感染症の文明史 :【第1部】コロナの正体に迫る

2章 新型コロナはどう広がったのか:(2)コウモリから野生生物、そしてヒトへと感染した新型コロナウイルスが中国から全世界へ拡散

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パンデミック(世界的大流行)の起点となる最初の感染者=ゼロ号患者が武漢で確認されたのは、2019年11月17日とも12月11日とも言われる。それよりも前の10月から武漢ではネット上で「発熱」などの検索ワードが急上昇していたとの調査結果もある。武漢から始まった新型コロナウイルス感染症は、旧正月の大移動で1月下旬には中国全土に広がり、猛烈な勢いで世界に拡散していった。

新型コロナウイルスの中継者?

これまでの調査の積み重ねから、新型コロナウイルスを保持していたのはキクガシラコウモリである疑いが強まっている。体長6~8センチ。鼻の周りの複雑なひだ(鼻葉)が菊の花に似ていることが和名の由来となった。欧州から北アフリカ、インド北部、中国、オーストラリア、日本などにかけて分布する。日本には近縁で小型のコキクガシラコウモリも生息しているが、東京大学の研究者グループが調べたところ、新型コロナに近いウイルスが発見されたもののヒトに感染する可能性は低いとされた。

キクガシラコウモリ

武漢ウイルス科学研究所新興感染症センター長の石正麗(せきせいれい)によって、キクガシラコウモリが保持するウイルスは遺伝的な多様性が極めて高く、数百種ものコロナウイルスを保有していることが分かった。しかしながら、中国でのキクガシラコウモリの生息地は主に雲南省。湖北省の武漢から約1600キロも離れていてコウモリが飛来できる距離ではない。「何者」かが中継してウイルスを武漢の華南海鮮市場に持ち込んだと考えるしかない。

その「何者」の候補探しがはじまった。まず疑われたのが、センザンコウとジャコウネコだ。センザンコウは全身をウロコで覆われた小型の哺乳類。アリを主食餌としている。そのウロコは漢方薬として中国やベトナムで珍重され密猟が絶えない。アジアとアフリカに分布する8種すべてが絶滅の危機に瀕(ひん)している。

ジャコウネコは猫ほどのサイズ。アフリカ大陸とユーラシア大陸に生息する。香水原料のジャコウを分泌することで知られる。香港大学と広西医科大学の研究チームが野生動物の取引業者から買い取ったり、税関で押収したりして分析したところ、2つの個体が新型コロナに部分的によく似たウイルスを持っていた。

その後の調査でタヌキ説が浮上した。ドイツの研究所がタヌキがコロナウイルスに容易に感染することを実験で確かめ、毛皮を取るために中国で1400万頭も飼われているタヌキも感染に関わった可能性を排除すべきではないとする論文を発表した。

諸説あるが、おそらく、コウモリのふん尿などに接触して感染した動物が、捕らえられて市場で売られていたという筋書きがもっとも有力だろう。しかし、依然としてコウモリとヒトを結ぶ中間宿主(しゅくしゅ)は確定していない。

市場で売られた動物に感染源疑惑

中国の市場では、「野味」と呼ばれる野生動物を買って料理して食べるのはごく普通の習慣だ。武漢市の広大な「華南海鮮市場」には653の店舗が軒をつらね、鮮魚や野菜だけでなく、生きた動物まで売っていた。地元民の証言では、キツネ、アライグマ、イノシシ、シカ、ウサギ、アナグマ、オオサンショウウオ、ヘビ、カエル、ネズミ、ワニなどだ。

私はこんな経験をしたことがある。以前に山東省の地方都市をひとりで旅行していたときのこと。料理屋に入ったらメニューもなく、言葉が通じずに注文ができない。困っているとコックが私の手を引いて店の奥の調理場に連れていってくれた。

そこには、生きたヘビ、トカゲ、カメ、ハクビシンなどが檻(おり)に入れられて積み上げられていた。まるでペット売り場だ。まだ原形をとどめる死んだサルや大型のネズミなどもぶら下げられている。これでは、ヒトと動物の濃厚接触が起きない方が不思議だ。

しかし、武漢の華南海鮮市場が新型コロナの震源になったとする国際的な批判を中国政府は全面的に否定した。その一方で、2020年2月には野生動物の売買を禁止し、この海鮮市場を封鎖して4月には取り壊してしまった。

警察は国内の海鮮市場、飲食店、露店などを一斉に取り締まり700人近くを逮捕した。容疑は野生動物の捕獲・販売・食用に対する禁止措置違反である。そして、リス、イタチ、イノシシなど約4万頭の野生動物を押収した。政府が2016年発表した報告によれば、公式に認可された食用の野生動物の売り上げは、年間推定約200億ドルになるという。中国人の胃袋、恐るべし!

