世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」:奈良盆地の田園風景に残る「日本」誕生の地【動画】
Guideto Japan
映像 旅 歴史- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
古代の国際交流を物語る遺構たち
飛鳥時代(592~710年)は大豪族の連合国家だった日本が、天皇を中心とする中央集権国家への転換期。奈良盆地南部の飛鳥・藤原エリアを拠点にした政権は、中国にならって律令(法律)や政治機構、税制などを整備した。「日本」を外交上の国号に定めたのもこの時代だ。

「飛鳥宮跡」は、政治権力を有力豪族から天皇に取り戻した「乙巳(いっし)の変」(645年)の舞台でもある

不思議な溝が刻まれた「酒船石(さかふねいし)」は、酒の醸造に使用したとの説から名付けられた

酒船石遺跡の谷部で発掘された「亀形石槽」(右)などの導水施設
630年から60年余り、政治と文化の中心地となったのが飛鳥宮。周辺には天皇が国家の安泰を願った「水の祭祀(さいし)場」や、中国の技術を取り入れた水時計が造られた。これらの遺構は、統治手段とした「祈り」と「時の支配」、高い石造技術を今に伝える。
石舞台古墳もミステリアスな石造物。むき出しの巨石30個が積み重なる石室は、総重量約2300トンに及ぶ。ここに眠ると目される蘇我馬子は、大陸伝来の仏教を国家宗教化した人物で、当時の権勢を感じさせる威容は一見の価値ありだ。
飛鳥寺をはじめ日本最初期の寺院にも、大陸の建築技術が生かされたという。国家統治の基軸となった仏教は、漢字などの日本文化にも多大な影響を与えた。当時の活発な国際交流を証明する超一級の文化財が、高松塚古墳とキトラ古墳に残された壁画。石室内に色鮮やかな天文図や人物群像、神獣などが描かれ、そのモチーフや土を層状に重ねる土木技術からは、中国や朝鮮半島の影響がうかがえる。こうした古墳に残る極彩色壁画は日本にこの2例だけで、共に国宝の指定を受けている。

「高松塚古墳」の壁画(国宝)は近隣の修理施設に保管されている
中央集権国家が確立し、平城京や平安京につながる
694年の藤原宮造営で、天皇を中心とした「律令国家」は完成を見る。政治や祭祀の空間を集約した宮殿の周囲に、官人らの居住区や2つの官寺を備え、日本初の本格的な都城が築かれた。こうした都市設計は、平城京(710年~、現在の奈良市)や平安京(794年~、現在の京都市)の原型にもなった。
遷都後、飛鳥・藤原の宮都は再び田園地帯へと戻っていった。その結果、宮殿・寺院跡や古墳の基盤が良好な状態で地中に眠り続けたことで、国家誕生のプロセスを示す考古学的物証は類まれとの評価を受け、世界遺産登録につながったのだ。まさに「日本」のふるさとといえる古都を巡れば、タイムカプセルを開けるようなロマンを感じるだろう。

渡来系豪族の氏寺「檜隈(ひのくま)寺跡」。平安後期の石塔(国の重要文化財)が記念碑となっている

2022年に復元された、珍しい八角形の墳丘「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」
写真・動画=96BOX(黒岩正和、藤井和幸)
文=ニッポンドットコム編集部
バナー写真:飛鳥のシンボル・石舞台古墳





