家を背負って全国放浪:アーティストが問いかける現代社会の矛盾
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2021年6月11日時点の日本では、新型コロナウイルスの影響により、日常的にマスクをつけることが求められている。外出時に携帯電話や財布を忘れても、マスクだけは忘れてはならない。そんな雰囲気である。でもマスクは息苦しいので、できればつけたくない。だから外せる時には外すようにしている。
マスクはどんな時に必要なのか。 例えばスーパーで野菜を買ったり、カフェを利用したり、バイトをしたりといった時が思い浮かぶ。こうやって書き出してみると、どれもお金に関係している時だと気がつく。お金を使うとは、つまり他の人間と関わりを持つことである。マスクはその逆で、他の人間に対して自分の飛沫(ひまつ)を飛ばさないために関係を遮断するものだ。お金は人間同士の関係を作り出し、マスクはそれを断ち切る。
「住み方」を開発し、「作品」として発表
僕は毎日お金を介して他の人間と関係を結びながら生きているので、全ての社会問題を自分の生活と切り離すことができない。2011年に東日本大震災が起こり、福島第1原子力発電所の事故がきっかけでこの事実に気がついた時、これまでの生活を続けるのが息苦しくなってしまった。再稼働反対のデモに参加しながら自分が使ったお金がどこかで原発を動かしているかもしれないとか、コンビニで飲み物を買う時に商品を運搬するドライバーの睡眠時間を削っているかもしれないとか、そんなことをつい考えてしまう。
仕事をして、家賃を払って、スーパーで買い物をする──。そんな普通の生活に少しずつ耐えられなくなっていった。そして、何だか自分が生活を「させられている」気分になった。そうした生活が原発事故を引き起こし、故郷を追われる人を生み出してしまう。僕たちは閉じ込められている。サバンナかアマゾンに行き、一人で狩猟採集生活でもしない限り、この閉じられた輪の外に出ることはできない。
このことに気がついた以上、僕はアーティストとして新しい「住み方」を開発し、それを「作品」として発表しなければならない。そう結論した。そして14年2月から、週7日のアルバイトの合間を縫ってアパートの自室にこもり、2カ月ほどかけて発泡スチロール製の小さな家を完成させた。屋根瓦や鍵付きのドア、窓、表札もある。アルバイトを辞め、4月からこの家を背負い、アパートを出て「移住を生活する」を開始した。以来7年間、僕は発泡スチロールの家を背負って、断続的にこの「住み方」を続けている。

茨城県常陸太田市の工務店の工房(2014年5月23日)
「敷地」が変わるたびに変わる「間取り図」
「移住を生活する」とは、一言で言うと発泡スチロール製の「家」を背負って歩き、移動生活をすることだ。始める前は、路上にこの家を置いて眠ればいいと思っていた。しかし最初の夜にこの考えは甘かったことが分かった。道端に家を置いたまま銭湯に行き、帰ってくると僕の家は警察官に囲まれていたからだ。そして、「これは不法占拠です。今すぐ分解して持ち帰ってください」と言われた。その一件以来、家の「敷地」を探すのがこの生活を送る上で必須になった。この国のほとんどの土地は誰かの所有物であり、勝手に物を置いたままにしておくことができないのだ。

岩手県大船渡市の中学校の校庭に建てられた仮設住宅(2014年6月24〜25日)
「敷地」は、お寺や神社の境内を交渉によって借りることが多い。チャイムを押し、その土地の持ち主に「家を持って移動生活をしているのですが、明日の朝までこの家を置かせてもらえませんか?」と言う。うまくいく時もあるが、断られる場合も多い。断られたら次の敷地を探して交渉する。敷地が見つかるまでは10キロほどある家を肩から下ろせない。そんな毎日を送るうちに、自分の「家」が、家としては不完全である事実に気づいた。家の最も重要な機能は「寝室」である。しかし僕の家は、誰かに敷地を借りるまでは地面に置くことすらできない。敷地を得た時、僕の「家」は初めて家になる。

青森県八戸市にあるキャンプ場(2014年7月11日)
しかし、僕はただ起きて眠るだけの生き物ではない。人間なので、何か飲み食いしなければならないし、トイレにも行きたくなる。シャワーも浴びたいし、歯も磨きたい。でも僕の家は、寝室でしかない。では、どうするか。それらを街に探すのだ。僕はこの行為を「間取り図を描く」と呼んでいる。

間取り図01
コンビニやドラッグストアを「トイレ」と呼び、銭湯やネットカフェを「風呂場」と呼ぶ。電源のあるカフェは「書斎」、コインランドリーは「洗濯機」である。敷地が変わるたびに間取り図が変わる。そうして僕は、小さな家ではなく、数百平方メートルの巨大な家の住人となる。

間取り図02

間取り図03
しかし、カフェや銭湯の利用にはお金がかかる。どうするかというと、初めは行く先々でアルバイトをしていた。映画『ノマドランド』のように。レストランで皿洗いをしたり、建設現場で働いたり。最近は原稿執筆や展覧会の仕事も増えてきた。そうやって稼ぐ。

