古典俳諧への招待 : 今週の一句

鯛は花は見ぬ里も有(あり)けふの月 ― 西鶴

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俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第44回の季題は「今日の月」。

鯛は花は見ぬ里も有(あり)けふの月 西鶴
(1680年頃の作、『阿蘭陀丸(おらんだまる)二番船』所収)

「月」は日本の古典文学において、「花」と並んで賞美されてきた景物です。街灯などなかった時代、夜空に輝く月は身近な存在でした。人はその動きによって暦を定め、毎日変わる姿に「三ヶ月」「十六夜(いざよい)」などさまざまな呼び名を付けたのです。和歌や連歌、俳諧では「月」と言えば秋の月を指します。特に旧暦8月15日の満月は「中秋の名月(2023年は9月29日)」として特別に賞されてきました。「けふ」は今日。「けふの月」も仲秋の名月のことです。

月はどこからでも眺めることができます。中国の詩人白居易(はくきょい)は、遠くにいる親友を思って「三五夜中新月の色 二千里外故人の心」(空には十五夜の月が輝いている 二千里の彼方にいる友の心を思いやる)という詩を作りました。きっと今、君もこの月を見ているだろうと、月を仰いで友と心を通わせるのです。

西鶴の句はこの「どこからでも見える」ということを強調したものです。「鯛(たい)を食べることのできない里はあるだろう、桜の花を満喫できない里もあるだろう、けれども今夜の名月は、どこの里でも同じように鑑賞できる」。身分や貧富の差、住む土地に関係なく、月は平等に人々を照らします。「月」を「花」と対比するだけではなく、めでたくおいしい魚の代表である「鯛」を加えたのが俳諧らしくていいですね。

作者の西鶴(1642~1693)は大阪の人。『好色一代男』などを著した浮世草子(うきよぞうし=江戸時代の小説)の作家として有名ですが、俳諧師としても大活躍しました。

バナー写真:PIXTA

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