古民家カフェの窓辺から

江ノ電でかつての漁師町へ:路地の奥「paso」でホンジュラス産コーヒーに出会う(神奈川・鎌倉)

文化 建築 歴史

古い家をリノベーションしたレトロな空間で、ゆっくりとコーヒーを味わう。プライベートで招かれたような錯覚を覚えつつ、誰かの家の歴史に触れる。東京近郊でそんな体験ができる「古民家カフェ」を、喫茶店をこよなく愛する文筆家・川口葉子さんのレポートと写真で紹介するシリーズ。第2回では神奈川・鎌倉の「paso by 27 COFFEE ROASTERS」を取り上げる。

路地というプロローグ

江ノ島電鉄の長谷駅から歩くこと6分、鎌倉の歴史に海辺のライフスタイルが溶け込んだエリアとして知られる坂ノ下。その細い路地の奥に現れる「paso by 27 COFFEE ROASTERS」(以下、paso)には、中米・ホンジュラスの山から届いた香りが満ちている。

このカフェは、昭和の古民家の記憶と現代のコーヒー文化、そして鎌倉の海辺の街とホンジュラスが出会う小さな交差点だ。ただし、そこに“バリスタ“を名乗る人はいない。迎えてくれるのは”案内人“だ。

長谷駅の改札を抜けると、もう海の気配がある。住宅街を歩き、どこに迷い込んだのかと不安を覚えながら砂利道をたどる。しかし、古くは漁師町だった坂ノ下の面影が漂うこの道のりもまた、pasoという体験の一部なのだ。砂利を踏む足音。民家の軒先で風に揺れる花。

路地の景観には、古民家のリノベーションを手がけた「鎌倉R不動産」のこだわりがにじむ。家と庭を囲む既存のブロック塀に板塀を新たに組み合わせることで、昔ながらの風景へと巻き戻したのだ。過去と現在を接続した塀の一角には、pasoのスタッフが海岸で拾い集めた貝殻やシーグラスが並んでいる。この土地が生み出した宝物たち。pasoの象徴のような光景だ。

ブロック塀に板塀を組み合わせた外観が古い街並みになじむ
ブロック塀に板塀を組み合わせた外観が古い街並みになじむ

近くの浜で拾ってきた貝殻が並んでいる
近くの浜で拾ってきた貝殻が並んでいる

庭に面した縁側から店内に入る
庭に面した縁側から店内に入る

ホンジュラスの小規模農園から

暖簾(のれん)をくぐって店内に入ると、まず目に入るのはカウンターに並んだ4種のホンジュラス産コーヒー。日本ではまだなじみの薄い味に、日常で触れる機会のある人がどれほどいるだろうか。

辻堂(藤沢市)に本店を構える「27 COFFEE ROASTERS」は、鎌倉湘南エリアで25年以上にわたり愛され続ける自家焙煎コーヒー店だ。オーナーは、品質の高さに反して日本ではまだ知名度が低いホンジュラス産コーヒーの普及に力を注いできた。自ら現地に足を運び、小規模農園の生産者たちから継続的にコーヒーの生豆を直接買い付けて、信頼関係を築いている。産地と生産者それぞれにより、個性の異なる多彩な味が展開されるのが、ホンジュラスコーヒーの魅力だ。

pasoは坂ノ下店として2022年にオープン。

「浅煎りの酸味が苦手で……」

そんな不安を抱く人も心配はいらない。研鑽(けんさん)を積んだバリスタは、自らを“案内人”と称し、気軽にコーヒー選びを手伝ってくれる。

「こだわりを押しつけるのではなく、お客さまの好みや興味に合わせる。新しい選択肢への入口を示すにとどめています」

そう語るのは“案内人”の1人である山田航平さん。コーヒー初心者を情報過多にして迷わせないというやさしい配慮だ。お客にとっては、簡単なやりとりを通して自分の好みを言語化するきっかけにもなる。

