仏像にまみえる

唐招提寺 千手観音菩薩立像:六田知弘の古仏巡礼

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1000本近い腕を持ち、5メートルを超える姿は迫力満点。奈良時代から、無数の手段で私たちを救ってくれると信じられてきた観音菩薩だ。

涼しげな表情の頭上に十面を頂き、あらゆる方向へと無数の手を伸ばす威容──。唐招提寺金堂に安置される国宝・千手観音菩薩立像である。

「慈眼」や「天眼」とも呼ばれ物事の本質を見抜く「智慧(ちえ)」を象徴する3つめの眼が額に縦に刻まれている。最大の特徴は、大小合わせて953本の腕があること。造像当初は文字通り1000本あったと考えられている。

千手観音は「千手」を持つのが本来の姿だが、制作に膨大な手間がかかることから、平安時代以降は合掌する2本の手と脇手と呼ばれる40本の腕の計42本で表現するようになった。脇手1本で25の世界を救うという設定で、40×25=1000を表す。日本で、実際に1000本の手を持つ「真数千手観音」は、ここ唐招提寺と葛井寺(大阪府藤井寺市)、寿宝寺(京都府京田辺市)の三体のみという非常に貴重なものだ。

42本の大きな手の間にびっしりと植え付けられた小さな手。1000本の手で余すことなく衆生を救うことを表現する
42本の大きな手の間にびっしりと植え付けられた小さな手。1000本の手で余すことなく衆生を救うことを表現する

本像は「木芯(もくしん)乾漆造」という技法で制作されている。ヒノキで芯となる仏像の原型を彫り、木粉などを漆に練り混ぜた「木屎漆(こくそうるし)」で表面を盛り上げて成型している。千本の手の重量を支えるために下半身でバランスを取っているのであろう、側面から見るとどっしりとした厚みがあり風格を感じる。

唐招提寺は、聖武天皇の招きに応じ、5度の渡航失敗を経て苦難の末に来日した唐の高僧・鑑真和上ゆかりの古刹(こさつ)だ。鑑真は東大寺で5年ほど過ごした後、759(平宝字3)年に貴族の旧宅を譲り受け、新たな戒律道場として唐招提寺を創建。その後、朝廷からの寄進を受けるなどして徐々に伽藍(がらん)を整え、金堂は鑑真の死後に完成した。

唐招提寺金堂(国宝)

唐招提寺金堂(国宝)

金堂の本尊である廬舎那仏(るしゃなぶつ)は坐像にもかかわらず像高3メートルを超え、光背も含めると5.15メートルに及ぶ。脇侍として向かって右に立つ薬師如来は3.36メートル、左に立つ千手観音は5.36メートルと圧倒的な迫力で三尊が並ぶ。三尊の間に挟まるように立つ帝釈天、梵天、金堂の四隅を守る四天王も全て国宝という濃厚な空間だ。

中秋の名月に合わせて金堂では毎年「観月賛仏会(かんげつさんぶつえ)」が営まれる。宵闇の中、3つの扉の向こう側に光を浴びて輝く三尊が浮かび上がる。左から千手観音、廬舎那仏、薬師如来。

中秋の名月に合わせて金堂では毎年「観月賛仏会(かんげつさんぶつえ)」が営まれる。宵闇の中、3つの扉の向こう側に光を浴びて輝く三尊が浮かび上がる。左から千手観音、廬舎那仏、薬師如来。

その中でも、写真家の六田知弘にとって千手観音は特別な存在なのだという。「黄金色に輝く姿を仰ぎ見ていると、背後に広げられた数えきれない手があたかも自分を包み込む温かい太陽の光のように思えてきて、いつも限りない安心感を与えてくれる」

千手観音菩薩立像

  • 読み:せんじゅかんのんぼさつりゅうぞう
  • 像高:5.36メートル
  • 時代:奈良時代
  • 所蔵:唐招提寺
  • 指定:国宝(指定名:木心乾漆千手観音立像〈金堂安置〉)

バナー写真:千手観音立像 唐招提寺蔵 撮影:六田 知弘

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