コーポレート・ガバナンス:日本の企業は変われるか?

議決権行使助言会社から見る日本企業の姿

経済・ビジネス

上場会社の株式総会議案を分析し、あるべきコーポレート・ガバナンスの視点からその是非を機関投資家にアドバイスする議決権行使助言会社。その視点から、日本企業の現状はどう見えるのか。米最大手Institutional Shareholder Services(ISS)日本法人の石田猛行代表取締役にインタビューした。

石田 猛行 ISHIDA Takeyuki

Institutional Shareholder Services (ISS) 日本法人代表取締役。1968年石川県生まれ。米ジョンズホプキンズ大学高等国際問題研究大学院で修士号を取得。1999年からワシントンDCのInvestor Responsibility Research Center (IRRC) に勤務し、日本企業の株主総会の議案分析やコーポレート・ガバナンスの調査を担当。2005年のISSによるIRRC買収に伴い、同年からISS日本法人に勤務。2008年から日本企業の株主総会調査を総括。「日本版スチュワードシップ・コードに関する有識者検討会」メンバーとして、コードの策定に関わった。

“株主の利益重視”:以前は語らなかった日本の経営者

——ISSはどのような会社か、日本でどのような活動をされているのか。

機関投資家を顧客とし、議決権行使に関するアドバイスやサポートを行っている。株を買った機関投資家がその企業の株主総会に臨む際、議案にどういう投票判断をすれば長期的な株主の利益になるかを考えて議案の賛否推奨をする。個々の企業の株主総会議案について賛否の推奨レポートを出している。日本に拠点を置いて、活動を始めたのは2003年ごろ。調査業務の現地化や顧客サービスの充実が目的だ。

——2014年6月に会社法改正案が成立するまでの日本のコーポレート・ガバナンスを、どのように評価していたか。

会社法改正と時期を一にして、コーポレート・ガバナンスに対する認識はかなり変わったと感じる。以前はコンプライアンス(法令順守)に近い意味で語られていたが、今はより投資家が興味を持てる文脈でコーポレート・ガバナンスのあり方が語られるようになってきた。ただし、これは会社法改正が理由というよりも、環境の変化が会社法改正の時期と重なった結果といえる。

「株主の利益を重視する」という論点について、以前とは異なり、現在の企業経営者はもっと自然に話すようになった。ROE(自己資本利益率)も同じだ。米国では経営者が「株主を重視する」のはあたりまえというか、あえてわざわざ意識するようなことではないと思う。それに比べればまだまだだが、日本企業において、少なくとも以前ほどの否定的な姿勢、というか抵抗感はなくなってきた。海外の日本企業に対する見方、評価も変わっていると感じる。

——なぜ、これまで日本の企業は株主の存在を意識しないで済んできたと考えるか。

やはり、銀行が非常に強かったということ。加えて株の持ち合いや安定株主の存在だろう。私たちは各社の社外取締役の候補者を何千人もチェックしているが、銀行(出身)の人が多い。対照的に証券会社の人はずっと少ない。日本はデット(負債)文化であり、エクイティ(株式)文化ではないことを象徴している。銀行に“優秀な人がいる”という企業側の意識は、薄れたとはいってもまだまだ強いものがある。

株の持ち合いは、純投資を目的とした株主として持ち合いをするのではなく、ビジネスの関係にある結果として持ち合いをするわけで、順序が逆。そういう状況では「株主利益を高める」という発想は出にくいだろう。安定株主さえいれば、他の株主が何を言っても従前通りのやり方で経営できることになる。

——会社法改正で、実質的に上場会社には社外取締役の設置が義務づけられた。どのような感想を持たれているか。

私たちの調査でも9割程度の企業が最低1人の社外取締役を置くようになり、変化を実感している。特筆したいのは、この変化に至る過程で、日本の企業の人々が社外取締役を置く本質的な意味をじっくりと考える時間があったことだ。規制であれば、有無を言わさず社外取締役が一気に増えるだろうが、それは形式的な変化に過ぎない。取締役会を経営会議と位置付けている会社に無理に規制で社外取締役を強制しても、日々の業務が議論される場所に、その業務を知らない社外取締役が来ても意味のある貢献は難しい。

