昨日の俺はバカだった:カシオ計算機の礎を築いた開発人生―成城「樫尾俊雄発明記念館」

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カシオ計算機(本社・東京都渋谷区)を創業した樫尾4兄弟の次男・俊雄氏。1957年に小型の純電気式計算機を生み出してから、デジタル時計や電子楽器を開発するなど、発明にささげた人生だった。

デジタル時計「Gショック」や電卓、電子楽器などで知られる「カシオ計算機」(東京都渋谷区)は2023年4月、増田裕一氏が社長に就任。「創業家以外から初めての社長誕生」と話題を呼んだ。

2月27日の記者発表会にて、右が社長に昇格した増田氏。左が前社長で会長となった樫尾和宏氏で、樫尾4兄弟の三男で前会長・和雄氏の長男 写真提供:カシオ計算機
2月27日の記者発表会にて、右が社長に昇格した増田氏。左が会長となった前社長の樫尾和宏氏で、樫尾4兄弟の三男・和雄氏の長男 写真提供:カシオ計算機

増田氏は初代Gショックのプロジェクトに携わり、今やカシオの屋台骨となった時計事業をけん引してきた人物。その時計事業への参入は1974年、創業メンバー・樫尾4兄弟の次男・俊雄氏(1925-2012)が、オートカレンダー機能を世界初搭載した腕時計「カシオトロン」を開発したことがきっかけだった。

俊雄氏は小型純電気式計算機、さまざまな音色を奏でる電子楽器など革新的な商品を発明し、グローバル企業・カシオ計算機の礎を築いた。開発に明け暮れた成城の自宅は現在、「樫尾俊雄発明記念館」(東京都世田谷区)として一般公開されているので、その生涯や功績、発想の源泉をたどってみたい。

世田谷区成城にある樫尾俊雄発明記念館。大好きだった鳥をモチーフにした建物や調度品は見もの
世田谷区成城にある樫尾俊雄発明記念館。大好きだった鳥をモチーフにした建物や調度品は見もの

「カシオトロン」に関する展示。中央右が晩年の俊雄氏
「カシオトロン」に関する展示。中央右が晩年の俊雄氏

原点は計算機、テンキーを世に広めた発明家

カシオ計算機はブランドロゴが「CASIO」表記のため、正式名称に「計算機」が付くことや、創業者が「樫尾(KASHIO)姓」であることを知らない人もいる。

町工場の樫尾製作所から成長し、カシオ計算機を設立したのは1957年6月。樫尾俊雄が世界初の小型純電気式計算機「14-A」を開発したのだ。60年代半ばから70年代前半にかけて、ライバルメーカーと繰り広げた「電卓戦争」に勝ち残り、「カシオ=計算機」のイメージが定着。電子楽器から医療機器まで多彩な製品を手掛け、売り上げの半分以上を時計事業が占めるようになった今でも、原点を大切にし、社名の計算機を守り続けている。

欧文表記も計算機に由縁がある。14-Aは従来品より大幅に計算速度を上げたのが売りだったが、「KASHIOではスピード感がない」と兄弟で話し合い、星座の「カシオペア(Cassiopeia)」を想起させるCASIO(当初はCasio)にしたそうだ。

樫尾俊雄発明記念館に展示される14-A(中央)とAL-1(左奥)。机の背面にはリレー回路がびっしりと搭載されている
樫尾俊雄発明記念館に展示される14-A(中央)とAL-1(左奥)。机の背面にはリレー回路がびっしりと搭載されている

近年はスマートフォンやPCに、計算機能や表計算ソフトが備わり、計算機の存在感は薄まっている。でも「テンキー」を広めた人物だといえば、その功績は現代の若者にも理解できるだろう。

