古典俳諧への招待 : 今週の一句

紀の路(ぢ)にもおりず夜を行(ゆく)雁(かり)ひとつ ― 蕪村

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俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第50回の季題は「雁(かり)」。

紀の路(ぢ)にもおりず夜を行(ゆく)雁(かり)ひとつ 蕪村
(1776年の作、『蕪村自筆句帳』所収)

雁は秋に北国から日本各地に飛来するガンカモ科の大型の鳥の総称です。和歌や俳諧では、その鳴き声に恋の思いや秋の夜の物思いを重ねてきました。また集団で渡りをするので、群れてV字型に飛ぶさまは空に書かれた文字にたとえられ、鳴き交わす様子は「友を呼ぶ」と表現されます。

蕪村の句は、群れではなく一羽の雁を詠んだものです。「紀州(和歌山)の地にも降りずに、秋の夜を雁が一羽飛んで行く」。なぜ「紀の路」という地名が使われたのでしょうか。蕪村は門人に次のように解説しています。「紀州は日本の南端だ。それなのに降りることもなく友を求めて千里も万里も波の続く海を飛び行く孤雁(こがん)の哀れを思ったのだ」。紀州から先の南の海には、もう羽を休める陸地はないかもしれません。「紀の路」の語によって、友を求める雁の切実な思いを強調したのです。

蕪村の句は、中国の詩人・杜甫(とほ)の漢詩「孤雁」の影響を受けて作られたものでしょう。群れを慕ってひたすら飛び続ける一羽の雁が、雲間に消えてもなお「望み尽くるもなお見ゆるに似たり 哀(かな)しみ多くしてさらに聞くがごとし」(私の目にはまだその姿が見えるようだ、耳にはまだ悲しい声が聞こえるようだ)と、杜甫はその哀れさに心を痛めています。蕪村の「雁ひとつ」もまた句を読む者の抱く孤独な思いや淋(さび)しさ、憂(うれ)いと共鳴して強い印象を残すのです。

バナー写真:PIXTA

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