世界遺産「姫路城」:現存天守で最大規模を誇る近世城郭の傑作

歴史

日本一の名城といわれる「姫路城」(兵庫県姫路市)は、現存天守の中で最も高く、国宝の指定を受ける。1993年には日本初の世界遺産の一つとして登録され、今年で30周年を迎えた。「白鷺城」の愛称で親しまれる優美な建築群、天守内部の様子を紹介する。

JR姫路駅に降り立つと、北口(姫路城口)から続くメインストリート・大手前通りの奥に国宝「姫路城」がそびえ立つ。

圧倒的な存在感からすぐ近くに思えるが、姫路公園の入り口にある桜門橋までは約1キロで、徒歩だと15分ほどかかる。さらに広大な園内を歩き、入城口から二の丸、本丸へと曲がりくねった城郭を通り抜け、大天守最上部にたどり着くには、小1時間を要するとみておいた方がよい。

姫路駅の展望デッキ「キャッスルビュー」から眺める姫路城。中央が大天守で、左側に見えるのが西小天守
姫路駅の展望デッキ「キャッスルビュー」から眺める姫路城。中央が大天守で、左側に見えるのが西小天守

桜門橋越しの姫路城。ここからでも天守までは、直線距離で450メートルほどある
桜門橋越しの姫路城。ここからでも天守までは、直線距離で450メートルほどある

「白鷺城」「八方正面」「不戦・不焼の城」

姫路城の大天守の高さは31.5メートルで、江戸時代以前に建造された12の現存天守の中で最も大きい。構造は5層6階で、地下1階に当たる「地階」の入る石垣の土台を合わせると46.3メートルにもなる。さらに城を頂く小高い丘「姫山」は標高45.6メートルあるので、遠くからでもその堂々たる姿を見ることができるのだ。

姫路城の最大の特徴は、南東にある大天守に西小天守、乾(北西の意)小天守、東小天守が渡櫓(わたりやぐら)でつながる連立式天守閣。4つの天守の屋根が幾重にも重なり、眺める角度ごとに違う表情を見せるため、「八方正面」と呼ばれる。

姫路駅、大手前通りから見えるのと同じ面だが、天守南側の備前丸から見上げると大迫力。大天守の左側は西小天守
姫路駅や大手前通りから見えるのと同じ面だが、天守南側の備前丸から見上げると大迫力。大天守の左側は西小天守

4つの天守をすべて見ることができるおすすめのスポットは北西にある男山配水池公園。小天守は左から東、乾、西
4つの天守を全て見ることができるおすすめのスポットは北西にある男山配水池公園。小天守は左から東、乾、西

東小天守と乾小天守を結ぶ「ロの渡櫓」の廊下
東小天守と乾小天守を結ぶ「ロの渡櫓」の廊下

全体的に白く見えるのは、「白漆喰総塗籠造」(しろしっくいそうぬりごめづくり)のため。火事に強い白漆喰で、外壁に加え、屋根瓦の目地まで塗り固めているのだ。その姿は翼を広げたシラサギのように華麗なことから、「白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)」の異名でたたえられる。

「不戦・不焼の城」の呼び名もある。江戸時代初期に現在の城郭が完成して以来、一度も戦場になったことはなく、火事や地震による大きな被害も出ていない。幕末には官軍側に取り囲まれ、大砲を打ち込まれるが、すぐに城を明け渡している。第2次世界大戦の空襲でも、姫路の中心地が焦土と化す中で、姫路城は奇跡的に焼け残った。そのおかげで貴重な建造物が数多く残り、4つの天守、それをつなぐ4つの渡櫓(わたりやぐら)の計8棟が国宝に指定され、重要文化財も74棟に上る。

瓦の周りまで漆喰で固める白漆喰総塗籠造が、城全体を白く輝かせる
瓦の周りまで漆喰で固める白漆喰総塗籠造が、城全体を白く輝かせる

二の丸に通じる「菱の門」は姫路城最大の門で、国の重要文化財。黒漆と金具で飾られた格子窓と火灯窓など美しい造作だが、門の上部から石を落としたり、槍で突いたりできる構造になっている
二の丸に通じる「菱の門」は、姫路城最大の門で国の重要文化財。黒漆と金具で飾られた格子窓と火灯窓など美しい造作だが、門の上部から石を落としたり、槍で突いたりできる構造になっている