「14-A」以前の計算機は、桁ごとに0から9の数字を並べる「フルキー方式」がほとんどだった。テンキーに似た配列は米国の手動式加算機で先に使われていたが、俊雄はそのことを知らずに、片手で簡単に操作できるようにと4行×3列にまとめ、一番下の「0」の右隣に小数点を置いた。この配列はカシオの計算機によって普及し、今でもPCのキーボードや店のレジ、計算機アプリなどで使用されているのだ。

70年近く前に、現代のテンキーと同じ配置を採用した
70年近く前に、現代のテンキーと同じ配置を考案した

電卓戦争でライバルだったシャープが、1964年に発売したオールトランジスタ電卓「コンペット」は、桁ごとに数字が並ぶ「フルキー方式」 写真:時事/シャープ提供
電卓戦争でライバルだったシャープが、1964年に発売したオールトランジスタ電卓「コンペット」。桁ごとに数字が並ぶ「フルキー方式」を採用している 写真:時事/シャープ提供

指輪パイプで貯めた資金で、計算機開発に着手

1925(大正14)年に東京で生まれた俊雄は、小学生の時にエジソンの伝記に感動し、発明家を志す。15歳から逓信省で通信システムの技官として働き、戦後になって兄・忠雄が営む樫尾製作所に合流した。

最初にヒットした発明品は、1946(昭和21)年から販売した「指輪パイプ」。終戦間もないモノ不足の時代、フィルターのない両切りたばこを、やけどするほど短くなるまで吸っている人が多かった。そこに目を付け、メッキの指輪にたばこを刺すパイプを付けることを考案。根元ぎりぎりまで安全に吸える上に、喫煙しながら別の作業もしやすいと人気を呼び、作れば作るほど売れたという。おかげで、それまで下請け仕事に追われていた家族経営の小さな工場が、資金が蓄えられる状況まで成長した。

カシオの創業一族故に、電気の専門家と思われがちだが、俊雄は「みんなの暮らしに役立ってこそ発明だ」と言い続け、日常の一コマから着想を得て、発明品を生み出した。生涯に取得した特許は共同名義を含めて313件で、趣味のボウリングに関するものなども含まれている。

最初のヒット商品「指輪パイプ」。俊雄は庶民の生活に密着した発明家だった
最初のヒット商品「指輪パイプ」。俊雄は庶民の生活に密着した発明家だった

転機となったのは49年、銀座で開催された事務機器展示会だった。日本ではそろばんで経理処理をするのが当たり前の時代に、外国製の電動計算機を目の当たりにしたのだ。歯車を回す仕組みで、大型な上に駆動音もひどく、自動車と同じくらい高価だったが、“最先端”のマシンに大きな人だかりができていた。

俊雄は電流によって回路を開閉する「リレー(継電器)」を活用し、14-Aを机サイズまで小型化。計算が速い上に、駆動音が静かなことも高い評価を得た。その後も平方根(ルート)の計算が可能な「14-B」、科学技術用計算機「AL-1」と次々とヒットさせ、経営を軌道に乗せていったのだ。

科学技術用計算機の元祖で、長期間生産された「AL-1」
科学技術用計算機の元祖で、長期間生産された「AL-1」

兄弟あっての発明人生

その功績を見ていると、他の兄弟がかすんでしまいそうだが、そんなことはない。尊敬するエジソンの「天才は1%のひらめきと99%の努力」になぞらえ、俊雄は「発明は1%のひらめきと、49%の努力と、50%の天運」という言葉を残している。そして「私にとっての天運は“兄弟”」と付け加えたように、絶大なる信頼を寄せていた。

頭の中で思考をめぐらせ、新しいアイデアを生み出すのは得意でも、どんな製品に仕立て、どうやって売り出すかを考えるのは苦手だった。長男・忠雄が会社の舵を取り、三男・和雄が営業力で市場を切り開く。そして、俊雄の発明を生かし、量産できるように製品化するのはエンジニアの四男・幸雄の役目。兄弟の力があってこそ、俊雄のアイデアは世界にはばたいていくことができたのだ。

