仏像にまみえる

大安寺 馬頭観音菩薩立像:六田知弘の古仏巡礼

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憤怒の形相の馬頭観音像がにらみつけるのは、私たちを支配する煩悩や降りかかる災厄だという。厳しさの中にも慈悲の心がうかがえる。

奈良・大安寺(だいあんじ)の馬頭観音像は謎に満ちている。「木造千手観音立像」として国の重要文化財に指定されているが、寺では馬頭観音と伝わり、1997年に完成した嘶堂(いななきどう)に安置される。馬頭観音の起源は、ヒンズー教の最高神の一柱・ビシュヌが、馬の頭に変化して悪魔を倒したという神話とされる。そのため、馬頭観音の頭上には冠のような馬頭をのせるが、本像は髪を結い上げた髻(もとどり)があるのみで馬らしきものはどこにも見えない。

大安寺の始まりは、聖徳太子が創建した仏教道場「熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)」。飛鳥の藤原京で百済大寺、大官大寺などに発展し、平城京に移転してから718(養老2)年に大安寺となった。皇族が建立した官立寺院としては日本最古のもので、最澄、空海をはじめとする国内外の僧侶が集い、東大寺や興福寺と並ぶ南都七大寺にも数えられた。発掘調査の結果、往時には広大な寺領に立派な堂塔が立ち並んでいたことが確認されたが、現存の堂宇は江戸末期から明治期に再建されたもので、境内も著しく縮小している。

千手観音像は合掌する2本の腕に、左右40本の腕を加えた計42本を持つものが多い。1本の腕で25の世界を救えるという教えに基づくが、この表現が確立されたのは平安時代以降。奈良時代には千本近くの腕で表現したので、腕が6本しかない本像を千手観音と呼んでいいのかどうか迷うところである。

慈悲の象徴である観音菩薩は、女性的な優しい表情が特徴だ。その変化身の一つである馬頭観音のみが憤怒相をしており、怪力で悪を封じる明王に近い表情なので「馬頭明王」「大持力明王」の異名を持つ。本像は眉を吊り上げ、むき出しにした歯で下唇をかみしめ、にらみつける。今にもいななきならぬ、雄たけびを上げそうな表情は、馬頭観音と呼ぶのがふさわしいので、馬頭を冠する表現が確立する前の「原初の馬頭観音像」なのかもしれない。

写真家の六田知弘は、嘶堂で初めて馬頭観音にまみえた時の印象を「胸元の装身具や足首に蛇を絡ませ、憤怒の形相でにらみつけてくるが、少しも怖いとは思わなかった」と振り返る。さらにシャッターを切るうちに、「観音が怒りをぶつけるのは私ではなく、私に災厄をもたらす煩悩や悪鬼に違いない」と気づき、思わず像に向かって手を合わせたそうだ。

謎多き馬頭観音像は、馬が牧草をむさぼるように衆生の煩悩や降りかかる災厄を滅尽し、心の平静を与えてきたに違いない。

馬頭観音立像

  • 読み:ばとうかんのんりゅうぞう
  • 像高:1.73メートル
  • 時代:奈良時代(天平時代)
  • 所蔵:大安寺
  • 指定:重要文化財(指定名:木造千手観音立像〈伝馬頭観音〉)

※ 本像は秘仏で、毎年3月のみ拝観できる。

バナー写真:馬頭観音立像 大安寺蔵 撮影:六田 知弘

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