単独で世界遺産に登録される近代城郭の最高傑作

姫路城の起源は、鎌倉から南北朝時代にかけての武将・赤松則村が姫山に築いた砦(とりで)。その次男・貞範が1346(正平元)年、城へと改修した。

1467(応仁元)年に赤松氏を再興した政則が、本丸などを築く。以後、姫山城は赤松一族の小寺氏、その重臣・黒田氏が預かる。16世紀半ばに黒田氏が本格的な山城を築いたが、1580(天正8)年には黒田孝高(官兵衛、如水)が西国統治を目指す羽柴(豊臣)秀吉に献上。秀吉は石垣を巡らし、3層の天守を設けるなど近世城郭へと発展させた。その際に、姫山城から「姫路城」へと名称も変えている。

黒田官兵衛が秀吉時代に普請した上山里下段石垣
黒田官兵衛が秀吉時代に普請した上山里下段石垣

現在残る姫路城を造り上げたのは、徳川家康の次女を継室(けいしつ)に迎え、信任の厚かった池田輝政。関ケ原の戦い(1600年)後に姫路藩主となると、翌年から大規模改修を始める。その権勢から「西国将軍」とも称されただけに、豪華絢爛な連立式天守閣を1609(慶長14)年に完成させた。

輝政から家督を継いだ孫・光政は幼少だったため、鳥取城へと転封となる。徳川家の重臣・本多忠政が姫路入りすると、1617年に三の丸や西の丸を増築した。

西の丸庭園から眺めるみやびな姿は本多時代から
西の丸庭園から望むみやびな姿は本多時代から

徳川幕府は1615年、豊臣家を滅ぼした大坂冬の陣直後に「一国一城令」を制定。諸藩の軍事力抑制を目的に、全国約400の城を取り壊している。同時期に発布した「武家諸法度」の中では、築城の禁止や居城修補の届出制まで規定した。つまり姫路城は、大規模築城が可能だった最終時期に完成したもので、今も残る近世城郭建築の最高峰といって過言ではない。

その文化的価値が評価され、1993年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。その後、二条城や首里城などが世界遺産の構成資産となっているが、単独で登録されている日本の城は姫路城のみ。この事実も「日本一の名城」の呼び声を裏付けている。

世界遺産登録を記念して、1994年に選定されたビューポイント「姫路城十景」の一つ「城見台公園」からの眺め
世界遺産登録を記念して、1994年に選定されたビューポイント「姫路城十景」の一つ「城見台公園」からの眺め

石垣や門、狭間を眺めながら天守閣へ

遠くからでも堂々と美しい姫路城だが、有料エリアの城内に入れば、さらに見どころが満載だ。天守までの道のりは、敵の侵入を遅らせるため、「曲輪(くるわ)」と呼ばれる石垣や塀で、らせん状に囲まれている。

その塀には所々に、丸や三角、四角の穴が開いている。敵を迎え撃つために鉄砲を放つ「狭間(はざま)」というもので、この数でも姫路城は日本一を誇る。

塀に開けられた狭間は飾りではなく、実戦的なもの
塀に開けられた狭間は飾りではなく、実戦的なもの

天守までの門や通路は狭く、大群で押し寄せるのは不可能だ。写真は重要文化財の「にの門」
天守までの門や通路は狭く、大群で押し寄せるのは不可能。写真は重要文化財の「にの門」

石垣は羽柴と池田、本多時代に積まれたものがあり、年代別に見比べると面白い。特に有名なのが「姥ヶ石(うばがいし)」の逸話だ。秀吉が天守を築く際、石不足で工事が進まず、城下に石を提供するように触れを出した。すると、貧しい老婆が石臼まで持ってきたので、秀吉はいたく感動し、一番大切な天守の土台に差し込んだという。その話は瞬く間に広がり、その後は庶民からどんどん石が集まったと伝わる。

