昭和の気配をとどめる家:独創的なメニューと下町流のもてなしにくつろぐ「のんびりや」(東京・谷中)
食 建築 歴史 旅 文化- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
築百年を超える昭和の空間
歴史ある寺院が点在し、多くの観光客を引き付ける谷中の路地で、印象的な一軒家に出会った。店先にはバス停を模した看板があり、古本の入った箱の後ろに酒瓶が並んでいる。興味をそそられて引き戸に手をかけると、そこには昭和の匂いの立ち込める空間があった。
自然光の差す土間はテーブル席。小上がりの座敷には、ちゃぶ台と座布団。旧式のステレオやブラウン管のテレビが並び、「お茶の間」や「家族団らん」という、今ではすっかり使用頻度が減った言葉が思い浮かぶ。
あまりにも昭和の密度が濃いゆえに、趣味で集めたレトロな品々の博物館かと勘違いしそうになるが、この空間にあるすべてが本物だった。テレビやちゃぶ台などは、かつてここで暮らした一家が残したもの。コーヒーとクレームブリュレを注文して楽しみに待ちながら、店主の「もしゃ」さんに話を聞いた。
下町の記憶を保存する、元文房具店
「散ポタカフェのんびりや」は、下町の100年の生活文化を記憶するアルバムのような存在だ。木造2階建ての家は1919年築で、戦後は小学校そばの文房具店として地域の人々に親しまれた。やがて空き家となり、小規模店が日替わりで営業するシェアスペースなどとして利用された後、2016年に、もしゃさん夫婦がカフェをオープンした。
自身もこの界隈で生まれ、子ども時代を過ごしたもしゃさん。築100年を超えた建物を手入れしながら、この家で過ごした歴代の人々の気配と、谷中に根づいた暮らしの魅力を伝えている。
往年の姿を維持するため、大規模なリノベーションは行わず、「古民家特有の細い水道管を交換したり、最近では風通しを良くして、湿気がたまらないように改修したり」と、少しずつ補修を重ねてきた。
地下には戦時中の防空壕(ごう)が眠っているそうだ。床は入居当時すでにコンクリートが敷かれていたが、のんびりやはコンクリートを打ち直して段差をなくし、杖をついた人や妊婦さんも安心して過ごせるようにした。
モノクロームのアルバムをめくって
建物に残されていたモノクロ写真のアルバムも、もしゃさんは大切に保管している。
「ここで暮らしていた一家の父親は、当時、日本各地で開催されていた民謡コンテストの司会者として活躍し、全国を回っていたようです。旅芸人のような格好をした写真も混じっているので、役者を兼ねて舞台に立つことがあったのかもしれません。その間、母親が店を切り盛りして、家族の日常を守っていました」

壁に掛かった時計は近年まで動いていた。その下に家主が並んで座った時代もあった

かつて「たばこ」も商っていた店先に、今はカフェののれんが掛かる
もしゃさんはそれぞれの写真に写った街角の風景を現在の谷中と照らし合わせて、「◯◯寺」などと簡単なメモを挟んでいた。会ったこともない人々と当時の街の面影を、ここまで丁寧にたどっていることに心が動いた。
スイーツと名物料理の魅力
このカフェの魅力は、もちろん古民家空間だけではない。クレームブリュレは開店当初からの定番。もしゃさんは若い頃にフランス映画『アメリ』に心奪われ、自分がカフェを開いたら、主人公の好物であるこのスイーツを必ずメニューに加えようと決めていたそう。パリッとした香ばしいカラメルを割るとなめらかなカスタードが現れ、口に運べば甘く崩れる。
コーヒー豆は、もしゃさんがかつて働いていた豊島区駒込の自家焙煎カフェ「百塔(ひゃくとう)珈琲」などから仕入れている。寒い季節に体を温めてくれるチャイは、レッドチリ、スターアニス、クローブを効かせ、隠し味に柚子(ゆず)を加えたオリジナル。たっぷり使ったジンジャーの風味がアクセントだ。

ジンジャーの香るチャイと、自家製のゴマ団子、農家直送の干しブドウ
料理には小さな楽しい驚きが潜んでいる。はたして「オムライス黒」とは何だろうか?上にのった卵をスプーンでふわりと開いた瞬間、真っ黒なライスが顔をのぞかせる。シーフードを具材にした、旨みたっぷりのイカスミライスだ。ランチにぜひ!
夕方からはバルタイム。人気の「スーパーマリオフライ」の中身は大きなマッシュルームだ。「キノコでパワーアップ!」とは遊び心のあるメニュー名だが、訪日観光客もすぐにピンとくるそう。自家製タルタルソースとの相性が最高で、ビールやワインも進む一品。
アルバムの新しい余白に
道ゆく見知った顔にひと声かける習慣、はしご酒やコーヒーホッピング(喫茶店巡り)をしながら路地と小さなお店を楽しむ流儀 ──下町に根づいてきた無形の文化を、のんびりやはさりげなくお客に伝えている。ここは谷中の街のコンシェルジュとしての役割も果たすのだ。

店名は「散歩」と“自転車などで気ままに町を巡る”を意味する和製英語「ポタリング」から
「日々のやりとりを通して、自分たちが美しいなと思う食文化や、ちょっとしたご近所づきあいで相手を思いやる日常の習慣を残していきたい」ともしゃさんは語る。
のんびりやのアルバムは、日々、見えない厚みを増している。引き戸を開けたお客も、その写真に体温を残す参加者なのだ。100年前から続く物語に、今日もまた新たなページが加わる。
散ポタカフェ のんびりや
- 住所:東京都台東区谷中5-2-29
- 営業時間:午前11時30分~午後3時、午後6時~午後11時(土日祝は午前11時~午後11時の通し営業)
- 定休日:水・木曜日
- アクセス:JR「日暮里」駅より徒歩8分
- 公式サイト:https://nonbiriya.jp/ ※支払いは現金のみ
取材・文・写真=川口葉子
バナー写真:正面から見た「のんびりや」



