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「武蔵」がつく駅は21もある : なぜか「上総」よりも上にある「下総」

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1都1道2府43県、日本には47の広域自治体がある。現在の都道府県に近い区分けが出来上がったのは1888年頃。それまでは飛鳥時代の律令制度に基づいて、北海道と沖縄を除く日本列島は68の国に区分されていた。「旧国名など現代には関係ない」と侮るなかれ。今も、地名や駅名、山の名前などに旧国名は生きており、知っていると意外と楽しく、役に立つ。今回は関東1都6県の旧国名を紹介する。

川崎駅と立川駅を結ぶJR南武線には、「武蔵小杉」「武蔵中原」「武蔵新城」「武蔵溝ノ口」と駅名に「武蔵」の2文字が入る駅が4つ(いずれも川崎市)もある。南武線だけではない。神奈川県、東京都、埼玉県に計21の「武蔵〇〇」駅があるのだ。最も西はJR五日市線の「武蔵五日市」(東京都あきる野市)、最北は東武東上線の「武蔵嵐山」(埼玉県比企郡嵐山町)でかなり広範囲に広がっている。

「武蔵」は明治期に現在の行政区分の原型が出来上がるまでの旧国名で、東京・埼玉のほぼ全域、川崎市、横浜市(戸塚区、瀬谷区などは相模国)をカバーする。ちなみに、東京スカイツリー(東京都墨田区)の高さ634メートルを漢数字で「六三四」と表記して音読みすれば「むさし」となる。晴れて視界が良い日には、展望台から武蔵の国を見渡すことができる。

「相模国」は、神奈川県から横浜市と川崎市を除いたエリアに当たる。現代の感覚では、「大都市は武蔵に取られた」ような印象だが、横浜が歴史に登場するのは、江戸末期に開港してからのこと。中世期は、鎌倉に幕府が置かれ、戦国時代には小田原が後北条氏の城下町として栄えた。

関東1都6県の旧国名と現在の行政区分

武蔵 / むさし 埼玉県全域、東京都、川崎市と横浜市の一部
相模 / さがみ 神奈川県(武蔵国域を除く)
下総 / しもうさ 千葉県北部、茨城県南西部
上総 / かずさ 千葉県中央部
安房 / あわ 千葉県南部
常陸 / ひたち 茨城県
下野 / しもつけ 栃木県
上野 / こうずけ 群馬県

千葉県が房総半島と呼ばれるのは、旧国名の「安房」「上総」「下総」に由来する。「総(ふさ)」は「麻」の古語で、阿波国(あわのくに=徳島県)から黒潮に乗ってやってきた一族が麻の栽培をしたことから「ふさの国」と呼ばれるようになった。

地図を見ると、「下総」が上にあり、「上総」が下にあるのを不思議に思うかもしれないが、これは都からの距離に関係している。かつては、相模国から海路で房総半島に渡ったので半島南側の方が都に近い「上総」なのだ。

都から距離で上・下が決まる法則は「上野」「下野」にも当てはまる。この一帯、もともとは「毛野国/けぬのくに、けのくに」だったが、「上毛野国/かみつけのくに」「下毛野国/しもつけのくに」に分割された。その後、「毛」を省いて表記されるようになったが、赤城山・妙義山・榛名山を上毛三山と呼び、高崎(群馬)と小山(栃木県)を結ぶ鉄道はJR両毛線など、毛野国であった名残をとどめる。

奈良時代に編さんされた『常陸風土記』では、「常陸国」は肥よくで海や山の幸に恵まれた「常世の国(=極楽)」であると記述されている。常陸国と磐城国(=福島県浜通り、中通り南部)を合わせた常磐エリアは、明治期から太平洋戦争期にかけては首都圏に近い産炭地として、鉱工業が発展した。

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