熊野磨崖仏:六田知弘の古仏巡礼
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国東半島の付け根にある田原山(大分県豊後高田市)の麓にある今熊野山胎蔵寺から急な山道を10分ほど登ると、原生林の中に石造りの鳥居が現れる。その先に続く不揃いの石を乱積みにした石段は、昔、赤鬼が大岩を砕いて一夜にして築いたと伝わる。息を切らしながら、険しい石段を上がっていくと、視界が開けたところで、岩壁に刻まれた巨大な磨崖仏が出迎えてくれる。
右手に剣を持ち、左手に羂索(けんさく=網)を握る姿は不動明王を象徴する。不動明王は無知なる衆生を仏の道に導くために憤怒相であるのが一般的だが、この磨崖仏は片目を閉じ、口元から牙をのぞかせ柔和な笑みを浮かべているようにも見える。鎌倉時代初期に作られたもので、磨崖仏としては国内最大級の8メートルの高さがある。

不動明王の右奥には、7メートル近い大日如来が刻まれている。不動明王よりも1世紀ほどさかのぼった平安時代後期の作と推定される。どこかユーモラスな不動明王とは違い、引き締まった端正な顔立ちが印象的だ。本来、大日如来は宝冠をいただくのが一般的だが、頭部は螺髪(らほつ=巻き貝を集めたような髪型)となっており、一つひとつの粒が丁寧に掘り出されているのも、粗削りな不動明王とは好対照。大日如来は密教の本尊で、頭上には密教の真理を示す梵字(ぼんじ=古代サンスクリット文字)で表現された3面の曼荼羅(まんだら)が刻まれている。
国東半島は太古の火山活動による岩石・地層群から構成され、標高はさほど高くないものの、険しい峰の山と深い谷が連なり、鬼が住む「大魔所」と恐れられていた。最澄(767〜822)が持ち帰り後に体系化された天台密教がこの地にもたらされると、土着の自然崇拝や山岳宗教と融合、宇佐八幡宮(宇佐市)の信仰とも結びつき、独自の神仏習合の宗教文化が花開いた。異界の恐ろしいものの象徴であると同時に、不思議な法力を持ち祈りの対象でもあった鬼は、やがて大日如来の化身である不動明王と同一視されるようになった。熊野磨崖仏は、密教と山岳宗教とが融合した国東独自の宗教観を代表する遺跡といえよう。

「高い岩壁に彫られた不動明王像にレンズを向けた時、鑿(のみ)をあて刻む音が聞こえたような気がした」と写真家の六田知弘は語る。「いにしえの石工たちが完成したばかりの仏の姿を見上げた時、達成感と共に、自らの手で仏の顕現を導き出した喜びに満たされたのではないだろうか」

熊野磨崖仏
- 読み:くまのまがいぶつ
- 像高:不動明王(8.1メートル)大日如来(6.8メートル)
- 時代:不動明王(鎌倉時代初期)/ 大日如来(平安時代後期)
- 所有:熊野社
- 指定:重要文化財
バナー写真:熊野磨崖仏(不動明王像) 撮影:六田 知弘