千葉県流山市の寺院(2015年6月7日)
僕はお金を稼ぐ方法について、「移住を生活する」を始める前には何も考えていなかった。20万円ほどの貯金(僕はこれを「初期費用」と呼んでいる)だけを持って、それがなくなった後のことは「どうにかなるだろう」と思っていた。始める前からあれこれ考えても仕方がない。なぜなら今の自分と未来の自分とでは、経験値が違うからだ。僕は未来の自分を信じた。

熊本県熊本市の熊本地震被災地(2017年8月11〜27日)
電車によって傷つけられた住む街への誇り
この生活を続ける中で、いくつか重大なことに気づいた。
例えばお金の役割について。
家はもちろん着替えが詰まったバックパックを含め全ての荷物を背負って歩いているので、移動中はできるだけ身軽でいたい。水や食料は生きるのに欠かせないけれど、とても重いので必要な時だけ手に入れるようにしたい。そこでお金の出番である。500ミリリットルの水は100円で買える。水の重さは500グラムもあるのに、100円玉は5グラムしかない。お金は軽いのだ。重いものと交換できるのがお金の神髄である。シャワーや洗濯機も同様に、とても重いので持ち歩くことはできない。しかし、お金と交換すれば利用できる。

鹿児島県鹿児島市の古里公園のあずまや(2017年11月24日)
例えば土地の割合について。
僕は賃貸アパートに住んでいた時、生活の全てを街の中で済ますことができた。友人に会うためにその街を出る場合もあるけれど、行く先もまた街だった。他の街へは車や電車で向かい、移動中は運転に集中するか、iPhoneをいじっているだけなので、点と点を結ぶように街から街へ移動していた。街の「外側」のことを考えていなかった。しかし移動生活をしながら日本を何百キロも歩いていると、この国のほとんどが山と川と海でできている事実に気づいた。街になっているのはほんの一部、体感で言うと5パーセントくらいにすぎない。そんな狭いところに住みながら、僕は「日本に住んでいる」と思っていた。能天気なことだ。

〈Map Of Japan 2015〉制作:村上慧
例えば車や電車の移動がもたらす暴力について。
車や電車は便利だ。歩行とは比べられないほど速い。しかし同時に暴力的で、土地の可能性を狭める道具でもある。これらの乗り物は人間の生活を「停留」と「通過」の2つに分けてしまう。駅がつくられた街は発展し、駅がつくられなった街は衰退する。その結果さびれてしまった街を、僕はいくつも見た。そうした街に暮らす人々はみな「この街は不便だから」と嘆く。僕は正直怒りを覚えた。「自分の街への誇りが電車という機械によって奪われている」と思った。

東京都世田谷の複合店舗の2階(2019年3月26日)
「住むこと」自体が芸術
生活はどんな人間にもついて回る。先ほど書いたように、僕は移動した先でシャワーを浴びたいし、ご飯を食べなくてはならない。トイレにも行くし、電源も必要だし、Wi-Fiがあればなおうれしい。もっと言うと映画館も美術館も百貨店もあったらさらに良い。そういうものを「移住を生活する」の中では、「間取り図」を作りながら一つずつ探していく。今日は風呂がないかもしれないとか、トイレが遠いとか、そういうことを毎日考えて「家」を組み立てないといけない。そしてそれには、時間がかかる。だからこの生活は忙しい。家の敷地を間違えれば、ご飯が手に入らなかったり、シャワーがなかったりする。家賃を払うというのは、そういうものをパッケージ化した場所を手に入れる経済行為だ。つまり、時間を買うことに他ならない。

東京都台東区のシェアオフィスのイベントスペース(2020年3月17〜18日)
僕たちは労働によって時間を売り、家賃を払うことによって時間を買っている。この反復運動が資本主義社会を拡大させてきた。しかしこうした生産と消費の無限のサイクルが、原発事故や電車の脱線事故やウイルスのパンデミックを生み出し続けている。だから、日々の生活という水中から、顔だけでも水上に出して、自分がどんな水に浸(つか)かっているのか、自らの目で確かめなければいけない。

石川県能登町の建設事務所の駐車場(2020年12月8日)
そのために僕は「制作」へ向かうしかないのだ。人間ならば、この世界に「生活させられ」てはならない。僕が好きな建築家・吉阪隆正(よしざか・たかまさ、1917〜80)は「住宅は身体の延長なんだから、そもそも人の家を他人が作るなんておかしな話なんだ」と言った。「住むこと」は、それ自体が制作行為であるべきなのだ。
現在僕は都内に借りているアトリエを拠点に、「移住を生活する」を続ける中で考えてきたことを応用し、さらに新しい「住み方」を制作するために準備を進めている。いま力を入れているのは、街中に「広告看板」を作り、その広告収入を使って看板の中に住む「広告看板の家」というプロジェクトである。そこでは生活に使うエネルギーの一部を自作する。落ち葉の発酵熱を利用して居室を暖めたり、水の気化熱を利用して居室を冷やしたりする。そんな実験を繰り返している。
僕はこの「住むという制作」を今後も続けていきたい。

石川県金沢市の花屋(2020年12月17日)
撮影:村上慧
バナー写真=家を背負って歩く筆者(撮影:内田涼)