こいのぼり : 時代とともに1匹から群れで泳ぐスタイルに
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旧暦5月5日「端午の節句」は、夏を迎える前の最も災厄の強い日とされ、 薬草の菖蒲(しょうぶ)を魔除け、幟(のぼり)を神を招く依代(よりしろ)として飾ったという。「菖蒲」が「勝負」につながることから、武家の勇ましさを示すものとして男児の成長を願う節句となり、江戸時代には庶民にも広がった。
『東都歳時記』の「端午市井図」には、多くの幟が描かれている。中でも目立つのが左ページの中央右寄りの鍾馗(しょうき)を描いた絵幟。鍾馗は中国の道教の神で疫病を払うと考えられていた。右ページ左側に「こいのぼり」の行商人。こいのぼりのサイズは小さく、存在感はまだない。
安藤広重の「江戸名所百景」には大空をゆうゆうと泳ぐ巨大なこいのぼりが描かれている。幕末から明治期にかけて、幟旗に代わってこいのぼりが広がったようだ。このころは真鯉1匹スタイル。

『名所江戸百景 水道橋駿河台』(1857年)には何本もの鯉のぼり。出典:Colbase
明治時代後期から大正期になると、真鯉(黒い鯉)と緋鯉(赤い鯉)の2匹を一対として揚げるようになった。武家の発想なので真鯉と緋鯉は父と子(男児)を表していた。唱歌「こいのぼり」(1931年初出)にも「お母さん」は登場しない
屋根より 高い こいのぼり
大きい まごいは お父さん
小さい ひごいは 子どもたち
おもしろそうに 泳いでる

銀座に鯉のぼり=東京都中央区銀座4丁目 1965年4月撮影(時事)
家族観の変化やメーカーの販売戦略とともに、こいのぼりが3匹構成になったのは1970年代頃から。緋鯉はお母さんとなり、子どもはさらに小ぶりの青色で表現されるようになった。
住宅事情の変化とともに、「屋根より高いこいのぼり」を掲げることができる家庭が減少すると、マンションのベランダなどにとりつけるコンパクトタイプが販売されるようになる一方で、東京タワーやスカイツリーなどの観光名所や川などで数百匹のこいを泳がせるスタイルが広がっている。
バナー写真:佐賀県川上峡に泳ぐ五月鯉(PIXTA)


