感染症の文明史 :【第1部】コロナの正体に迫る

患者よりも保健所を守るために予算を投入:新型コロナが浮き彫りにしたニッポンの病理(対談 後編)

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医療ガバナンス研究所の上昌広理事長は、臨床医として現場に立ちながら、世界の新型コロナ対策の情報を収集、日本の対策の矛盾を厳しく指摘してきた。シリーズ「感染症の文明史」の執筆者・石弘之氏も日本の医療行政はどこかいびつだと言う。パンデミックの約3年間を振り返り、次なる感染症の脅威にどのように向き合うかを語り合ってもらった。

石 弘之 ISHI Hiroyuki

環境史・感染症史研究者。朝日新聞社・編集委員を経て、国連環境計画上級顧問、東京大学・北海道大学大学院教授、北京大学大学院招聘教授、ザンビア特命全権大使などを歴任。国連ボーマ賞、国連グローバル500賞、毎日出版文化賞などを受賞。主な著書に『名作の中の地球環境史』(岩波書店、2011年)、『環境再興史』(KADOKAWA、2019年)、『噴火と寒冷化の災害史』(同、2022年)など。『感染症の世界史』(同、2018年)はベストセラーになった。

上 昌広 KAMI Masahiro

医療ガバナンス研究所理事長。1993年東京大医学部卒。99年同大学院修了。医学博士。虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の診療・研究に従事。2005年より東京大学医科学研究所において探索医療ヒューマンネットワークシステム(現・先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。16年3月に退職し、4月より現職。星槎大学共生科学部客員教授、「周産期医療の崩壊をくい止める会」「現場からの医療改革推進協議会」事務局長を兼務。主な著書に『日本のコロナ対策はなぜ迷走するのか』(毎日新聞出版、2020年)『厚生労働省の大罪:コロナ政策を迷走させた医系技官の罪と罰』(中央公論新社、2023年)など。

予算規模は米国の十分の一、期待薄の日本版CDC

石 弘之 今回のパンデミックは、これまでの日本の在り方では対応ができなかったのですね。

上 昌広 最大の問題は、患者の命より国家の体面を優先したことです。これも明治時代から続く“千代田幕府”のやり方が影響しています。感染症法は旧内務省の衛生警察という特別高等警察(特高)と同じグループが行ってきた思想警察のようなやり方を踏襲してきました。その頃から基本的設計も思想も変わっていません。

 マスクに関してもいろいろと問題がありました。

 保健所がパンクしないように、マスクをしている人を濃厚接触者から除外したので、マスクが有効でないと困る。それもさかのぼって考えると、どうしても守りたい保健所があるからなんです。保健所の積極的な疫学調査や検査には全てポストが割り当てられ、予算がつきました。

 だからマスクを着用させるためには飛沫感染であるという前提にしなければいけないわけだし、メディアもその尻馬に乗ってそんな風に書きたてた。今回のパンデミック対策では、現実と乖離(かいり)した制度に基づいてさまざまな政策が行われたというわけですね。

そんな中で、2025年度以降に日本版CDC(米国疾病予防管理センター)を創設することが決まりました。しかし、感染症を専門とする研究者の層の薄さや予算規模をみても、日本で実効性を伴った組織が果たしてできるでしょうか。2020年度の国立感染症研究所(感染研)の常勤職員は約360人。CDCには、全米と世界各地に医師や研究者など約1万600人の職員がいます。資金力の差も大きい。医学研究の元締めでもある米国立衛生研究所(NIH)の年間予算(2022年)は約102億ドル(約1兆4000億円)。それに対して、日本の医学研究をつかさどる日本医療研究開発機構(AMED)は約1250億円と、ほぼ10倍の差があります。

 日本版CDCは「国立健康危機管理研究機構」という名称で、感染研と国立国際医療研究センター(医療センター)を統合した組織となります。本来、どこの国でも研究の主体は大学だというのに、これは世界的な潮流から外れています。これまでデータを独占し続けてきた感染研と贈収賄事件を起こした医療センターが統合すれば、醜い利権構造が生まれてくるのは火を見るより明らかです。

 国家存亡の危機ともいえるコロナ禍をこんな形で幕引きしようとするとは、あまりに将来世代に対して無責任ではないですか。

 CDCを作ろうという人たちは、そんな先のことは何も考えていません。日本版CDCの要望書に「結核予防会を法定化しろ」という内容が盛り込まれているのがいい例です。公益財団法人結核予防会は戦時中に厚生省内にできた組織で、実態は結核の検診センターです。結核が治せる病気になった今は各都道府県の本部が厚生労働省の役人の天下り先になって、毎年巨額の予算がついています。これもポストと金の話です。

