浄楽寺 不動明王立像:六田知弘の古仏巡礼
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右目をカッと見開き、左目を半眼にして眉間にしわを寄せ、口をへの字にした憤怒の表情は、まるで生きているかのようだ。鎌倉時代を代表する仏師・運慶が制作した浄楽寺(神奈川県横須賀市)の不動明王像である。本堂裏手にある拝観堂に、同じく運慶作の阿弥陀三尊像、毘沙門天像とともに安置されている。全国で20体あまりしか確認されていない運慶真作のうち5体もがこの地にあるのには理由がある。
浄楽寺の創建は鎌倉時代初期にさかのぼる。1189(文治5)年、三浦一族の武将で源頼朝に重用された和田義盛夫妻の発願により、本尊・阿弥陀三尊像と脇侍・毘沙門天像と不動明王像の制作が運慶に依頼された。彼らの願いがかなってその年に頼朝は奥州合戦に勝利し、鎌倉幕府権力を確立させたのである。浄楽寺は、こうして政治の中心地となった「鎌倉」と、和田氏の本拠地「三浦半島南部」のちょうど中間に位置し、交通や戦略上の要衝であった。
不動明王の語源は、サンスクリット語の「アチャラナータ」。「アチャラ」は動かない、「ナータ」は守護者を意味し、「揺るぎなき守護者」と訳される。密教の本尊で、宇宙の真理である大日如来の化身とされ、穏やかな説法では導けない頑迷な人々を、力ずくで救済するために「怒りの姿」に転じたとされる。
剣を構える右腕と、羂索(けんさく=鳥獣を捕獲するための綱)を下げる左手、全身にみなぎる圧倒的な迫力。この一瞬の動きを切り取ったかのような躍動感ある表現に、天才仏師の才能を感じる。ヒノキの寄せ木造で、目には水晶を使った玉眼をはめ込んでいる。

「本像のはち切れんばかりの姿に、30代後半の若き運慶のあふれでるエネルギーを感じる」と写真家の六田知弘は語る。「それは、新時代を切り開こうとする東国の武士たちの気迫と一脈通じるものがある。仏教に深く帰依しながらも戦場では仏教が五戒の筆頭に挙げる『不殺生戒』を破る大罪を重ねる矛盾に苦しむ侍たち。そんな彼らを一喝して、大丈夫、邪念を捨てて一心に拝めば極楽浄土に行けるぞという教えを具現化した姿だったのではないか」

不動明王に手を合わせる時は、その厳しいまなざしの奥に、悩み苦しむものを救おうとする慈悲の心があることを忘れないでほしい。

不動明王立像
- 読み:ふどうみょうおうりゅうぞう
- 像高:1.35メートル
- 時代:鎌倉時代
- 所蔵:浄楽寺
- 指定:重要文化財(指定名:木造不動明王立像)
バナー写真:不動明王立像 浄楽寺蔵 撮影:六田 知弘