自衛隊の地位を高めた大恩人:河野前統合幕僚長が語る安倍首相

政治・外交

7年8カ月の第2次安倍政権とほぼ同じ時期に、自衛隊トップの統合幕僚長や海上幕僚長を務めた河野克俊氏(65)。「首相が最も信頼する自衛官」と言われた河野氏が安倍晋三前首相の実像を語る。

河野 克俊 KAWANO Katsutoshi

1954年、北海道生まれ。防衛大学卒業後、海上自衛隊入隊。米海軍大学に留学し、卒業論文で最優秀賞受賞。海上幕僚監部防衛部長、自衛艦隊司令官、海上幕僚長を歴任し、2014年に第5代統合幕僚長。3度の定年延長を重ね、在任は異例の4年半に渡り、19年4月に退官。

滑走路で突然、ひざまずいた首相

安倍晋三首相(当時)は突如として、滑走路に両膝をついて合掌し、祈りを捧げ、滑走路のコンクリート面をなで始めた。

「何の前触れもない突然の総理の行動に驚きました。私はその時、どう対応してよいのか、分からず、茫然として中腰で総理を見下ろすような格好になってしまいました」

こう語るのは、太平洋戦争の激戦地だった硫黄島(東京都小笠原村)を視察に訪れた安倍首相に、自衛隊の海上幕僚長(当時)として同行した河野克俊氏。

安倍首相が硫黄島を訪問したのは、政権の座に返り咲いて間もない2013年4月のこと。硫黄島の視察を終え、次の訪問地、父島に向かう首相を河野氏は、飛行場の滑走路に駐機していた海上自衛隊の飛行艇US-2まで先導していた。

戦死した多くの日本人兵士が眠る硫黄島の滑走路で突然、ひざまずき、合掌をした安倍首相(右)と河野統合幕僚長(左から2人目) 河野氏提供
戦死した多くの日本人兵士が眠る硫黄島の滑走路で突然、ひざまずき、合掌をした安倍首相(右)と河野海上幕僚長(左から2人目)。安倍首相はこの後、地面を丁寧になでた  河野氏提供

硫黄島では2万人余の日本兵らが亡くなったが、収容された遺骨はまだ半数ほどに過ぎない。この滑走路は激戦で勝利した米軍が日本の本土爆撃を行う爆撃基地として使う目的で急きょ、ブルドーザーを大量投入して建設したために、滑走路の下には今も多くの戦没者の遺骨が眠ったままなのだ。

「そのことを安倍総理はご存じだったのでしょう。私はそのお姿を拝見して、戦没者に対する慰霊の念がとても強い方だなと、再認識しました。その時は同行する記者もほとんどいませんでしたから、それは決してパフォーマンスではなく、心からの慰霊の行為でした。ですから非常に印象深い光景でしたね」

縮まった政治と自衛隊の距離

安倍政権において政治と自衛隊の距離が縮まった。と同時に、安全保障において民主主義国家では当たり前のことが当たり前のこととして機能するようになった。

それまでの「シビリアン・コントロール(文民統制)」は、自衛隊をできるだけ政治から遠ざけ、政治家との橋渡し役は防衛庁・防衛省の文官が担い、制服組を遠ざけることが長年慣例となっていた。それに伴い、「シビリアン・コントロール=文官統制」という誤った観念が流布してしまっていたが、13年に安倍首相が国家安全保障会議を創設すると、統合幕僚長を会議のメンバーに加えた。また、14年から統合幕僚長となった河野氏は毎週、安倍首相と菅官房長官(現首相)に自衛隊の状況・行動について報告するようになった。

「それまでは官邸で制服の自衛官を見るのはまれでしたが、安倍政権からはそんなことはなくなった。安倍総理は自衛隊の行動や考えをきちんと頭に入れて意思決定された。それこそが健全な民主主義国家での政軍関係であり、安倍総理は本来あるべき真のシビリアン・コントロールを実践された戦後初の総理ではないかと思います」と河野氏は言う。

河野氏は自衛隊の最高指揮官である安倍首相が最も信頼する自衛官と言われた。歴代の防衛相からも厚い信頼を得ていたことから、「自衛隊法施行令」で定める定年年齢(62歳)を越えた後も、3度の定年延長を経て統合幕僚長の地位に留まり、史上最長の在職期間となった。自衛隊員としては安倍首相と最も身近に接した一人だ。

