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【Photos】田中家の食卓

本野 克佳【Profile】

[2018.01.02]
都会での生活を捨て、田舎での新規就農にチャレンジする田中家。困難を乗り越えて、3人の子どもたちと暮らす彼らの四季折々の表情をカメラで追った。

東京から車で約1時間、茨城県石岡市に田中家の営む農場がある。同市は日本でも有数の有機農業が盛んな地域だ。ご主人の庸介さんは農業大学を卒業後、青年海外協力隊(JOCV)に参加し、帰国後に新規就農に挑戦。その可能性を求め、2000年にこの地にやってきた。現在約2ヘクタールの圃場(ほじょう)で、化学肥料や農薬を全く使わない野菜づくりを行っている。

収穫を終えて帰宅。子供たちはママの元へ

一家は5人暮らし。妻の久美子さんは、東京のフレンチレストランで修業を積んだ後、農業にチャレンジするため03年に石岡に移り住んだ。そこで庸介さんと出会い結婚。彼の農作業の手伝いをする傍ら、自身が学んできた料理の経験を生かして彼が作る野菜を使ったパンづくりに励んでいる。このパンはニンジン酵母を使ったもので、地元のレストランに提供されている。17年8月にカフェを併設した店「ペトラン」をオープン。パンの販売とともに、今後は自身の野菜を使った料理にも力を入れていく予定だ。

都会では見られない光景

畑へ行ってみると、背中に次男の仁史君を背負いながら、久美子さんが農作業をしていた。大変だなと思いつつも、思わず見とれてしまう。土と緑と久美子さんの流す汗が何とも言えない雰囲気を醸し出している。長男の義介君と長女の彩菜ちゃんも、泥んこまみれになりながら、彼女のそばで野菜づくりの手伝いをしている。東京では絶対に見かけない光景だ。ここでは、都会の学校では学べないことを畑から教えてもらっているに違いない。彼らの屈託のない穏やかな表情を目の当たりにして、思わず頰が緩んでしまう。

夕方に田中家の食卓をのぞいてみると、久美子さんはレストランで修業した腕を振るって庸介さんが育てた野菜を料理していた。古民家の台所を改装した小さなキッチンで、手際よく料理が出来上がっていく。子供たちも、収穫したばかりのトマトをトマトピューレにするなどで参加。その合間にお絵かきも忘れない。料理が出来上がると、ちゃぶ台に次々と並んでゆく。料理がそろうと、家族みんなでちゃぶ台を囲み、手を合わせて「いただきます!」。豪華な料理が並ぶわけではないが、自分たちで育てた大地の恵みを食べる——とても贅沢(ぜいたく)な食卓だ。

次男の仁史君はパパといつも一緒(写真左)。毎朝のちゃぶ台には、畑で採れた野菜を使った久美子さんの手料理が並ぶ(中央)。収穫する久美子さんの背中にはいつも仁史君が(右)

風評被害にくじけそうになったことも

そんな田中家ではあるが、決して順風満帆といえない時期もあった。2011年の東日本大震災によって引き起こされた福島原発の事故が、有機肥料や農薬に頼らない野菜づくりを実践している田中一家に思いも寄らぬダメージを与えたのだ。野菜づくりで田中さんが重きを置いているのは、土づくり。滋味豊かな土を作るためには大量の落ち葉が必要だが、事故直後は放射能汚染に関する情報が混乱していて落ち葉を集めることができなかった。

良質な土からしかおいしい野菜は生まれない(写真左)。採れたての新鮮な野菜(中央)。畑仕事の合間のひと時(右)

さらに風評被害が追い打ちをかけた。06年から少しずつ開拓してきた顧客の大半から、「茨城の野菜は要らない」という声が相次ぎ、販路を失ってしまったのだ。「その時は、出口の見えない原発事故の影響を考えると、新たな土地への移転を考えました」と庸介さんは振り返る。

そんな苦しい中でも何とか農園を続けることができたのは、「より良い野菜を世間に広めていきたい」という強い思いがあったからだ。つらい時期を何とか乗り越えると、原発事故の調査も進み、野菜には影響がないことが証明され、新しい顧客も徐々に増えていった。

夫の庸介さんが作った野菜を使い、妻の久美子さんが料理を作り、田中家の食卓を飾る。新しくオープンしたカフェレストランのペトランでは、手づくり野菜の味を存分に引き出す家庭料理の味を家族以外の人々にも楽しんでもらいたいと言う。野菜の可能性を追求していきたいという2人の夢は、確実に現実のものになりつつあるようだ。

いつも元気な彩菜ちゃん

写真と文=本野 克佳

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  • [2018.01.02]

1970年生まれ。海外放浪後、会社員を経て関西でフリーランスカメラマンとして独立。人物、料理ならびにルポルタージュを中心に雑誌、広告を手掛ける。2009年、個展「波回帰」。11年、活動拠点を東京に移す。

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