伝統美のモダニズム “Cool Traditions”

普段使いとしての美術=生活工芸:陶器の魅力

文化 暮らし 美術・アート

かつて観賞用だった美術工芸品がいま、日常生活で使う道具としても人気を集めている。目利きと言われる東京・西麻布のギャラリーオーナーに、生活工芸である陶器の魅力を聞いた。

広瀬 一郎 HIROSE Ichirō

1948年東京に生まれる。71年慶応義塾大学法学部卒業、出版社勤務、飲食店経営を経て、87年より東京 西麻布で、生活工芸を扱うギャラリー「桃居」を営む。

プチ贅沢な日用品

1990年代初頭まで美術工芸品といえば、大手百貨店や有名ギャラリーに飾られている高価な鑑賞用の陶磁器を思い浮かべたものだった。しかし、バブル経済の崩壊に伴い、工芸品の世界にも変化が現れる。「生活工芸品」に注目が集まり、徐々に人気が高まってきたのだ。

美術工芸品は、見たり触ったりする観賞用であるのに対し、生活工芸品は、実際に日常生活で使うための道具でもある。それらの器、木工、ガラス工芸を求め、国内だけでなく海外からも、窯元やギャラリーに足を運ぶ人が増えている。有名作家の作品が人気なのは当然として、無名作家の手による一点物も、プチ贅沢(ぜいたく)な日用品として買われていく。

東京・西麻布の交差点近くにあるギャラリー「桃居」。オーナーの広瀬一郎さんはここで30年間、生活工芸を扱ってきた。訪れた時は、若手現代陶芸家・横山拓也さんの個展が開催されていた。小鉢や湯飲みなら一点3000円ほど。手の届かない価格ではない。「伝統的な和食器でも洋食器でもない、モダンでシャープ、常に同じところにとどまらない作風」とは広瀬さんの評。生活工芸が人気を集めている背景について広瀬さんに話を聞いた。

「桃居」にて個展開催中の作家・横山さん(右)とオーナー・広瀬さん(左)
「桃居」にて個展開催中の作家・横山さん(右)とオーナー・広瀬さん(左)

「自然との共生」:使い込むほど増す陶器の味わい

——日本の「生活工芸」の特徴は。

広瀬一郎 「器」は、毎日必ず使うという意味では衣服にも似ています。体に一番近い道具です。

かつて陶芸は、土や技法などのうんちくを傾けながら楽しむ一部のファンに限られていたところがありました。それが、ここ30年ぐらい老若男女を問わず暮らしと密着した生活を楽しむための道具として器を選ぶようになってきたのです。

いわゆる「生活工芸」と呼ばれる日本の器の面白さは、双方向性にあると思います。作り手が上から目線で一方的に器を客に差し出すだけではなく、使い手がそれをどのように使いこなしていくかによって、さらに育てることができる。どう組み合わせて、どう変化させていくかという楽しみがあります。

「窯から出て完成なのではなく、使い手がその器を選んで、料理を盛って、手持ちの他の器と組み合わせながら使い込むことによって生きてくる」と作り手は言います。

欧州や中国の器にも素晴らしいものがたくさんあります。しかし一般的には、ロイヤルコペンハーゲンやリチャードジノリのようにセットでそろっている物が多く、スープ皿やパン皿のようにそれぞれの役割が決まっています。また欧州や中国には基本的にガラス質の成分を含んだ石粉を材料とした磁器(※1)が多く、堅ろうできれいに使えますが、使い込んで変化を楽しむスタイルではないと思います。

一方、使い手が、さまざまな形の器を他の器と組み合わせて、それぞれの機能を楽しむのが日本の器です。特に土や粘土物の陶器(※2)は吸水性があるので、使い込むことによって、色や形が変化し味わいが増していきます。

岐阜県多治見市で作陶する横山拓也さんの器
岐阜県多治見市で作陶する横山拓也さんの器

また、日本の工芸品・陶器が豊かなのは、自然素材に恵まれたおかげだと思うのです。備前、萩、唐津など、全国のさまざまな窯業地には、原料のベースになる良質の土があり、豊かな森林資源にも恵まれています。工芸は、あくまでも素材として土、木、金属、ガラスなどの持っている「自然性」と、人間の二つの手、いわゆる「身体性」が交錯して生まれます。

自然をコントロールするのではなく、自然と共生することが制作の一番根っこにあるのです。二つの手でち密に細部まで神経を行き届かせ、繊細に一つの物を仕上げる。決して手を抜かないのは、農耕民族の特徴ともいえるかもしれません。工芸品を語るときに、とても大切な資質だと思います。

