古典俳諧への招待 : 今週の一句

これはこれはとばかり花の吉野山 ― 貞室

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俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第12回の季題は「花」。

これはこれはとばかり花の吉野山 貞室
(1600年代作、『一本草(ひともとぐさ)』所収)

「花」という言葉を聞いたら、何の花を思い浮かべるでしょうか? 連歌・俳諧で「花」とだけ言ったときには「桜」を指します。花は「華やか」という抽象的な概念で、その代表が桜なのです。花は賞美すべき対象であり、作者はそれをどう表現するかに工夫をこらしました。

その中でも異色というか、裏ワザというか、ちょっとずるいのではないか、と思われるのがこの句です。「花の盛りの吉野山。『これはこれは』というばかりで、感嘆のあまりあとは言葉が続かない」。桜の美しさをあれこれ言うのではなく、自分の思いを述べるのでもなく、ただ「これはこれは」だけ。言葉を失うということが最高のほめ言葉になっています。

「これはこれはとばかり」は古浄瑠璃(こじょうるり)でよく用いられた言葉ですが、そのような誰もが知っているフレーズを使ったのも気が利いていますね。作者の貞室(1610~1673)は江戸時代初期に活躍した京都の俳人です。

句の舞台の吉野山(奈良県)は、古くから桜の名所として親しまれてきました。芭蕉も訪れ、「貞室が『これはこれは』と無造作に作った句を思うにつけ、自分は言葉もない」と『笈の小文』にこの句を称える文章を残しています。なお、吉野の桜は野生種のヤマザクラ。赤みを帯びた新芽の芽吹きと同時に白い花が開きます。花弁も小さく可憐で、花が先に咲くソメイヨシノとはまた違った風情があります。

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