国際社会から華南海鮮市場や武漢ウイルス科学研究所の調査を求められたものの、中国政府は消極的だった。数カ月にわたる交渉の末、2021年1月になってようやく世界保健機関(WHO)の国際調査団を受け入れたが、華南海鮮市場は取り壊された後で、感染経路を探るための材料はまったく残されていなかった。

国際調査団の報告書は再三延期され、3月末になって公表されたものの、中国側の意向が強く反映されて具体的な成果はほとんどなかった。日米など14カ国は「WHOの調査は時機を失し、生データや検体の分析結果が公表されなかったことに共通の懸念を表明する」と批判のメッセージを出した。

ゼロ号患者は未確定

感染症の流行で最初に感染したヒトを「ゼロ号患者」と呼び、感染源を特定するにはこの初発感染者の調査が欠かせない。病院に運ばれた患者のカルテの再検討から、中国の武漢で最初に新型コロナとみられる感染者が確認されたのは、2019年11月17日だ。55歳の湖北省の住民だったとされるが、公的には確認されていない。一方で、同年12月11日に発症した華南海鮮市場の売り子とする説もあった。

2020年1月11日になって武漢衛生健康委員会が、市内の華南海鮮市場で新型コロナウイルス感染症が発生した可能性が高いとWHOに報告。12日にはウイルスのゲノムが研究者によって公開され、翌13日には新型のコロナウイルスであることが確認された。

広東省広州市の南方医科大学の研究者チームは、遺伝子の変異から推定して2019年9月23日から12月15日の間に武漢に新型コロナウイルスが侵入した可能性が高いと発表した。武漢市内では、10月ごろからネット上で「発熱」「呼吸器の異常」といった検索ワードが急上昇したとする調査結果もある。

SARS(ウイルス名はSARS-CoV)に近いことから、「SARS-CoV-2」 という名称がつけられた。当初は、「新型コロナウイルス」と呼ばれたが、2020年2月にWHOは「COVID-19」と統一した。これが、世界を揺るがす大パンデミック(世界的大流行)になると予想した専門家はほとんどいなかった。

武漢から世界各地に猛スピードで拡散

春節(旧正月、2020年は1月24〜30日までの7連休)の大移動に伴って、1月中旬から下旬にかけて中国の他の省にも感染が一挙に拡大した。武漢は鉄道や高速道路のハブであり、1月30日に7800人を超える感染者が確認され、WHOは「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。

新型コロナウイルスは猛烈な勢いで中国から世界中に拡散していった。2020年1月14日には、中国の武漢に滞在して帰国した神奈川県在住の30代の男性が新型コロナの陽性者と判明、日本国内のゼロ号患者になった。20日までには、タイ、韓国などでも相ついで陽性者が発見された。米国のゼロ号患者は、武漢を旅行して帰国したワシントン州の男性で、21日に陽性と分かった。

24日には、ヨーロッパで最初の感染者がフランスで見つかった。ドイツでは27日にミュンヘン近くの自動車部品工場で初の陽性者が出た。イタリアでは、31日までに中国から帰国した2人の観光客が最初の感染者として確認された。そして3月中旬には中国を抜いて、イタリアが世界でもっとも感染者の多い国になった。

その1週間後に米国はイタリアを上回り、感染者最多国となった。各国は入国を制限し、主要都市では相次いでロックダウン(都市封鎖・移動制限)が実施された。WHOは3月11日に「緊急事態宣言」を格上げして、創設以来6回目となる「パンデミック宣言」を発出した。

2章 新型コロナはどう広がったのか:(3)中国起源説をめぐる論争  に続く

バナー写真=世界に先駆けて全国的なロックダウンを実施したイタリア・ベニスのサンマルコ広場でゴミ箱を消毒する作業員。2020年3月11日撮影(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Photo by Stefano Mazzola/Awakening/Getty Images)

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