被災地で見せた真摯な行動

平成の末期は毎年のように水害、地震など大きな自然災害に襲われた。

「安倍総理はその都度、被災地を訪問された。被災者らにきちんと言葉をかけ、知事や首長から要望を聞き、救助活動をしている自衛隊、警察、消防らを激励されていました。私も統合幕僚長として初めて総理の被災地訪問に同行するようになりましたが、通り一遍の短時間の訪問で済ませる総理もいた中、安倍総理は一連の視察を毎回怠ることなく律儀に実践しており、こんな総理は珍しいと思っていました」と河野氏。

2018年7月13日、西日本豪雨で被災した愛媛県宇和島市で被災者支援を行う自衛隊員を激励する安倍首相 共同
2018年7月13日、愛媛県宇和島市で西日本豪雨の被災者支援を行う自衛隊員を激励する安倍首相 共同

安倍首相は17年、ビデオメッセージで「憲法9条1、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という考えを示した。その3週間後に、河野統合幕僚長が外国特派員協会での記者会見で、この憲法問題について質問された。憲法改正は大きな政治問題なので、統合幕僚長として波風を立てないように回答を控えることもできたが、忖度せずに次のように答えた。

「統合幕僚長の立場から申し上げるのは適当ではない」と前置きしたうえで、「一自衛官として申し上げるならば、自衛隊が何らかの形で憲法に明記されることになれば、ありがたいとは思います」。一部マスコミが問題視したが、大きな政治問題となることはなかった。

河野氏は当時を振り返り、こう説明する。

「もちろん、安倍総理と私がタッグを組んでこのような経過になったのではない。総理の『自衛隊明記の改憲論』が脚光を浴びている時期だったので、私は憲法9条問題の当事者である自衛隊の気持ちを述べたまで。この程度のメッセージを発せられないことの方が、健全な社会ではないと思っていました」

部隊の訓練を初めて視察した最高指揮官

「安倍総理は自衛官を激励し、愛情を持っていたことを、ひしひしと感じました。こんな総理は初めてです」

河野氏はそう強調しながら、エピソードを語ってくれた。自衛隊の最高指揮官である総理大臣が自衛隊の部隊を視察したことはこれまでほとんどなかったが、18年、安倍首相は来日したヨルダンのアブドラ国王を案内し、千葉県の陸上自衛隊・習志野演習場で特殊作戦の訓練を視察。同年に豪州のターンブル首相とも同様の視察を行った。

防衛大学の卒業式で卒業生が一斉に帽子を真上に投げる「帽子投げ」。名物イベントとして知られるが、これは臨席していた首相が退席し、式の終了後に行われるのが慣例だった。

「安倍総理がぜひ見たい、と言うので、それまでの慣例を破り、式次第を変更して、見ていただくことになりました」と河野氏。

また、叙勲で統合幕僚長経験者のランクが上がった。

「安倍総理になってから、昔の勲一等級をもらうようになりました。これも安倍総理のイニシアティブによるものでしょう」

共通する昭和29年生まれ同士の時代背景

安倍前首相と河野氏は同じ昭和29年(1954年)生まれ。「育った環境は全く違うが、見てきた時代風景が同じなので、共感を覚え、安倍総理が考えておられることもわかる」と河野氏は言う。

例えば、日米同盟。いつまでもアメリカに「おんぶにだっこ」で、守ってもらうだけでは強い同盟関係にはならない。「安倍総理が日本もそれなりに責任を負うべきだという考えになっていくのは、よく理解できた」

インタビューに答える河野氏 撮影:高山浩数
インタビューに答える河野氏 撮影:高山浩数

「平和安全法制」の成立における自衛隊法等の改正による自衛隊の対外活動の役割拡大(在外邦人等の保護措置、米軍等の部隊の武器防護のための武器使用、米軍に対する物品役務の提供等)と、「存立危機事態」への対処に関する法制の整備によって、当たり前のことが当たり前にできるようになったことについても、その功績を多とする。

「日米同盟という観点からも大きな意味がある。平時から米軍の軍艦や軍用機を守ることができるようになったことで、米軍関係者から『日本は変わった』と感謝されました。安倍総理は日米同盟の深化にも大きく貢献された」

首相を退いた安倍氏に河野氏は国会の憲法審査会などでの活躍を期待する。

「退任は残念ではありますが、自衛官として心から感謝申し上げたい。安倍総理も憲法のことではやり残した思いがあるでしょう。一議員として動きやすく、発言しやすくなったので、今後も憲法論議をリードし、頑張ってやっていただきたい」

バナー写真:2018年6月21日、大阪北部地震の被災地を視察に訪れた際、大阪府茨木市で被災者と共に撮影に応じる安倍首相(左から2人目)と河野氏(右端) 河野氏提供

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