感染症の文明史【第3部】地球環境問題と感染拡大

1章 人類が自ら招いた危機:(4)湿地喪失や森林破壊が感染症の流行に拍車をかける

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湿地の喪失や熱帯林の大規模破壊などが、感染症の流行に大きく関与している。ヒトによって変えられた生態系が、変異ウイルスを生み出す可能性を高めているのだ。

森林破壊の3倍の速度で消滅する湿地

以前から存在した鳥インフル(インフルエンザ)ウイルスが、近年になってなぜこれほどまでに猛威を振るい始めたのだろうか。カート・ヴァンデグリフトら米ペンシルべニア州立大学のグループは、環境の変化が影響しているとみている。その1つとして、湿地が埋め立てられて、農地・宅地・工場用地やゴルフコースなどへ転換されていることを挙げる。

北極圏の湿地で繁殖し、冬になると越冬地へ移動するカモ類などの水鳥にとって、湿地は生存や移動の生命線だ。湿地から湿地へと餌をとり栄養を補給しながら、時には1万キロも飛行する。湿地は渡り鳥にとって燃料を補給する空港にたとえられる。湿地の消滅や縮小によって、鳥たちは残された湿地に集中するしかない。このため湿地は過密化して、水鳥同士の接触が増えて変異ウイルスが生まれやすくなる。

湿地保全の国際機関ラムサール条約事務局は、過去40年間で世界の湿地の54~57%が農地転換や開発によって失われたと発表した。2018年の報告書では、森林破壊の3倍の速度で消滅が進行しているという。自然保全の国際組織である世界自然保護基金(WWF)は、湿地に生息する淡水動植物の個体群の 76% が失われたとみている。

欧州や北米では湿地消失の速度が落ちてきたが、依然としてアジア諸国では破壊がつづいている。水田も重要な湿地とされるが、増産の圧力から休耕期をおかずに通年耕作をするようになったために、カモなど水鳥の餌場が失われている。ヴァンデグリフトは、水鳥が利用できる湿地は今後も地球規模で大きく減少すると予想する。

住宅団地建設のため、7000の運河(約875エーカー)が土で埋められているインド・カシミール州スリナガルの北西15キロにある巨大湿地。水田として利用されていた広大な湿地は、渡り鳥の生息地だった。2011年1月31日撮影(Photo by:Yawar Nazir/Getty Images)
住宅団地建設のため、7000の運河(約875エーカー)が土で埋められているインド・カシミール州スリナガルの北西15キロにある巨大湿地。水田として利用されていた広大な湿地は、渡り鳥の生息地だった。2011年1月31日撮影(Photo by:Yawar Nazir/Getty Images)

深刻な日米の湿地消失

日本における湿地の減少は著しい。国土地理院によると、2000年の時点で日本に存在する湿地は約821平方キロ。明治・大正時代と比べて60%も湿地面積が減っている。この間に約1290平方キロ、琵琶湖の面積の2倍に当たる湿地が消失したことになる。消失面積が最も大きいのは北海道で、以下青森県、宮城県の順。東京都、千葉、埼玉両県の減少率は90%を超え、大阪府の湿地はほとんど姿を消した。

環境省が2016年4月に発表した調査結果によると、対象になった823湿地のうち、524カ所が「悪化傾向」にあるとされた。このうちの368湿地について悪化の原因を調べたところ、「開発など人間活動による危機」が54%を占めた。具体的には、開発工事、土砂堆積、乾燥化、水質汚濁、富栄養化、外来種の侵入、シカ類の食害や踏圧(とうあつ)、植生変化などだ。

米国では、1780年代から1980年代までの過去 200年間で、1億5000万ヘクタールあった湿地面積の 53%を失った。カリフォルニア州などは、土地利用の変化や淡水需要の増加によって湿地の 90%以上が消失した。これ以外に22州で湿地の50%以上が消えた。1780 年以降、湿地の 80%以上が維持されているのはアラスカ、ハワイ、ニューハンプシャーの3州だけだ。

食物連鎖を通じた感染症拡大

独ミュンヘン工科大学のヨーゼフ・ライヒホルフらは「鳥インフルウイルスは、すでに食物連鎖に入り込んで自然界を広く循環している可能性が高い」と発表した。鳥のフンが肥料や飼料として広く使われ、それに混入したウイルスが河川や湖沼に流れ込んで魚を汚染し、その魚を食べた鳥や魚粉を飼料にしている家畜にウイルスが感染した。

自然界では食物連鎖を通じたこんな感染症拡大の例が増えている。1993年にタンザニアのセレンゲティ国立公園が、深刻な干ばつに見舞われた。餌不足で弱った野牛が、ジステンパー・ウイルスに感染して大量に死んだ。これは遊牧民の犬から感染したとみられる。飢えたライオンがその死体を食べたためにさらに感染が広がり、国立公園内のライオンの3分の1に相当する約1000 頭以上が死んだ。家畜(イヌ)⇒草食獣(野牛)⇒肉食獣(ライオン)という感染の連鎖が起きたのだ。