コーヒーをドリップする山田さん
コーヒーをドリップする山田さん

「僕自身もオーナーとともに3年連続でホンジュラスを訪れています。生産者の方々の努力は、僕らの想像を超えている」

消費国からは見えない、真摯(しんし)な努力の結晶。その一杯のおいしさが多くの人に伝わり、継続して選ばれていく。それこそが、生産者への何よりも確かな還元になるという。

コーヒーとスイーツを味わいながら、心地よい空間をゆっくりと見渡す。柔らかな酸味と甘みが口中に広がる。バスクチーズケーキの内部の、プリンのような食感にも楽しい驚きがある。

スイーツの一番人気はバスクチーズケーキ
スイーツの一番人気はバスクチーズケーキ

pasoでは、抽出したコーヒーをフラスコとカップのセットで提供する。目盛りもロゴもない完全な透明ガラスのフラスコを選んだのは、焙煎の深さによって変わる液体の色をそのまま視覚に届けるため。カウンター席に座れば、そのガラスの表面に、庭の紫陽花(あじさい)の色や、梅の梢(こずえ)の影が映り込むのが見える。

開業前は雑草が茂っていた庭も、美しく手入れされている
開業前は雑草が茂っていた庭も、美しく手入れされている

引き算のリノベーション

コーヒーにも空間にも共通するのは、素材そのものを信じるという理念である。

かつて高齢の女性が一人で暮らしていたという、築年数不詳の広い平屋。リノベーションの際には、足すのではなく、引くことに重きが置かれた。

増改築で張り重ねられたプリント合板などの新建材を全て取り除き、隠れていた梁(はり)や小屋組を呼び起こす。柱には丁寧に洗いをかけ、雨どいには竹を使う。職人の手仕事と地元の自然素材によって、建物に本来の呼吸が戻ってきた。

手間暇かけて磨き上げた柱と土壁に囲まれた空間
手間暇かけて磨き上げた柱と土壁に囲まれた空間

重要なのは、単なる機能性やデザイン性ではない。「なぜそれを選ぶのか」という本質を問う視線だ。

pasoのスタッフが自ら手がけたカフェの空間デザインも、その視線の延長線上にある。庭の四季を愛でるシンプルな木製のカウンターとベンチ。靴を脱いでくつろげる小上がり。

畳敷きの小上がりでゆっくりくつろげる
畳敷きの小上がりでゆっくりくつろげる

スタッフの朝一番の仕事は、ギシギシときしむ雨戸を開けることだという。彼らはその音さえも、古民家ならではの朝の気配として楽しんでいるのだ。

コーヒーを巡る時間

山田さんは海のあるこの街で暮らし、サーフィンに親しんでいる。朝、海に入ってから出勤する日もある。

「コーヒーもサーフィンも、生活に不可欠ではありません。でも、それがあることで一日の質がまるで違ってくる。自然の恩恵に触れる。その日その日の表情の違いを感じる。僕の毎日にはそういう楽しみが染み込んでいます」

一杯のコーヒーがもたらすのは、香りや味だけではない。朝の海に身を委ねるような静けさが、せわしない歩調を緩め、心の奥に潜む“素の自分”をそっと浮かび上がらせてくれる。

店名はスペイン語で「歩み」「歩調」を意味するそうだ。pasoへの細い路地を歩きながら、人々は鎌倉の海に抱かれた町のゆるやかな歩調になじんでいく。そしてホンジュラスのコーヒーの世界に一歩踏み出し、まだ知らなかった魅力に出会う。

pasoが案内するのは、コーヒーを巡るそんな時間でもあるのだろう。

paso by 27 COFFEE ROASTERS

  • 住所:神奈川県鎌倉市坂ノ下22-6
  • 営業時間:午前9時〜午後5時(ラストオーダー午後4時30分)
  • 定休日:火曜日
  • アクセス:江ノ電「長谷」駅より徒歩6分
  • 公式サイト:https://27coffee.jp/

取材・文・写真=川口葉子

バナー写真:松や梅の木を眺めながらコーヒーを楽しめる窓辺

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