カシオ計算機を設立したころ。左から俊雄、和雄、忠雄、幸雄 写真提供:カシオ計算機
カシオ計算機を設立したころ。左から俊雄、和雄、忠雄、幸雄 写真提供:カシオ計算機

今では信じられないが、14-Aの回路図は手書き。俊雄の主な仕事は図面をまとめるまでで、後は兄弟を頼ったという
今では信じられないが、14-Aの回路図は手書き。俊雄の主な仕事は図面をまとめるまでで、後は兄弟を頼ったという

シャープがトランジスタを使った電子式卓上計算機「電卓」を1964年に販売すると、キヤノンなども追随。カシオ計算機は、俊雄がリレー式にこだわり過ぎたために後れを取り、経営危機に陥った。

電卓参入へと方針転換を決めると、忠雄は資金繰りに奔走し、和雄が新しい販路を開拓。幸雄は生産体制を整え、たった4カ月でカシオ初の電卓「001」の発売までこぎつけた。

カシオ初の電卓「001」。この頃はまだ、ロゴの頭文字以外は小文字だった
カシオ初の電卓「001」。この頃のロゴは、頭文字のみが大文字だった

卓上化によって計算機の需要が高まると、約50社が参入して「電卓戦争」と呼ばれたシェア争いが発生。それに終止符を打ったのが、幸雄が開発した世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」だった。

小さな商店や一般家庭をターゲットに、12桁まで計算可能な性能を持ちながら、あえて液晶表示を10万円単位までの6桁に抑え、価格をライバルメーカーの3分の1程度に設定。社内では「売れない」との見解が大勢を占めたが、個人市場を開拓できるとにらんだ和雄が「月10万台は売れる」と開発を後押しする。

72年8月に1万2800円で売り出すと、1年足らずで100万台を突破する大ヒット。他メーカーの電卓撤退が相次ぎ、「カシオ=計算機」のイメージが庶民にまで広まった。

「答え一発! カシオミニ」のCMソングが一世を風靡(ふうび)
「答え一発! カシオミニ」のCMソングが一世を風靡(ふうび)

クレジットカードサイズの「SL-800」など、その後もヒット商品が続いた
「カシオミニカード」(右)やクレジットカードサイズの「SL-800」(左)など、その後もヒット商品が続いた

計算機の技術を応用し、次々と発明品を生み出す

俊雄が次に開発に乗り出したのがデジタル時計だった。理由は単純明快で「時間は1秒ずつの足し算だ」と捉え、計算機の技術を応用できると考えたから。

当時の腕時計は「小の月」の月末に、日付表示を手動で調整するものだったが、俊雄は日付を自動調整する「オートカレンダー機能」を開発。世界で初搭載した「カシオトロン」を1974年に発売し、大きな話題を呼んだ。その後もカシオは、計算機付きや電話帳機能など革新的な腕時計を販売し、Gショック(83年発売)の大ヒットへとつなげていく。

右の2つがカシオトロンで、左は世界時計やストップウオッチなどを初搭載した「X-1」(76年発売)
右の2つがカシオトロンで、左は世界時計やストップウオッチなどを初搭載した「X-1」(76年発売)

Gショックのコーナーには、貴重な初期型など歴代の人気モデルが並ぶ
Gショックのコーナーには、貴重な初期型など歴代の人気モデルが並ぶ

電子楽器事業への参入は、音楽愛好家・俊雄の「誰でも手軽に音楽演奏を楽しめるようにしたい」という思いから始まった。ここでも独自の着眼点によって、楽器音を再現するために音源の「子音・母音システム」を生み出している。

例えばピアノは、鍵盤を弾いた瞬間の音と持続的に響く音は違って聞こえる。これを人間が言葉を発する際の子音と母音に見立て、楽器の音の立ち上がりを「子音」、持続部分を「母音」と分類し、それを掛け合わせることで音色の再現性を高めた。

