仏像にまみえる

東大寺 伝日光菩薩立像・伝月光菩薩立像:六田知弘の古仏巡礼

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天平時代を代表する東大寺の国宝仏。静かに合掌する姿は、参拝者を安らかな世界へと導く。

天平時代の塑像彫刻を代表する傑作、東大寺の伝日光・月光菩薩(ぼさつ)像である。

塑像とは、粘土を盛り上げて造る像だ。骨格となる心木に藁縄(わらなわ)を巻き、粘土を何層か塗り重ねてから、ヘラで形を作り、表面を細かい土で仕上げる。7世紀頃に大陸から伝わった技法で、奈良時代に最盛期を迎え、平安時代になると木像が中心となった。その点でも同じ塑像である東大寺の執金剛神(しゅこんごうじん)像などと並び、天平仏の名品に数えられる。

共にすっと立ち、ゆったりと胸の前で合掌する姿が美しい。2011年の東大寺ミュージアムの開館に際し同館に移されたが、それ以前は法華堂の本尊・不空羂索観音像の脇侍として安置されていた。本尊と2体の脇侍の切れ長の目元がよく似ており、同一の制作者か、同じ工房の作と考えられる。

2体は一見すると似ているものの、日光菩薩の衣には衣文(えもん)線が多く、その波には強弱が表現されていてどこか力強さを感じる。一方、月光菩薩は衣文線が少なく緩やかな表現で静謐(せいひつ)な雰囲気を醸し出す。「動」と「静」のコントラストが巧みに表現されており、仏師の技量の高さがうかがわれる。

造像時は表面全体に彩色を施していたと思われるが、今日ではかなりの部分が剥がれて透き通るような白さがあらわれ、清廉な美しさが際立っている。

伝日光菩薩立像(左)と伝月光菩薩立像

伝日光菩薩立像(左)と伝月光菩薩立像

悟りを求めて修行中の身である「菩薩」は、一般的には裸足で表現される。両像が沓(くつ)を履いていることから、「菩薩」ではなく、梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)とする説が有力になっている。

日光・月光菩薩は薬師如来の脇侍であることが多く、観音菩薩の脇侍としては梵天・帝釈天の方がよりふさわしい。法華堂には別の梵天・帝釈天立像(国宝)も安置されていたので、この2像との重複を避けるため、本像が日光・月光菩薩と呼ばれるようになったのだろう。

伝月光菩薩立像(左)と伝日光菩薩立像

伝月光菩薩立像(左)と伝日光菩薩立像

両像が法華堂にあった頃の印象を、写真家の六田知弘は「不空羂索観音を中央に十体余りの仏像がひしめく薄暗い堂内は圧倒的な異世界だった」と語る。「黒地に金箔(ぱく)の威容を誇る本尊の左右に、清廉な白さをたたえた両像が静かに立つ様は、闇の中で森羅万象を照らす光のように感じられた」

遣唐使によって唐から招来された仏像の影響が強いが、両像の表情には大陸の模倣を超えた独自の表現力が感じられる。文芸評論家・亀井勝一郎が『大和古寺風物誌』の中で「合掌の美しさは無比である」と絶賛しているのもうなずける。

伝日光菩薩立像
伝日光菩薩立像

伝月光菩薩立像
伝月光菩薩立像

伝日光菩薩立像・伝月光菩薩立像

  • 読み:でんにっこうぼさつりゅうぞう・でんがっこうぼさつりゅうぞう
  • 像高:伝日光菩薩立像:2.063メートル 伝月光菩薩立像:2.068メートル
  • 時代:奈良時代(天平時代)
  • 所蔵:東大寺
  • 指定:国宝(指定名:塑造〈日光仏 /月光仏〉立像)

バナー写真:伝日光菩薩立像・伝月光菩薩立像 東大寺蔵 撮影:六田 知弘

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