横山拓也さんの茶わん
横山拓也さんの茶わん

日常に美術品が入り込んだ日本の町人文化

——「美術(ファインアート)」と「工芸品(クラフト)」との違いは。

広瀬 明治時代(1868-1912年)になって、初めて西洋から「美術(ファインアート)」という概念が入ってきました。欧州では主に貴族向けに美的制作物を作り鑑賞するものが「美術品」。ヒエラルキーのトップにあるものを作る人々をアーティストと呼んでいました。一方職人(アルチザン)が作るものはワンランク下に見られ、工芸品と呼ばれていました。例えるなら、美術品が上階、工芸品が1階にある2階建ての構造です。

一方、日本は、美術品と工芸品が並列に共存する平屋造り。一部特権階級向けのものもありましたが、庶民のふすま絵やびょうぶ絵のように、かなり早い時期から美的制作物が生活空間に溶け込んでいました。工芸品と呼ばれる茶の湯の道具も、床の間の掛け軸やお手洗いに野の花を飾る花瓶も、季節ごとに替えていました。特別に仰ぎ見る鑑賞芸術というより、庶民階級や町人文化の日常に美術品が入り込んでいたのです。

明治維新以来の150年は、西洋からの影響や衝撃の数々を受け止めて、それをどのように日本人に合うように和様化するかの実験をしてきていた時代のような気がします。受け入れてきた明治以降の異文化が、90年代を過ぎて少しずつ新しい在り方に変わってきたのでは、と感じています。

横山拓也さんの小鉢
横山拓也さんの小鉢

——バブル経済崩壊後から、今までの美術・工芸の流れについて伺います。

広瀬 1980年代までは日本でも美術鑑賞的な陶芸が主流でした。それが90年代に入るとバブル経済が崩壊し、日本の社会構造が変化し、経済成長期から成熟期へと移行していきました。一般に「失われた20年、30年」といわれる時期です。社会の変化と同時に、美的制作物も「美術的・鑑賞的工芸」から日常使いの「生活工芸・陶器」へと変わっていったのです。

90年代は「鑑賞的な陶芸」に対抗する形で「生活工芸」が立ち上がった模索期、興隆期と言えます。2000年代になると「生活工芸」が花開き、個人作家の器を取り扱う店やギャラリー、ライフスタイル雑誌、ウェブサイトが次々と登場し、クラフトフェアや陶器市に人が集まり、器が工芸の世界で大きな存在感を示し始めました。

暮らしの中でより使いやすく、使い手によって変化していくような器を作っていきたいという作家が次々と生まれて、多様化してきたのがこの30年ぐらいと実感しています。

「これが好きだ」が出発点

——「生活工芸」の将来はどのようになっていくでしょうか。

広瀬 今後10年、20年先を考えると、社会の分断と階層化はますます進むと思います。工芸や陶芸自体もさまざまなレイヤー(層)に分かれていくと思います。美術工芸的な超絶技巧的な作品を目指す作り手も出てくるでしょう。陶芸のジャンルでも、作家の個性を強く打ち出す人、ユニットを組んで匿名的な器作りを目指す人、雑貨的な方向で作陶する人などの層に分かれていくでしょう。その志向するところはさまざまに分岐し、接点を持たない状況も考えられます。

ある意味、本当に力のある作家、魅力のある作家だけが生き残る時代になるでしょう。

モノの背後には、作り手が何にこだわって生きてきたかが必ず隠されていると思います。これを生み出したい、という衝動を感じさせる作品に魅力を感じます。自分はこれが好きだ、これがいいんだという感覚を磨き、こだわることが重要になってくると思います。

——ありがとうございました。

ギャラリー「桃居」

バナー写真: ギャラリー「桃居」でインタビューに答える広瀬さん。

写真撮影=川本 聖哉

(※1) ^ 「磁器」:ガラス質の成分を含んだ石英や長石などの陶石を粉砕した石粉が主な材料で、粘土と混ぜて使う。焼きが固く緻密で薄手。ほぼ白色。ロイヤルコペンハーゲンや伊万里焼など。

(※2) ^ 「陶器」:主に陶土と呼ばれる粘土を焼く。ひび割れが起きやすいため、ガラスの材料となる珪石(けいせき)や長石を混ぜる。焼きが軟らかく厚め。楽焼、萩焼、唐津焼など。

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