で、官人らが出迎えてくれる。北東側の壁面下部はガラス窓のため、実際に大極殿があった難波宮跡公園を見下ろすことができる。

宮廷での儀式の様子を原寸大で復元した太極殿。柱の直径は70センチもある
大極殿での儀式の様子を原寸大で復元。柱の直径は70センチもある

色とりどりの衣装をまとった天皇に仕えた官人
色とりどりの衣装をまとった天皇に仕えた官人

壁面下部のガラス越しに、都心部のど真ん中にある難波宮跡公園が見下ろせる
都心部のど真ん中にある難波宮跡公園をガラス越しに見下ろせる

「難波宮」は現在、孝徳天皇からの前期難波宮、聖武天皇が築いた後期難波宮の総称として使われる。645(大化元)年に蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子や中臣鎌足は、孝徳天皇を擁立して難波宮に遷都し、大化の改新を推し進めた。

10年後に孝徳天皇が崩御し、都は再び奈良の飛鳥に戻ったが、天武天皇は複都制を敷き、難波宮も都と定める。奈良時代には聖武天皇が副都とし、焼失していた宮殿を新たに造営。744年から約1年間だけ皇居を置いた。

貴重な出土品や発掘調査時の資料が並ぶ。中央は前期難波宮の復元模型
貴重な出土品や発掘調査時の資料が並ぶ。中央は前期難波宮の復元模型

そうした歩みは日本書紀(720年完成)などに記されていたものの、前期難波宮は焼失し、後期の建造物は長岡京に移築されたため、正確な所在地は長年謎であった。大正時代になって、ようやく法円坂で奈良時代の遺物が数点見つかったが、一帯は陸軍施設で発掘は進められなかった。

第2次世界大戦後、この場所に注目していた元大阪市立大学教授・山根徳太郎らが、事前調査段階で鴟尾(しび)を発見。本格的な発掘が始まったのは1954(昭和29)年のこと。当初は、都心部のために発掘は難航し、山根の仮説は学界から疑問視されたというが、1961年についに大極殿跡を発見した。

大阪歴史博物館には、前期・後期の難波宮復元模型のほか、出土した石器や瓦、鴟尾のレプリカなどを展示しており、今では「日本のシュリーマン」と称される山根博士の功績も伝えている。約1200年も謎だった宮殿を体感できる貴重な場所である。

中央は発掘された鴟尾の複製。火災よけの効力を持つとされ、しゃちほこのように屋根の両端に飾った
中央は発掘された鴟尾の複製。火災よけの効力を持つとされ、しゃちほこのように屋根の両端に飾った

壮大なスケールだった後期難波宮をジオラマで再現
壮大なスケールだった後期難波宮をジオラマで再現

戦国時代から再び歴史のひのき舞台へ

9階は中世「大坂本願寺の時代」と近世「天下の台所の時代」。エスカレーターで下っていくと、踊り場のガラス越しに大阪城の高台が望める。展示室は、戦国時代にこの台地を境内としていた浄土真宗大本山「大坂(石山)本願寺」の模型から始まる。1496年(明応5)に本願寺第8世・蓮如(れんにょ)が建立したのに始まり、1532年(天文1)に本山となった。その頃から「大坂」の地名が使われるようになったという。

京都に近く、舟運にも適した立地のため、石山本願寺を奪って城を築こうとしたのが、西国進出を狙う織田信長だった。本願寺側は一歩も引かず、10年におよぶ石山合戦(1570-80)が繰り広げられる。本願寺が退去して京都に移った後、信長が本能寺の変で討たれたため、大坂城を築いたのは豊臣秀吉であった。

大坂本願寺御影堂の模型。門前町の様子なども詳しく解説している
大坂本願寺御影堂の模型。門前町の様子なども詳しく解説している

1583(天正11)年に着工した秀吉は、城域を拡大しながら、現在に続く大阪の町割りの基礎を築く。大坂夏の陣(1615)で戦場と化したが、徳川幕府は城と城下町を再興して、直轄地(天領)とした。町中に堀を張り巡らせた上に、江戸と大坂を往復する菱垣廻船(ひがきかいせん)や北前船などの航路が確立したことで、さらに水運が発達して商工業の中心地となった。全国から年貢米が集まることから、1730(享保15)年に米を換金する堂島米会所ができ、川や堀沿いには各藩の蔵屋敷が立ち並んだ。大坂は「天下の台所」と呼ばれるようになり、人形浄瑠璃や歌舞伎など町人文化が花開き、道頓堀「角の芝居」などの芝居小屋が大いににぎわった。

水運によって発達した江戸時代の大阪を、船上にいるような気分で橋をくぐりながら「水の都」を学んでいく
水運によって繁栄した江戸時代の大坂を、船上にいるような気分で学んでいく

諸藩の蔵屋敷の様子を伝える「広島藩大坂蔵屋敷復元模型」
諸藩の蔵屋敷の様子を伝える「広島藩大坂蔵屋敷復元模型」

大坂の中心街・船場の町並みや芝居小屋のジオラマ、当時のだんじりの展示もある
大坂の中心街・船場の町並みや芝居小屋のジオラマ、江戸時代のだんじりの展示もある

人口で東京をしのいだ大大阪の時代

元号が明治に変わった1868(慶応4)年に「大阪府」が設置されたことで、徐々に「大」の表記が広まっていった。明治以降は、繊維産業を中心に工業都市化が進み、産業革命発祥の地にあやかって「東洋のマンチェスター」などと称された。7階には、そんな近現代の「大大阪の時代」を展示しており、ここまでが常設展示となる。

商工業が発展する中、1923(大正12)年の関東大震災の影響で東京や横浜から移り住む人も多く、大阪市の人口は急増。市域を拡大した大正末には211万人で、東京を抜いて日本一の都市となる。同時期に御堂筋が拡張され、その下には市営地下鉄が開通し、心斎橋をウインドーショッピングして歩く「心ブラ」が流行。この頃を「大大阪の時代」と呼び、戦前には現在を超える人口330万人に到達した。

8階から7階の展示を見下ろす。中央は日本初の公営地下鉄の原寸大模型
8階から7階「大大阪の時代」の展示を見下ろす。中央は日本初の公営地下鉄の原寸大模型。8階には、特集展示や考古学体験のコーナーがある

心斎橋筋、道頓堀、本庄公設市場などをリアルに再現。実際に「心ブラ」気分が味わえる
心斎橋筋、道頓堀、本庄公設市場などをリアルに再現。実際に「心ブラ」気分が味わえる

戦時中には焦土と化した大阪だが、目覚ましい復興を遂げ、1970(昭和45)年には日本の高度成長期の象徴ともいえる「日本万国博覧会(大阪万博)」が開催された。55年ぶりの万博「2025年日本国際博覧会(略称:大阪・関西万博)」が迫り、国際的な注目を集めている今、都市“おおさか”の歩みを体感しに大阪歴史博物館を訪れてみてはどうだろう。

大阪歴史博物館のエントランスホール。6階の特別展示室では、期間限定の特別展(別料金)を開催している
大阪歴史博物館のエントランスホール。6階の特別展示室では、期間限定の特別展(別料金)を開催している

大阪歴史博物館

  • 住所:大阪市中央区大手前4丁目1-32
  • 開館時間:午前9時30分~午後5時(最終入場は30分前)
  • 休館日:火曜日、12月28日~1月4日
  • 常設展示観覧料:大人600円、高校生・大学生400円、中学生以下無料 ※団体割引など有り
  • アクセス:Osaka Metro谷町線・中央線「谷町四丁目」駅下車、徒歩約3分

取材・文・写真=ニッポンドットコム編集部

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