
三ヶ月や朝顔の夕べつぼむらん ― 芭蕉
文化 環境・自然・生物 暮らし
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第43回の季題は「三ヶ月」。
- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
三ヶ月や朝顔の夕べつぼむらん 芭蕉
(1682年作、『虚栗(みなしぐり)』所収)
芭蕉39歳の時の作で、情趣を追い求める晩年の作風とはほど遠い、言葉遊びの面白さが中心の句です。なぞなぞのような句と言ってもよいでしょう。
「三日月だなあ。朝顔の花が、夕方に蕾(つぼみ)をつけているようだ」。三日月と朝顔の関係がどうだというのでしょうか。「つぼむ」には「すぼむ、しぼむ」の意もありますが、夕方の朝顔のさまなら「蕾(つぼみ)をつける」意でしょう。三日月と朝顔の蕾、形もちょっと似ています。そればかりでなく、夕方の西空に現れる三日月は、日が落ちると間もなく沈んでしまいます。でも、翌日以降だんだん大きくなってやがて満月になります。三日月がすぐ沈むのは、朝顔の花が夕方に蕾をつけて、翌朝早く咲くための準備をするのと似ているというのです。理屈っぽいですね。
でも、言葉遊びはそれだけではありません。この句は「出(いず)る日、つぼむ花」という成句を下敷きにしています。俳諧ではふつう「花」とだけ言えば桜の花のことですので、「日の出と、桜の花の蕾」を意味し、立身出世や商売繁盛を目前にした、パワフルで勝ち運に乗る人物などを形容する決まり文句でした。
芭蕉はそのパロディーとして、「出る日ならぬ三日月も、やがては満月になるし、桜ならぬ朝顔も、夕方に蕾をつけて翌朝りっぱに花を咲かせる」と言っているのです。勢いある人でなくても、それなりにきっと成功が待っているよと自らを励ましているのではないでしょうか。
バナー写真:PIXTA