
霜百里(しもひゃくり)舟中に我(われ)月を領ス ― 蕪村
文化 環境・自然・生物 暮らし
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第52回の季題は「霜」。
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霜百里(しもひゃくり)舟中に我(われ)月を領ス 蕪村
(1775年の作か、『蕪村自筆句帳』所収)
「霜」は冷え込んだ冬の夜に、空気中の水蒸気が地面や草の葉などに氷となって付着したものです。和歌では紅葉との色の取り合わせを愛(め)でたり、白髪や月の光になぞらえて詠んだりしました。蕪村の句も月光の下の霜を詠んでいます。
「見渡す限り百里も霜の降りた夜に、舟の中で私一人が起きていて、月を独り占めにしている」。門人の几董(きとう)と共に、淀川を夜舟で京へと上った時の句です。当時、大阪の八軒家(はちけんや)から京近くの伏見まで、乗合船が往来していました。もう夜も遅い時間でしょう。川の両岸一面に降りた真っ白な霜が、月光に照らされてますます白くどこまでも続いて見えます。空には皓々(こうこう)と輝く冬の月。そんな景色を一人で堪能するなんて何と贅沢(ぜいたく)なことでしょう。
この句は使っている言葉も調子もまるで漢詩のようです。『雨月物語』の作者として有名な上田秋成(1734~1809)は、蕪村のことを「かな書(がき)の詩人」と呼びました。当時詩人とは漢詩人のことです。蕪村は日本のひらがなで書く「俳諧」という文芸形態で、中国の「漢詩」の心を表現した、という意味でしょう。この句は、格調が高い中にも「月を領ス」という表現に得意げなさまがほのみえ、ユーモアも感じられます。江戸時代、漢詩は教養の基礎でした。蕪村はそこで学んだ中国の美意識と俳諧の融合を楽しんでいたのです。
バナー画像 : PIXTA