400年の旧家が蔵を再生:本を片手に洗練された一杯と時間旅行「板橋ととと」(東京・小豆沢)
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超高層ビルが林立する日本経済の中心地・大手町駅から都営三田線に乗って23分で、大正時代へ。志村坂上駅から住宅街を5分ほど歩くと、四つ角で急に視界が開け、長い塀が現れる。緑の樹木に囲まれたその内部にあるのは、江戸時代から続く名主の屋敷だ。切り妻屋根のかかった薬医門に、地名の小豆沢にちなんだ小豆色ののれんが揺れている。

薬医門は本柱の後ろで控えの柱が屋根を支える様式。建築技術も見どころ
この門は約半世紀にわたり閉ざされたままだったが、大がかりなリノベーションを経て再び開かれ、多くの人を迎え入れている。2025年11月29日に誕生した、書店とカフェを含む美しい複合施設「板橋ととと」は、来訪者をタイムトラベルの物語に誘う。
大正時代の蔵を改修して
重厚な薬医門をくぐり、すぐ右手に位置する黒漆喰(しっくい)の建物の引き戸を開けよう。そこは「東ノ蔵」と呼ばれる大正時代の納屋蔵。カフェ「apollon」と、「タイムトラベル専門書店 utouto」が入居し、一つの空間を共有している。
足を踏み入れれば、視線は自然と上方へ導かれる。2階の床を抜き天井を取り払った吹き抜けに、高窓から陽光が射し込み、歳月を重ねたケヤキの梁(はり)を中心とした力強い骨組みを浮かび上がらせている。
圧倒されたまま視線を下ろせば、かつて屋敷で使われていた古い箪笥(たんす)など調度品の数々が、そこかしこで客人を静かに待ち受けている。
マンションにするか、残すか──20代目姉弟の決断
「カフェの奥にあるライティングデスクは、18代目だった祖父のものです」
そう語るのは、屋敷を相続した20代当主の姉、蓮沼由紀さん。由紀さんと、夫の勝呂(すぐろ)晃さんの案内で蔵を眺める。
由紀さんの伯父に当たる19代が亡くなった後、関係者の間では「誰も住まなくなった屋敷や蔵を取り壊してマンションにする」という、経済的に極めて合理的な選択肢が現実味を帯びていたそうだ。
しかし由紀さんは、ほこりをかぶった蔵の整理を進めるうちに、自身のルーツと対峙(たいじ)することになる。「400年間のご先祖さまのうち、どの人が欠けても自分は存在しなかった」──その深い感慨が、敷地の保存へと舵(かじ)を切らせた。
先代は、国語教師として多忙な生活を送り、薬医門を50年間閉じたまま通用門を使用していたという。
「この門をもう一度開き、代々のご先祖が地域貢献に尽力したように、プライベートな場所から開かれた場所へと戻して、地域に恩返しができればと思いました」
その熱意が、当主をはじめとした関係者を動かしたのだ。
眠っていた古文書が語り始めた、知られざる歴史
蔵からは農機具や生活用品、明治時代の衣服、大正時代の卒業写真のほか、地域のおみこしや、完璧な保存状態の龍吐水(江戸から明治にかけて使われた消火用の手押しポンプ)など貴重な品が次々に現れた。その中には、数千点に上る古文書もあった。
蓮沼家の当主が代々、小豆沢村の名主として書き残してきた、土地管理や行政に関わる記録の数々。それらは現在、板橋区立郷土資料館に寄贈されている。学芸員は「これまで不明だった歴史の空白を埋める大発見」と評価し、解読と研究を進めているそうだ。いわば、地域史のミッシングリンク。

壁に掛かるウェルカムボードには、この蔵の古い鍵もオブジェとして飾られている
カフェ「apollon」でコーヒーと焼き菓子を
かけがえのない蔵の改修にあたり、設計・施工はきよたけ建築工房が手がけた。デザインはサステナブルな空間づくりに定評のある乃村工藝社が担当。オリジナル家具に埼玉県・飯能市の西川材を用い、そのかんなくずも樹脂で固めてテーブル天板として活用している。