国連環境計画(UNEP)は2006年に「鳥インフルエンザと環境:エコヘルスの視点」と題する報告書を発表、食物連鎖を通して野生動物へ感染が広がることを警告している。近年の急激な野生動物の減少や絶滅は、生息地の破壊や密猟などが原因とされているが、こうしたウイルスが人知れず手を貸している可能性もある。

森林破壊の後に発生するエボラ出血熱

感染症の流行に拍車をかけるのは、湿地の喪失だけではない。ヒトによって変えられた生態系が大きく関与していると主張する研究者が増えている。野生動物由来のウイルスの恐ろしさをまざまざと見せつけたのが、エボラ出血熱である。1976年6月にアフリカの南スーダンで初めて流行し、2013年12月には西アフリカのギニア、シエラレオネ、リベリアの国境地帯で感染爆発が起きた。

世界保健機関(WHO)によると、このとき2万8646人が感染し1万1323人が死亡した。内臓が溶けて全身から血を噴き出して死んでいく悲惨な症状は世界に衝撃を与えた。死亡率は90%にも達した。運よく助かっても失明、失聴、脳障害などの重い後遺症が残ることが多い。その後も、アフリカ各地で散発的な感染がつづいている。

エボラ出血熱は典型的な「動物由来感染症」だ。このウイルスはもともと熱帯林の奥深くでコウモリと共生していたと考えられる。しかし、熱帯林の大規模な破壊や集落の急膨張で、すみかを失ったコウモリがヒトの生活圏に出没するようになった。ギニア、シエラレオネ、リベリアの3国はかつて国土の大部分が熱帯林でおおわれていた。だが、開発や内戦でその多くが失われ、いずれの国も手つかずの原生林はほとんど残されていない。残された森林も伐採権のほとんどが海外の企業に売り渡されている。

エボラ出血熱の流行をたどってみると、大規模な森林破壊の直後に発生することが多い。例えば、1994年のガボンでの流行は、金鉱山の開発で広大な森林が伐採された直後に発生した。エボラ出血熱ウイルス感染症の発生と森林伐採との関連性は以前から示唆されていたが、未解明のままだった。

コロンビアのカルタヘナ大学のヘスス・オリベロらのグループは、2017年にリモートセンシング技術を使って、時間的および空間的な観点から森林破壊地と西アフリカのエボラ出血熱の発生地との関連を調査した。その結果、27カ所の感染症発生地が森林破壊地と重なり合うことが明らかになった。

2010年にギニアの隣国コートジボワールのタイ国立公園を調査したことがある。手つかずの熱帯林が残され、コビトカバ、ボノボなど絶滅危惧種に指定された希少な動植物の宝庫で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の生物圏保護区や世界自然遺産にも登録されている。だが現地を訪れて、焼き畑が虫食い跡のように広がっている光景を目の当たりにしてがく然とした。これらの国々の北側に広がるサハラ砂漠南縁のサヘル地方では、過去数十年間にわたり繰り返し深刻な干ばつに見舞われてきた。そこから逃げ出した飢餓難民が国立公園内に入り込んで違法な焼き畑で暮らしているという。公園内では、「タイ森林株」と名づけられたエボラ出血熱の変異ウイルスが発生していた。

動物由来感染症がヒトから再び動物へ

特に、近年は中国が西アフリカの資源開発に巨額な投資をしており、木材や原油、銅、コバルトなどの天然資源を輸入し、機械、電子機器、繊維などを輸出している。今やアフリカにとって中国は最大の貿易相手国になった。そのため大量採掘、搬出道路や貯木場の拡張、労働者宿舎などの建設が加わってさらに大規模な森林破壊が進行中だ。

この結果、野生動物が残された森林地帯に集中するようになった。ゴリラやチンパンジーの個体数は大幅に減っているのに、生息密度は上がるという矛盾が生じた。2001年にコンゴ共和国で、53人がエボラ出血熱で死亡した。同じ時期に同国北東部のゴリラ保護区で、ゴリラの大量死が発覚した。独マックスプランク研究所の調査で、2002~05年に約5500頭のゴリラが死亡したと推定され、死体からエボラ出血熱ウイルスが分離された。これはゴリラの全個体数の3分1に相当するという。ウイルスの遺伝子の解析でヒトからゴリラに感染した可能性が高いという。ヒトも強力な感染源になり得ることが改めて思い知らされる。

(文中敬称略)

バナー写真:リベリアの大規模ゴム農園で、裸地になった丘の中腹を大きな袋を抱えて歩く人。こうしたプランテーションが、アフリカにおける大規模な森林破壊の引き金になっている(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Photo by © Patrick Robert/Sygma/CORBIS/Sygma via Getty Images)

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