日本医療に変革をもたらす地方の若い力

 こんな話ばかりをしていると暗澹(あんたん)たる気分になってきますね。

 私はそれほど悲観していません。革命や変革は中央や官の世界から起こるものではないからです。探せば、日本にも希望を持てる話はたくさんあります。例えば、コロナ禍で武田薬品工業がデング熱ワクチンを作りあげたことは、世界的に見ても画期的なことでした。

福島の原発事故から10年目のときは、発災(はっさい)から現在まで現地で頑張り続けている坪倉正治医師の活動を米国のサイエンス誌が5ページにわたって紹介しました。坪倉医師は震災時に私が指導した大学院生で、まだ29歳でした。福島では彼を中心に全く新しい公衆衛生が構築されていて、被災地で暮らす人たちのコロナワクチン抗体の世界最大級のデータも管理しています。

東京のメディアはそういうことも知らないようですが、米国陸軍やサイエンス誌は坪倉医師の論文を読んだ上で、東大や自衛隊などさまざまルートを通じて坪倉医師にコンタクトしてきました。かつては薩長という地方が日本を変えたように、これからの日本ではへき地から若い世代がその任を担っていくのだと私は信じています。

 長年感染症の歴史を研究していますが、新型コロナのような面白いウイルスはありません。このウイルスをきっかけにもっと若い研究者が参入してくれば、将来は明るいのですが…。

 私たちの医療ガバナンス研究所でもいろんな研究が進んでいて、それにより国際的なネットワークが構築されつつあります。国際的な取り組みではファクトを持っていることが何よりも強みになります。コロナ初期でもダイヤモンドプリンセス号の感染者を受け入れた医療機関のデータを世界中が求めていました。ただ、日本政府はそうした情報に対する感度が鈍くて、それを公開しなかったのです。

 コロナを経てさまざまなことが詳(つまび)らかになった今、上先生の今後について教えてください。

 これからも地道に診療をして、それぞれの現場での対症療法などを論文にまとめて、自分にできることから着実にやっていくつもりです。例えば今世界は高齢社会を迎えて日本に大きな関心を寄せています。まずは日本の超高齢社会に関するデータなどを海外に情報発信していこうと考えています。

また坪倉医師の福島での医療データなども世界各地の研究機関は喉から手が出るほどほしいはずです。しかし、海外の動きに鈍感な日本政府にはそんなことには無関心です。日本の医療行政を牛耳る千代田幕府は一刻も早く倒すべきです。そのためには地域社会の医療の取り組みによって、大きな変革を生み出していくことです。地方から日本を変えていくことが私の使命だと思っています。

新・新型コロナが襲来?

 最後に「感染症史」の研究者として新型コロナの流行が今後どんな展開をするのか、過去の流行を参考に考えてこの対談を終えることにします。これまでヒトに感染した「コロナ科」のウイルスは、症状の軽い4種の「コロナ風邪」、2002年に中国から世界に広がった「SARS」(重症急性呼吸器症候群)、2013年に中東で流行が始まった「MERS」(中東呼吸器症候群)、そして「新型コロナ」の計7種が知られています。SARSは最初の感染者から約8カ月後に、なぞの消滅を遂げました。MERSは今も中東を中心に感染者が出続けています。

新型コロナは、次第に流行が収まって風邪か季節性インフルエンザのようになるのではないか、と漠然と考えていました。しかしオミクロン株の出現でこの考えが覆されました。2021年11月末にアフリカに最初に現れて以来、すさまじい速度で変異株を生み出して世界中に広がりました。この遺伝子配列は、それまでの新型コロナ・ウイルスの系統から大きく孤立し、その起源については今なお論争が続いていています。

多くの変異株を持つ新型コロナウイルスの系統図

私はこんなふうにその起源を考えています。オミクロン株は、ペット、家畜、動物園の飼育動物など既に数十種類の哺乳動物にヒトから感染が広がっています。コウモリを中心とした自然界の「ウイルスワールド」に対して、ヒトの影響下にある動物に新たに「オミクロンワールド」ができ、そこから新たな変異株として飛びだしてきたのではないでしょうか。

ヒトからネズミに新型コロナが感染してネズミの集団内で変異し、2020年から21年にかけてヒトに「ブーメラン感染」しました。これだけ身辺の動物にウイルスが広がった以上、今後ともこのプールからさまざまな変異株が現れて、再び「新・新型コロナ」が出現することを考えておく必要があるでしょう。新型コロナの兄弟分のSARSは唐突に姿を消しましたが、MERSは流行開始以来10年たってもまだ発生が続いています。第9波が到来している新型コロナもMERSのような展開になるのでは、とそんな不安に駆られています。

前編はこちらを

編集:牛島美笛
撮影:川本聖哉
バナー写真:笹川平和財団ビルの屋上にて

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