
菊の香やならには古き仏達(たち) ― 芭蕉
文化 環境・自然・生物 暮らし
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第49回の季題は「菊」。
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菊の香やならには古き仏達(たち) 芭蕉
(1694年作、『笈(おい)日記』所収)
芭蕉は最後の旅の途中で訪れた奈良で、菊の節句とも呼ばれる9月9日の重陽の日(新暦の10月23日)を迎えてこの句を詠みました。単純に「菊の咲き匂う奈良の町には古くからの仏達がおられる」と訳せます。でも、現代の私たちはその「仏達」をつい、奈良のお寺や博物館に所蔵される多数の仏像のイメージで受け止めてしまいがちです。修学旅行や写真などを通じて、私たちの意識には奈良の仏像群の具体的な形が定着しているからです。しかし芭蕉の時代には、多くの寺院の仏像は気軽に拝観できたわけもなく、当然ですが写真もありませんでした。
当時「仏達」の語からすぐに連想されたのは、伝教大師最澄の和歌でした。「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の仏達、わがたつ杣(そま)に冥加(みょうが)あらせたまへ」。「あのくたら」うんぬんは仏をたたえる梵語(ぼんご=サンスクリット語)、「杣」は木材を切り出す山林のこと。最澄が比叡山延暦寺の根本中堂(こんぽんちゅうどう)を建立しようとして「仏達」の御加護を願った歌です。
「仏達」は現世を超越した存在として人々を救ってくれます。当時、「仏達」がそこにいるしるしとして、良い香りがあたりに漂ったり、美しい音楽が聞こえたり、空から花びらが降ったりすると信じられていました。
芭蕉は、古寺の多い奈良の町は目に見えぬ「古き仏達」に守られているに違いないと、想像をめぐらしたのでしょう。重陽の奈良に「菊の香」が満ちているのでそれが分かったと、奈良の町のめでたさを述べて褒めたたえたのです。
バナー画像 : PIXTA