感染症の文明史 :【第1部】コロナの正体に迫る

1章 新型コロナの正体を探る:(3)「ロシア風邪」の正体はコロナウイルス?

科学 社会 暮らし 環境・自然・生物 歴史

19世紀末に流行した「ロシア風邪」はインフルエンザウイルスによるものでなく、コロナウイルスによって引き起こされた可能性がある。さらに2019年に発生した新型コロナウイルスは、今までおとなしくしいたこのコロナウイルスが暴走したのかもしれない。

誰でもかかるコロナ風邪

前回紹介したロシア風邪の正体は何か? それを探るためには何らかの手掛かりが必要だ。

私は駆け出しの新聞記者だった時代に、サツ回り(警察担当記者)を経験したことがある。結果は「他社に特ダネを抜かれっぱなし」という惨憺(さんたん)たるものだったが、叩き込まれた先輩の教えは少し頭に残っている。そのひとつが、「まず、ターゲットに近い関係者を洗え」という教訓だ。

これまでヒトや動物から、さまざまなコロナウイルスが発見されている。「国際ウイルス分類委員会」が定めた「コロナウイルス科」には46種が属している。このなかで、ヒトに感染した前科のあるのは新型コロナを含めて7種。そのなかの4種が「コロナ風邪ウイルス」である。ここでは、「コロナ4姉妹」としておく。

「コロナ風邪」は名前こそあまり知られていないが、もっとも身近な新型コロナウイルス感染症の“関係者”である。何らかの秘密をにぎっているはずだ。風邪には200種以上のウイルスが関与するといわれる。まとめて「風邪症候群」とよばれる。「ライノウイルス」や「アデノウイルス」などの名は聞いたことがあるだろう。成人は平均して年に2~3回、子どもは5〜6回ほど感染する。これらの風邪は、インフルエンザと区別するために、「ただの風邪」と呼んでおく。

実は「ただの風邪」のうちの10~15%(流行期35%)が、コロナ4姉妹によるものだ。症状は他の「ただの風邪」と変わらない。山形県衛生研究所は、10年以上県内のコロナ風邪の発生状況を調査しているが毎年発生している。

コロナ風邪は社会に広く深く根を下ろしている。日本人の成人の9割以上が、4姉妹のいずれかに感染した証拠である「IgG抗体」を保有している。短期的にしか発現しない「IgM抗体」に対して、IgG抗体は長期的に持続する抗体である。このIgG抗体を調べると過去の感染記録が判明する。大部分は6歳までに感染し、加齢とともに保有率も高まっていく。「抗体」は新型コロナの検査ですっかりなじみになったが、ウイルスや細菌などの異物(抗原)が体内に入ってきたときに、攻撃したり体外に排除したりするためにつくられるタンパク質のことだ。

4姉妹のウイルス名が難解なので、便宜上それぞれにナンバーを振って図表にした。

風邪を引き起こす4種類のコロナウイルス

いずれも、1965年以降に発見された新顔のウイルスだが、起源は何百年も前にさかのぼる。かなり前からヒトの集団内を循環してきたのだろう。もとは感染症を引き起こすウイルスの保有動物として評判の悪いコウモリ類や齧歯(げっし)類が自然宿主であり、素性の怪しさが漂う。ときどきは、強毒化する変異を起こして、悪さをしでかしてきたのに違いない。

カギを握る牛コロナウイルス

話を「ロシア風邪」に戻そう。過去の文献をあさっていくと、以前から一部の研究者はロシア風邪のインフルエンザ説に疑問符を付けていたことが分かってきた。ロシア風邪は季節性インフルエンザと初期症状は似ていても、その後の症状はかなり異なっているからだ。しかも、新型コロナでみられるように頻繁に変異株をつくりだし、波状攻撃をしかけ、しかもインフルエンザに比べて格段に感染力が強い。

「ロシア風邪の原因となったウイルスの正体は、インフルエンザウイルスではなくコロナウイルスだったのではないか」と最初に指摘したのは、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学のリーン・ヴァイゲンのグループだ。牛の呼吸器や消化器に病気を起こす「牛コロナウイルス」(BCoV)から変異したウイルスが、ロシア風邪を引き起こした可能性が高いとする論文を、2005年に発表していた。

ベルギーでは「ロシア風邪」のパンデミックに巻き込まれて、レオポルド1世の次男ボードゥアン王子が21歳で亡くなったこともあって、この風邪に対する関心が高かった。そのため、ロシア風邪について書かれた文献や新聞記事が多数残されている。

流行当時の医師の記録や新聞報道を点検すると、インフルエンザ感染者にはあまりみられないコロナウイルス感染症に特有の「味覚や嗅覚の喪失」や「強い倦怠(けんたい)感を伴った発熱」、あるいは顔面神経痛、迷走神経障害、末梢(まっしょう)神経の障害など「神経疾患」がかなり高い頻度で見られたことが分かる。

牛コロナウイルスは牛や羊などの反芻(はんすう)動物に感染して、とくに子牛には致命的な障害を引き起こす。現在でもヨーロッパを中心に散発的な流行が発生している。この病気は以前から知られていたが、原因のウイルスが分離されたのは1972年のことだ。ロシア風邪が流行する直前に、牛コロナウイルスによる感染症が流行していたことは分かっている。当時の政府の記録では、牛の感染症が壊滅的なまでに広がって他国への牛の移動を禁止するなど、国際問題にまでなった。

