仏像にまみえる

臼杵磨崖仏 大日如来坐像:六田知弘の古仏巡礼

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磨崖仏では、唯一国宝に指定される臼杵磨崖仏。その代表的な存在が、古園石仏群にある大日如来像だ。

1000年の風雨に耐えてなお、石とは思えぬ慈悲深きまなざしをたたえる。

岩盤や崖の岩肌に直接刻まれた仏像を「磨崖仏」と呼ぶ。大分県には、全国の磨崖仏の7割に相当する約400体が集中する。古来、九州地方は大陸文化を受け入れる玄関口としての役割を果たし、各地で仏教文化が栄えていたことに加え、9万年前の阿蘇山の大噴火で流れ出た溶岩流が固まってできた地層が、仏像を彫るのに適していたためだ。

平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて制作された61体もの磨崖仏が山の斜面に点在する県南部の臼杵磨崖仏(臼杵市)は壮観である。誰が何の目的で彫ったのか定かではないが、ホキ石仏第一群、同第二群、山王山石仏群、古園(ふるぞの)石仏群の4つのエリアごとに独特の世界観が形成され、当時の信仰風景が浮かび上がる。岩から削り出したとは思えない繊細な彫刻技術が高く評価され、61体すべてが国宝に指定されている。

ホキ石仏第二群に安置される阿弥陀三尊像

ホキ石仏第二群に安置される阿弥陀三尊像

ホキ石仏第二群に安置される九品阿弥陀像

ホキ石仏第二群に安置される九品阿弥陀像

石仏群の中でも最高傑作とされるのが、古園石仏群の大日如来坐像だ。 龕(がん)と呼ばれる大きな岩肌の窪みに十三仏がずらりと並び、その中心が大日如来である。臼杵磨崖仏の中で最大の2.8メートルの堂々たる体躯(たいく)。表情はふくよかで威厳に満ち、眉や目に黒、宝冠に朱などの彩色が若干残っており、作られた当時はけんらんたる色彩を放っていたことが推察される。

古園石仏群の中尊・大日如来坐像。宇宙の真理たる絶対的尊格で左右に十二仏を従える

古園石仏群の中尊・大日如来坐像。宇宙の真理たる絶対的尊格で左右に十二仏を従える

臼杵磨崖仏は長い間、野ざらし状態となっていたため、頭部や腕などが崩落したものが少なくなかった。大日如来の頭部も江戸時代中期に胴体から落ち、下の台座に置かれたままであった。日本を代表する写真家・土門拳は、その朽ち落ちた大日如来を撮影し、写真集『古寺巡礼』に掲載。時の流れとともに朽ちていく自然の摂理と、朽ちてなお信仰を集める威厳ある姿の好対照が見事に表現されていた。

それ故に1980年〜93年の大規模修復にあたっては、頭部を胴体の上に据えて本来の姿に戻すべきという意見と、崩落したあるがままの姿を大きく変えることを憂慮する意見とが激しく対立した。しかし仏頭を元の位置へ戻すことが国宝指定の条件として文部省(現・文部科学省)から提示されたため、最終的に現在の姿に復元されることとなった。

写真家の六田知弘の脳裏にも、土門拳が捉えた頭部が落ちた臼杵磨崖仏の姿が強く刻まれていた。「現地に行くと、像は修復され、地面に落ちた頭は、首の上に据えられていた。風雨を避ける屋根も取り付けられ、直射日光も当たらず、それがあの大日如来像だとはすぐには分からなかった」と、少なからぬ違和感を覚えたという。

「しかし、撮影をしているうちに、その下向きの慈悲に満ちたまなざしから、やはりこの像は仰ぎ見るものだということがふに落ちた」

臼杵磨崖仏 大日如来坐像

  • 読み:うすきまがいぶつ だいにちにょらいざぞう
  • 像高:2.8メートル
  • 時代:平安時代後期から鎌倉時代
  • 所蔵:大分県臼杵市
  • 指定:国宝

バナー写真:大日如来坐像 撮影:六田 知弘

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