そんな舞台に共鳴して入居した2つの専門店は、心踊る刺激で非日常感を高めてくれる。
カフェ「apollon」のカウンターには、スペシャルティコーヒーと、その風味を引き立てる自家製焼き菓子が並ぶ。
代表の福原永斗さんは、カフェ文化の成熟したオーストラリア・メルボルンでバリスタの技術を身につけ、北区王子に本店を構えている。ここ、板橋とととでも、フルーティーな浅煎りのコーヒー豆を3種類用意。甘さを控えた焼き菓子とのペアリングが楽しめる。
明治期の風格ある桐箪笥の扉がはめ込まれたカウンターで、ドリンクを注文したら、器にも注目を。香りを鼻先に集めるためにワイングラスと同じ形状に設計された有田焼のワイニーマグ、福原さんの原点であるオセアニアスタイルのラテグラスなど、いずれも単なるデザイン性の追求ではなく、「スペシャルティコーヒーの新しい体験」を提供するための要素なのだ。
初めてこの蔵を訪れたとき、「東京にこんな場所があるのかと衝撃を受けた」という福原さん。
「取り壊すのは簡単だが残していくのは難しいだろうから、そこをコーヒーでお手伝いできるなら面白そうだ、と感じて参画を決めました」
時空の裂け目から現れた「タイムトラベル専門書店 utouto」
もう1店は、時間旅行関連の書物に特化したセレクトが魅力的な「タイムトラベル専門書店 utouto」。書籍や文房具が陳列されているのは、かつて蓮沼家で使っていた棚や大正・昭和期の桐箪笥、足付きのステレオセットだ。本の物語と家具が持つ記憶が共振する。
自身も文筆家である店主の藤岡みなみさんは、「門をくぐった瞬間の、時代が切り替わるような空気は唯一無二です。板橋とととは、土地の物語を大切にし、人と人をつなぎたいというオーナーさんの思いがあふれる施設」と語る。
タイムトラベル作品は、「わくわくするだけでなく自分の身にも起こりそうな気がするのが魅力」と藤岡さん。おすすめはケン・グリムウッドの『リプレイ』(新潮文庫)。いわゆるタイムループもので、お店で一番売れているという。
「時間旅行を現実のものにしたいとずっと思っていました。この空間では、持ち主のストーリーが宿る建物やアンティーク家具に囲まれながら、本や文具や絵をゆっくり選んでいただけたらと思います。タイムトラベラーの皆様のお越しをお待ちしております」
400年の記憶・未来・人を、「と」でつなぐ
学校図書館の司書でもある蓮沼由紀さんは、本と古建築の共通点をこう語る。
「どちらにも物語があります。本には言葉によるストーリーがあり、古いものには文字にならないストーリーが宿っているんです」
屋敷から現れた品々に刻まれた時間の痕跡を読み解き、次代へ伝えること。それが由紀さん自身の新たな物語となっていくのだろう。
2026年春には敷地内の「西ノ蔵」をレンタルスペースとして整備し、将来的には母屋や土蔵を含む全体を活用する構想があるそうだ。由紀さんと勝呂さんは、毎朝時間をかけて庭や墓所を清め、敷地内のお稲荷さんや武蔵御嶽山などの社を祀(まつ)る。名主として地域の祭礼や富士講(富士山信仰)を支えた先祖の営みを、形を変えてささやかに復活させているのだ。
「コーヒーを飲みながら天井や庭を眺め、ただ黙ってこの空間に浸っているご夫婦を見かけました。皆さまにそういう時間を楽しんでいただけたら」
板橋とととは、時の流れを過去から未来へ、あるいはその逆へと自由に行き来する装置だ。一杯のコーヒー、そして一冊の本。それらを手に取る私たちもまた、ここではつかの間のタイムトラベラーとなるのだ。
板橋ととと
- 住所:東京都板橋区小豆沢 2-23-4
- 営業時間:午前10時~午後5時
- 定休日:火・水曜日
- アクセス:都営三田線「志村坂上」駅より徒歩5分
- 公式サイト:https://itabashitototo.com/
取材・文・写真=川口葉子
バナー写真:「板橋ととと」の正門







