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端午の節句の行事食 : 子孫繁栄の願いを込めた「かしわ餅」

文化

甘い小豆のあんこは最後発。もともとは塩味だったというかしわ餅。かしわの葉っぱで包む意味は…?

5月5日の「こどもの日」は、古くは「端午の節句」として知られる。

「端=初め」の「午=うま」は毎月最初の午の日を示す言葉だったが、「午」と同じ音「五」にちなんで、いつしか5月5日が「端午」として定着したようだ。5月は菖蒲(しょうぶ)が咲く季節であることから菖蒲=尚武(軍事・武道)に転化して、鎌倉時代には、武家に生まれた男子の祝い事とされた。

日本あんこ協会によると、かしわ餅(もち)が端午の節句に食べられるようになったのは江戸時代、9代将軍の徳川家重(1712年~1761年)から10代将軍の徳川家治(1737年~1786年)の頃。餅をかしわの葉で包むのは、かしわの木は新芽が出るまで古い葉が落ちないため、「子孫繁栄」や「家の存続」の願いを込めたという。

ちなみに、1718(享保3)年刊行の、日本初の菓子のレシピ帳『古今名物御前菓子秘伝抄』には、かしわ餅には煮て潰した小豆に塩を加えたしょっぱいあんこを入れていたことが記されている。また、同じ頃に、みそ餡のかしわ餅も作られていたようだ。現代のような甘い小豆餡に変わっていくのは、国産砂糖の流通が進んだ江戸時代後期。

かしわ餅、光沢のない裏面が外側に出るように包んでいる店が多い。餅と接するのをツルツルの表面にすることで食べる際にはがしやすく、餅に葉脈などの跡がつかないようにするためと言われる。(小豆あんと味噌あんを区別するために、裏表を使い分けている店もある)

バナー写真 : PIXTA

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