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首相の座、“長州藩”占有率3割 : 続く吉田松陰の影響

政治・外交 歴史

安倍晋三首相の在任期間が2019年11月20日、桂太郎氏を抜いて憲政史上最長となった。続く佐藤栄作氏、伊藤博文氏を含め在任期間トップ4はいずれも山口県出身。いったい、なぜ、山口県ばかりが…?

東京から新山口駅まで新幹線で約4時間半。東京を中心に考えれば、山口県は本州の西の端にある遠い場所だ。しかし、山口県は初代の伊藤博文以降、これまでに全国最多の8人の首相を輩出。8人の通算の首相在任期間は2019年11月20日時点で1万5268日となり、初代の伊藤が就任した日からの4万8911日のうちの31.2%を占める。"首相の座"占有率では、山口県が東京を圧倒する。

山口県出身の首相

氏名 最初に首相に就任した日 在職期間
伊藤博文  1885(明治18)  12/22 2720
山縣有朋 1889(明治22)  12/24 1210
桂太郎 1901(明治34)  6/2 2886
寺内正毅 1916(大正5)   10/9 721
田中義一 1927(昭和2)   4/20 805
岸信介 1957(昭和32) 2/25 1241
佐藤栄作 1964(昭和39) 11/9 2798
安倍晋三 2006(平成18) 9/26 2887

官邸ウェブサイトの情報などを基に作成  / 安倍晋三氏の在職期間は2019年11月20日時点

山口県がこれほどの存在感を示すのは、明治維新と深い関わりがある。

山口県は、江戸時代は「長州藩」と呼ばれていた。長州藩士であり思想家でもあった吉田松陰は1857(安政3)年から2年半の間、下級武士や庶民の子弟を教育するための私塾・松下村塾を主宰。倒幕思想を掲げた松陰は1859年の「安政の大獄」で刑死するが、その思想は松下村塾門下の高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋らに受け継がれ、明治維新の原動力となった。

維新後の明治新政府では、伊藤や山縣が権力を握り、大正期まで長州藩と薩摩藩の出身者が交代で政権を担う藩閥政治が続いた。

戦後、山口県出身で最初に首相になった岸信介氏は安倍首相の母方の祖父。非核三原則提唱、沖縄返還実現などでノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作氏は、信介氏の実弟(信介が父方の実家の養子となったため名字が異なる)で、安倍首相にとっては大叔父にあたる。佐藤家もさかのぼれば長州藩士だ。安倍晋三首相は、「尊敬する人物」として、演説やブログなどでたびたび吉田松陰に言及しており、没後160年を経て、今なお影響力を持っている。

山口県が時代の変り目に関わったのは明治維新ばかりではない。平安時代、現在の下関市で繰り広げられた「壇ノ浦の戦い」では、それまで栄華を誇った平家が滅亡し、貴族社会から武家社会への転換点となった。

現在の下関はフグの取扱量日本一の町として名を馳せる。猛毒を持つフグは、豊臣秀吉の時代に食用禁止令が出されるなど、危険な魚として知られていた。1888年、下関を訪れた初代首相の伊藤が、地元で食されていたフグのおいしさに感銘を受け、県令(県知事)に働きかけて食用解禁を実現した。これがきっかけで、全国にもフグ食が広まったとされる。食文化でも、時代の転換に関わっている。

バナー写真:山口県萩市にある松下村塾は、2015年にユネスコの世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つ(時事)

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