ベルギーの研究グループが牛コロナウイルスのゲノムを追求していった結果、コロナ4姉妹の次女(HCoV-OC43)と遺伝子配列が95%一致した。それを受けて、パリ大学名誉教授のパトリック・ベルシュは、こんな仮説を提示した。牛コロナウイルスが突然変異を起こし、牛からヒトにスピルオーバーして感染力の強い変異株が生まれた。仮に「高病原性ロシア風邪ウイルス」としておく。これがロシア風邪として世界的大流行を引き起こしたのではないか。

スピルオーバーとは「波及効果」の意味だが、感染症学では「種の壁を乗り越えて別の宿主に乗り換える」ことを意味する。私たちを苦しめている病原体の多くは、過去に動物からスピルオーバーしたものだ。スピルオーバーによってウイルスの感染性が高まることが知られている。

これを裏付けたのが、デンマーク工科大学のゲノム解析の専門家アンダース・ゴーム・ペダーセンらだ。ウイルスが宿主の細胞内に侵入すると、ウイルスはそのゲノムを乗っ取って自分のコピーをつくらせて増殖をはじめる。このコピーを繰り返すうちにミス(変異株)が発生する。性質が変わってしまうような大きな変異が「突然変異」である。

牛コロナウイルスはゲノム分析で過去にもたびたび突然変異を繰り返したことが分かった。その突然変異が一定の間隔で起きるという前提で逆算すると、牛コロナウイルスは1890年ごろにも突然変異を起こしたことになる。「高病原性ロシア風邪ウイルス」による感染症の流行発生と時期が一致する。

コロナ4姉妹の前科

では、次女の「コロナウイルス②」はどうなったのだろうか。ロシア風邪はその後、すっかりおとなしくなった。多くの人が感染したためにできた「集団免疫」によって、流行が止まったのではないか。次女はヒトとの平和共存の道を選び、「ただの風邪」へと変身した「高病原性ロシア風邪ウイルス」の末裔と考えられる。過去にパンデミックを起こしたインフルエンザウイルスも、現在ではおとなしくなって消滅したり季節的に流行したりするだけになったものが多い。

次女にはあやしげな過去があったが、他の3姉妹はどうだろうか。「コロナウイルス①」は中間宿主が南米の家畜アルパカというラクダ科の意外な動物だった。2007年に肺炎にかかったアルパカの肺を調べたところこのウイルスが発見された。近年、MERS(中東呼吸器症候群)ウイルスと遺伝子配列がかなり近いことが分かってきた。MERSウイルスは新型コロナウイルスの兄貴分にあたり、中間宿主はヒトコブラクダである。この兄弟関係については別の機会に解説するが、進化の途上でコロナウイルスがラクダとどう関わったのかはナゾである。

「コロナウイルス③」はすべての呼吸器疾患の10%の原因になっているとされる。感染しても症状は軽い。ゲノムは「コロナウイルス①」によく似ている。遺伝子の変異からみて、両者は11世紀に分岐したと推定される。しかし、まだおとなしくなりきったわけではない。乳幼児が感染した場合には、重症化する危険性もある。「コロナウイルス④」は2004年1月に香港で2人の小児の入院患者から発見された。過去にも世界的に流行したことが判明したが、正体はよく分かっていない。

「ロシア風邪」強毒化の可能性も

新型コロナが広がった2020年になって、過去の資料が発掘され「ロシア風邪」を見直す機運が生まれた。ロシア風邪を研究した数少ない医学史家の1人である米ヴァージニア工科大学のトム・ユーイングは、コネチカット州保健委員会の1890年の報告書を精査して、新型コロナとの顕著な類似点を指摘、ロシア風邪のコロナウイルス説を支持している。

一方で、「臨床的証拠」だけで決定的な「物的証拠」がないことを理由に、ロシア風邪のコロナウイルス説を疑問視する研究者もいる。たとえばスペイン風邪の場合には、アラスカの永久凍土に埋葬されていた冷凍遺体の肺組織から、古いウイルス遺伝子の断片が採取できた。そのゲノム解析から一挙に研究が進展し、ウイルスの正体が明らかになった。

現在、各国の研究者が病院や研究機関に当時のロシア風邪の組織サンプルが残されていないか、捜索をつづけている。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学の研究者は、2003年に高齢者施設で呼吸器感染症が発生、入所者と介護関係者436人が感染して8人が死亡した集団感染の原因が次女の「コロナウイルス②」であったことを最近突き止めた。つまり、一度は「弱毒化変異株」になったはずの次女が先祖返りして「強毒化」したというのだ。

ロシア風邪のコロナウイルス説が正しいと仮定して、ロシア風邪は今回の新型コロナとどのような関係にあるのだろうか。この解明にはロシア風邪のゲノムが必要だが、両者の臨床像(病気の症状の総合的所見)や疫学的な手がかりが酷似していることから、強毒性ロシア風邪が「再興感染症」として登場した可能性もある。再興感染症とは、一度は制圧されたものの再流行しはじめた感染症のことだ。あるいは、多くの人びとがコロナ風邪などから獲得した自然免疫を回避できるような変異を起こしてふたたび現れたのか、今後の研究が待たれる。

バナー写真=毎年新年の初営業日、東京・神田明神に何千人もの企業の代表者や個人が、幸運と繁栄を祈るために参拝する。2022年1月4日撮影(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Photo by Carl Court/Getty Image)

ロシア 医療 生物 医学 医療・健康 パンデミック 社会 コロナウイルス ウイルス コロナ禍 シリーズ感染症の文明史 コロナの正体