浄瑠璃寺 吉祥天立像:六田知弘の古仏巡礼
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ふくよかな頬に切れ長の目、おちょぼ口が何ともチャーミングだ。
浄瑠璃寺(京都府木津川市)の吉祥天像はインドの古代神話に登場する女神ラクシュミーに由来し、美と五穀豊穣(ほうじょう)をつかさどる。平安時代末期に浄土信仰が盛んになり、同寺の本堂(国宝)には西方にあるとされる極楽浄土の教主・阿弥陀如来九体(国宝)が横一列に安置される。九体の阿弥陀仏の中央に位置する大きな中尊の脇の厨子の中にヒノキの寄木造りの吉祥天が収められている。800年以上経てもなお目立った損傷もなく、華やかな極彩色をとどめているのは、限られた開扉日以外は拝観できない秘仏としてまつられてきたからだ。
厨子を囲う7面の扉絵(重要文化財)は廃仏毀釈運動が起きた明治初頭に寺外に流出したが、東京芸術大学の前身である東京美術学校が1889年に買い取り、現在も所蔵している。浄瑠璃寺の厨子には芸大が復元模写した絵が取り付けられ、吉祥天を今も大切に守っている。

3枚の衣を重ね着し、その上に肩掛けを羽織り、正面で結んだ白いひもがゆったりとした曲線を描いて左右に広がる。しなやかに垂らした右手は衆生の願いをかなえる与願印を結び、左手には煩悩を取り除く宝珠を提げる。中国の貴婦人をモデルにしたとされ、みやびやかで知的な雰囲気が漂う。


細部に至るまで美しさを追求した表現には思わず目を奪われる
浄瑠璃寺の記録『浄瑠璃寺流記事(るきのこと)』(重要文化財)によると、吉祥天像は1212(建暦2)年に本堂に安置されたと記載されるので、鎌倉時代の作であることが分かる。肉付きのよい体に、目鼻立ちがくっきりと刻まれているところなども鎌倉仏の特徴を示している。
吉祥天の母親・鬼子母神は、人間の子どもを捉えて食べる恐ろしい鬼神であった。しかし、釈迦に諭されて後に安産と子育ての守り神となったという。写真家の六田知弘は、「障子越しの朝の柔らかな光を受けて厨子の中に浮かび上がるほほえみは、改心した鬼子母神のイメージと重なって、子どもを慈しむ無償の愛を感じさせる」と語る。

数々の仏像を撮影した写真家・土門拳は「仏像のうちでは、おそらく日本一の美人であろう。われわれはこの小さな仏像の魅力を永久に忘れないであろう」とたたえた。日本の仏教彫刻史上、絶世の美女と称されるゆえんである。
吉祥天立像
- 読み:きっしょうてんりゅうぞう(文化財としての登録名は「きちじょうてんりゅうぞう」)
- 像高:0.9メートル
- 時代:鎌倉時代
- 所蔵:浄瑠璃寺
- 指定:重要文化財(指定名:厨子入木造吉祥天立像)
※ 本像は秘仏で、1月1日〜15日、3月21日〜 5月20日、10月1日〜 11月30日に拝観することができる。
バナー写真:吉祥天立像 浄瑠璃寺蔵 撮影:六田 知弘