80年1月、ピアノやオルガン、チェンバロといった鍵盤楽器に加え、弦楽器のハープや琴、管楽器のトランペットやフルートなど、29種類の音色を奏でられる電子キーボード「カシオトーン201」を発売。9万7000円という手ごろな価格で、現代の音響専門家からも「当時の低性能な電子回路とは信じられない」と評される自然な音色を実現した。その後もカシオの電子楽器は、世界中で音楽人口の拡大に寄与している。

カシオトーン201は49鍵の標準鍵盤で、スピーカーを内蔵するので持ち運びにも便利
カシオトーン201は49鍵の標準鍵盤で、スピーカーを内蔵。持ち運びも容易なことで人気を得た

書斎にあるオーディオセットの背面の壁は、音響を考えて重厚な大理石にしたという。俊雄の音楽へのこだわりが感じられる
書斎にあるオーディオセットの背面の壁は、音響を考えて重厚な大理石にしたという。俊雄の音楽へのこだわりが感じられる

発明にささげた人生に触れられる貴重な場

樫尾俊雄発明記念館では、思索に明け暮れた書斎や愛用品の数々など、発明の源泉に触れられる。特に印象に残ったのが、「“必要は発明の母”ではなくて、“発明は必要の母”」「今日も明日も言い続けたい。“昨日の俺はバカだったんだ!!”」といったユニークな俊雄の言葉だ。

俊雄にとって発明とは、誰かが「必要だ」と求めることに対応するのではなく、まだ誰も意識していないような潜在的なニーズを掘り起こすこと。驚きをもって迎えられた核心的な製品が世の中に普及すれば、やがて「なくてはならないもの」となり、多くの人が使うことで改善が加わり、進化する。ここにこそ、発明の価値があると考えていた。

廊下には俊雄の写真と共に、遺した言葉の数々が飾られている
廊下には俊雄の写真と共に、遺した言葉の数々が飾られている

電子楽器の基本設計図も手書き。俊雄は晩年まで、紙と鉛筆、定規のみを使って発明を続けた
電子楽器の基本設計図も手書き。俊雄は晩年まで、紙と鉛筆、定規のみを使って発明を続けた

俊雄は口癖のように「昨日の俺はバカだった」と言っていたという。毎日、頭をフル回転させ、昨日は思い付かなかったような新しいアイデアを絞り出していたのだろう。

晩年をよく知る広報担当者は「社員にも『君は“昨日の自分はバカだった”と言えるくらい頑張ったのか?』と聞くので、みんな返答に困ってしまう」と笑いながら、「80歳を過ぎても、開発に夢中になって徹夜することがあった。本当に、発明にささげた人生だった」と振り返る。俊雄は会長になってからも、都心の本社ではなく、カシオの研究開発拠点・羽村技術センター(東京都羽村市)に会長室を置き続けたそうだ。

名言と呼ぶほど格調高くはないが、独創的でありながら人間味あふれる俊雄の言葉は、すんなりと心に染み入ってくる。それは、革新的な機能を詰め込み、デザイン性も高いのに、使いやすく、価格も手ごろなカシオ製品に通じるところがある。庶民の心をしっかりとらえ、日々の暮らしに溶け込んでいく。

小学生を対象に毎年開催している「樫尾俊雄 発明アイディア コンテスト」の受賞作品を展示
小学生を対象に毎年開催している「樫尾俊雄 発明アイディア コンテスト」の受賞作品を展示

庭の大部分は「発明の杜市民緑地」として一般開放している。俊雄が思索にふけった庭を散策してみては?
庭の大部分を「発明の杜市民緑地」として一般開放している。俊雄が思索にふけった庭を散策してみては?

樫尾俊雄発明記念館

  • 住所:東京都世田谷区成城4-19-10
  • 開館日:完全予約制。公式ホームページで確認
  • 入館料:無料
  • アクセス:小田急「成城学園前」駅から徒歩15分

写真=ニッポンドットコム編集部

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