その点、今日の変化の意味は大きい。どうすれば社外取締役が機能するかを個社がじっくり考えた上で、社外取締役を設置するからだ。取締役会の議題の内容から、開催頻度のような運営上の課題まで、最適解を求めて企業が自主的に取り組むだろう。規制で社外取締役は強制できても、例えば、開催頻度、議題の内容は強制できない。もっと言えば、スピリットは強制できない。

ガバナンス・コード:活用めぐり、企業の二極化進む

——2015年6月に適用されたコーポレート・ガバナンス・コードについては、どのように評価されているか。

これを生かすことができる企業と、できない企業の二極化が進むと思う。コーポレート・ガバナンス・コードには答えがないからだ。例えば「独立社外取締役2名」を満たすためにどうすればよいかは、誰が見ても分かる。しかし、これは例外的で、その他の部分には答えがない。例えば、取締役会の評価、経営陣幹部の選任や取締役・監査役の指名、報酬を説明する部分には答えがない。だからガバナンス・コードへの対応といっても、コード以前に、それらの事柄を真剣に議論してきた企業でなければ難しいだろう。その経験があれば、そのエッセンスを抽出して、コーポレート・ガバナンス報告書のフォーマットにそれを書けば良いが、経験がない企業はそれができない。

例えばオムロンの事例がある。山田義仁社長が2011年に指名された経過を、年次報告書で物語形式で書いている。どうようにして彼が選ばれたかを臨場感豊かに説明している。このような説明は株主だけでなく、社員に対してもいい作用をもたらすと思う。

このような経験があると、ガバナンス・コードの報告書の作成は、自社の固有の経験をもとに考え方を整理して、アウトプットする作業になる。しかし、これまで社内でまともに議論したことなく、「(経営幹部の)指名や報酬の決め方は社長の頭の中にしかない」という企業は形式的な対応しかできないのではないか。

私がコーポレート・ガバナンス・コードで重要だと考えるのは「経営幹部の報酬の決め方」、「経営幹部の選任方法」、「取締役会の評価」という3点。日本の経営者の報酬は、欧米に比べて額は少ないが、総額の中の固定報酬の割合が多いことが問題だ。やってもやらなくても報酬はあまり変わらないのなら、経営を変革しようとするインセンティブが効かなくなる。

取締役会は“社内の利害調整の場”にあらず

多くの人にとって、「取締役会の評価」は初めて聞く言葉だろう。イメージしにくいが、ガバナンスの中心は社外取締役なので、当の社外取締役に取締役会が機能しているかを率直に尋ねるのが、評価の第一歩になるのではないか。例えば、三菱UFJフィナンシャル・グループは2015年6月に指名委員会等設置会社に移行したが、社外取締役の川本裕子氏は年次報告書で「同社の取締役会がどう変わったか」について語っている。また、みずほフィナンシャルグループの2015年の統合報告書では、社外取締役であり取締役会議長の大田弘子氏が取締役会の変化を述べている。このようにフィードバックを集めて、それを改善につなげることが取締役会を評価する目的ではないか。

——取締役会の今後のあり方について、日本の多くの企業はまだ暗中模索の段階にあるのではないか。

そうだと思う。しかしそれは、何も日本企業に限ったことではない。グローバルなガバナンス議論は環境の変化とともに常に変化している。それによって、取締役会のあり方は変わる。日本企業に対しては、ISSは現在、最低1人の社外取締役を求めている。その条件を満たさない企業には、社長や会長のようなトップへの反対を投資家に推奨している。

取締役会が内部の人間だけだと、取締役会は社内の部門間の利害調整を行う場になる恐れがある。そこに外部の取締役が入って、例えば取締役会の回数をこれまでの半分に減らすとする。すると決める事柄が変わって、部門間の利害調整を超えて、高次の戦略的課題を扱うようになる。そうなれば外部の知見も必要になるだろうし、社外取締役が活躍できる場となり、社内の取締役のマインドセットも変わるだろう。

社外取締役は1人よりは2人の方がいい。なぜなら社外取締役同士で話し合いができるからだ。また、あくまで参考だが、世界の相場は少なくとも「社外取締役はメンバーの3分の1」だ。日本の取締役会は大体9人前後の規模が多く、であれば2人が実現すれば3人、つまり3分の1も日本の現実からは、あまり違和感はないのではないか。

