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人的被害の9割が東京・横浜に集中 : 関東大震災を振り返る

防災 社会

日本は平成の間に阪神大震災と東日本大震災という2つの大きな震災を経験した。1923年の関東大震災は実体験として知る世代がいなくなったこともあり、語られることが少なくなっているが、近代化以降の首都圏を襲った唯一の大地震を振り返る。

9月1日は「防災の日」。10万人以上の死者・行方不明者を出した関東大震災(1923年)の発災日にちなんで制定された。さらに、台風の接近・上陸の多い時期でもあり、地震だけでなく、台風や豪雨、高潮など自然災害について認識を深め、防災について考える機会として定着している。

関東大震災当時と比べて、現在は耐震化技術や都市防災体制が進化し、住民の防災意識も高まった。一方で、建物の高層化、交通の過密化は当時と比べようもないレベルとなっている。しかし、近代化以降の首都圏を襲った唯一の大規模地震として関東大震災を知ることで、得られる教訓もあるのではないか。

関東大地震が発生したのは、9月1日午前11時58分ころ。「相模トラフ」と呼ばれる相模湾の海溝沿いのプレート境界で生じた。最大震度は7。震源に近い神奈川県西部の山間部では崖崩れや山津波(大規模な山崩れ、土石流)、沿岸部では津波被害が発生した。都市部では地震動で多くの建物が倒壊。昼食時間帯だったために煮炊き用の火が元になって、同時多発的に火災が発生、ほぼ二昼夜にわたる大規模な火災延焼となった。

関東大震災で全半壊、焼失、流失、埋没などの被害を受けた住宅は計37万棟、10万5000人以上の死者・行方不明者が発生した。このうち、火災による死者は9万2000人弱で、死者全体の9割を占める。地域的には東京市(現在の都区部に相当)と横浜市の死者の合計が全体の9割超に相当する9万5000人強に上った。関東大震災が甚大な被害をもたらしたのは、東京市、横浜市での大規模火災が原因だったと考えられる。

関東大震災による住家被害と死者・行方不明者数

  死者・行方不明者
()内は火災によるもの
住家被害
()内は火災によるもの
東京府 70387(66521) 205580(176505)
うち東京市 68660(65902) 168902(166191)
神奈川県 32838(25201) 125577(35412)
うち横浜市 26623(24646) 35036(25324)
その他自治体 2160(59) 41502(436)
全体 105385(91781) 372659(212353)

中央防災会議「1923 関東大震災報告書 第2編」を基に作成

都心部の火災発生時に芝公園(港区)や日比谷公園(中央区)、上野恩賜公園(台東区)が延焼を食い止める役割を果たした。このため、浜町公園(中央区)、墨田公園(墨田区)、錦糸公園(墨田区)の3つの復興大公園をはじめ、多くの小公園が都区部に整備され、現在も近隣住民の憩いの場として活用されている。

明治以降の死者・行方不明者1000人以上の地震災害

発災日 地震名/マグニチュード 死者・行方不明者数
1923/9/1 関東大震災 / 7.9 105385
1896/6/15 明治・三陸地震 / 8.5 21959
2011/3/11 東日本大震災 / 9.0 18430
1891/10/28 濃尾地震 / 8.0 7273
1995/1/17 阪神大震災 / 7.3 6437
1948/6/28 福井地震 / 7.1 3728
1933/3/3 昭和・三陸地震 / 8.1 3008
1927/3/7 北丹後地震 / 7.3 2925
1945/1/13 三河地震 / 6.8 2306
1946/12/21 昭和・南海地震 / 8.0 1432
1944/12/7 東南海地震 / 7.9 1223
1943/9/10 鳥取地震 / 7.2 1083

中央防災会議「1923 関東大震災報告書 第2編」を基に編集部作成。東日本大震災の死者・行方不明者数は2019年3月時点の警察庁まとめ、阪神大震災は2006年の消防庁確報を引用した

バナー写真:関東大震災直後の銀座(時事)

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