備前丸西側にある池田輝政時代の石垣は、上部にいくほど急傾斜となり、開いた扇のような曲線を描くので「扇の勾配」と呼ばれる。下から見上げると乗り越えるのは不可能に思われ、「難攻不落の城」の象徴の一つといえる。

左が姥ヶ石のある天守台の石垣で、右側の土壁「油塀」も羽柴時代のものと伝わる
左が姥ヶ石のある天守台の石垣で、右側の土壁「油壁」も羽柴時代のものと伝わる

秀吉が積み上げたと伝わる石臼「姥ヶ石」
秀吉が積み上げたと伝わる石臼「姥ヶ石」

敵の侵入を阻む急傾斜の石垣「扇の勾配」
敵の侵入を阻む急傾斜の石垣「扇の勾配」

天守内も超実戦的、最上階から姫路の町を一望

天守内部も通路が入り組んでいて、階段が急で狭く、攻め入るのは容易ではない。窓際には至る所に石落しや矢狭間が設置してあり、壁には武具掛けがズラリと並び、無骨な印象だ。

天守を殿様の居館だと勘違いしている人も多いが、あくまでも戦時の要塞。姫路藩主の場合は、三の丸や西の丸などに設けた御殿で暮らしていたので、天守内部の簡素さにがっかりしないように。三の丸などにあった御殿群は、残念ながら明治期に取り壊されている。

中央の小さな階段のある部分は、窓から石を落としやすくするための石打棚。左手奥の階段はかなりの急角度だ
中央の小さな階段のある部分は、窓から石を落としやすくするための石打棚。左手奥の階段はかなりの急角度だ

壁一面が武具掛けで、火縄銃や槍が常備されていたという
壁一面が武具掛けで、火縄銃や槍が常備されていたという

本多忠政の孫・忠刻と、家康の孫娘・千姫が暮らした上屋敷のあった西の丸
本多忠政の孫・忠刻と、家康の孫娘・千姫が暮らした上屋敷のあった西の丸

圧巻なのは地階から6階床までを貫く24.6メートルもある東大柱と西大柱。根元部分を補強しながら350年にわたって大天守を支えてきたが、西大柱は昭和大修理(1956-64年)で中まで朽ちていることが分かり、取り換えられた。旧西大柱は入城口近くに展示してあり、その巨大さを間近に見ることができる。

中央が3階部分の東大柱。左の階段の奥に見えるのが西大柱
中央が3階部分の東大柱。左の階段の奥に見えるのが西大柱

三の丸広場の北隣に置かれている旧西大柱
三の丸広場の北隣に置かれている旧西大柱

姫路城の守り神「刑部神社(長壁神社、おさかべじんじゃ)」のある大天守最上階からは、しゃちほこ越しに姫路の町を一望できる。

姫路城内には他にも、名建築や文化財がめじろ押しで、見どころは尽きない。時間に余裕のある人は、西に隣接する日本庭園「好古園」に立ち寄ったり、シロトピア記念公園から城の北面を眺めたりして、日没後のライトアップまで楽しもう。

大天守最上階から、しゃちほこ越しに大手前通りを見下ろす
大天守最上階から、しゃちほこ越しに大手前通りを見下ろす

大天守最上階にある刑部神社
姫路城を災害から守っている刑部神社

シロトピア記念公園から眺める姫路城北面は、また違った表情を見せる
シロトピア記念公園から眺める姫路城北面は、また違った表情を見せる

日没後のライトアップは必見だ
日没後のライトアップも必見だ

姫路城

  • 住所:兵庫県姫路市本町68
  • 開城時間:午前9時~午後5時(閉門は午後4時)、※2023年の6月1日~9月24日は閉門時間を1時間延長
  • 定休日:12月29日・30日
  • 入城料金:大人1000円、小人(小学生~高校生)300円
  • アクセス:JR・山陽電鉄「姫路」駅から徒歩約15分。姫路駅北口から神姫バスで「姫路城大手門前」下車、徒歩約5分

 取材・文・写真=ニッポンドットコム編集部

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