「株主との対話」:創造的なエンゲージメントを

——コーポレート・ガバナンスの変革とつながっているのがスチュワードシップ・コード。これは石田さん自身が策定に関わられている。策定の背景で印象に残っていることはあるか。

“engagement”という言葉をめぐってさまざまな議論があったが、日本では「対話」との訳が定着してしまった。しかし、「対話」に限定してしまうと、engagementという言葉が本来持つ奥行きがなくなってしまう。米国でengagementと言えば、議決権行使から始まり、手紙の送付、面談、株主提案、委任状争奪戦まで様々な形態がある。株主提案を受けて企業と株主が話し合い、株主側が納得して提案を取り下げることも「engagementの成功」ととらえられている。対話それ自体が目的になってしまえば、コストばかりがかかって長続きしない。日本の文脈に則した「対話」のあり方について、これからいろいろと試行錯誤があるのではないか。

資本の生産性の低さは日本固有の問題

——御社は2014年10月に「5年平均でROE(自己資本利益率)が5%を下回る企業の経営トップである取締役の選任議案に反対を推奨する」方針を打ち出している。このような方針をなぜ打ち出したのか。また経済産業省が設置した「持続的成長への競争力とインセンティブ」プロジェクトによる「伊藤レポート」(2014年4月)が、企業はROE8%を目指すべきと提言したことをどう評価するか。

ROEの方針は、ガバナンスの問題というよりも、従前からの日本企業の問題への対応と考えて提起した。資本の生産性の改善を訴えることが本来の目的だ。伊藤レポートは歓迎している。結局人々がROEとか資本の生産性というものをどう受け取るかという、感覚のところが非常に重要。例えば、アクティビスト・ファンドが「ROEは重要だ」と言っても、企業側は建設的なメッセージとして受け取らない。ところが政府のレポートとなれば違う。世の中のトーンをつくることになる。

ISSの基準(ROE5%)は業種別ではなく、「株であれば最低限、これを満たさなければ」という数値。株式は社債よりもリスクが高い。であれば、社債から期待されるリターンよりも、株式からの期待リターンが高くなければ、株式に投資する意味がない。国内の投資家へヒアリングした結果、5%とした。

ガバナンスと収益性はリンクさせるべきでない

——コーポレート・ガバナンスについてはこれまで、経営者が株主利益を損なわないようにいかに企業を監視するかという観点で論ぜられることが多かった。ところがここ数年は成長戦略とからめて、企業の収益性を高める「攻めのガバナンス」が中心論点になっている。この論調についてどう思うか。

「ガバナンス」という言葉自体が“バブル”になっていると感じる。ちょっと冷静になることが必要では。ガバナンスと企業の収益性の話はリンクさせるべきではない。例えば社外取締役の話だが、1人入れば収益がどれだけ改善されるのか、という話はナンセンスだ。別の言い方をすれば、社外取締役を設置して業績が向上するのであれば、そんな簡単なことはない。あくまでもガバナンスは「システム」の話だ。リスク管理と置き換えてもよい。

このあたりの話は、株式会社の成り立ちに立ち返ればわかりやすい。株主は自ら事業を運営できないからこそ、自分の代理として取締役を選任して、事業の運営者たる経営陣の監督を期待する。ところが、その取締役が経営陣そのものであれば、監督機能について心配になってしまう。単純な話だ。例えば、北欧の高齢者のための年金基金が、世界各国に株式投資する際に、韓国企業と日本企業のどちらかを選ぶとする。韓国企業では取締役会に外部者がいる、一方で日本の取締役会が内部者だけであれば、どちらに安心するだろうか。投資家に選んでもらうには最低限のシステムが必要だ。

「社外の目」を入れることと、収益の向上には直接の関係はないだろう。しかし、内部者のしがらみから、本来取るべき行動を取れずにきた企業なら、取締役会を利害調整の場から、社内政治を越えて、監督機能を発揮する場に変えることができれば、例えば、これまで誰も手を付けられなかった不採算部門からの撤退に道を開くことができるかもしれない。私は、企業経営の“保険”としてコーポレート・ガバナンスをとらえている。保険を買ったからといって、実りある人生が約束されるわけではない。しかし、日々の心配事を少しでも減らして、人生において本来すべきことに集中するには、保険は最低限必要なコストではないか。

(インタビューは東京都内で10月22日に行った)

バナー写真:竹中治堅氏(左)のインタビューに応じる石田猛行氏

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