『ありす、宇宙までも』 子供の力が未来を変える-生きづらさ抱える少女の挑戦
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宇宙飛行士目指す「セミリンガル」
宇宙開発の主役は、長らく男性だった。2019年に米国の航空宇宙局(NASA)が中心となって発表した「アルテミス計画」は、月面に初の女性飛行士を立たせることを一つの目標としている。本作は、そんな流れも取り入れた新しい本格宇宙マンガである。
物語は、日本人女性初のISS(国際宇宙ステーション)船長(コマンダー)に選ばれた朝日田(あさひだ)ありすが、記者会見に臨むシーンから始まる。ありすは、自分の人生を変えた「ある同級生」のことを語り始める。
小学生の頃、ちょっと“天然”のありすは、誰からもかわいいと言われる人気者だった。しかし、両親が交通事故で他界し、祖母に育てられているありすは、人に見せない鬱屈(うっくつ)を抱えていた。日本人なのに日本語がたどたどしい。自分の感情をうまく言葉にできない。その理由がわからないまま、「生まれ変わって、やり直せたらいいのに」とまで思い詰めていた。
その謎を解いたのは、秀才だがひねくれ者の犬星類(いぬぼしるい)。ありすが「セミリンガル」と呼ばれる状態であることを見抜く。ありすの両親は、娘に早期多言語教育を施していた。それが突然中断したため、すべての言語習得が中途半端になってしまったのだ。この犬星こそが「ある同級生」であり、夢を目指すため、ありすと2人だけの勉強会を始める。教え上手の犬星の手腕で、ありすの世界はどんどん広がり、諦めていた宇宙飛行士への道が現実になっていく。
人気作に「挑む」宇宙マンガ
77年前、日本の戦後マンガ史は「宇宙」から始まった─。やや大ざっぱな物言いだが、あながち外れていないと思う。手塚治虫『ロスト・ワールド』の刊行は1948年のこと。47年の『新宝島』の方が有名だが、手塚のSF志向、ストーリーテラーとしての原点はこちらにあると思う。この作品は、ロケットで地球から異星に行く話なのだ。日本初の本格SFマンガと言える。
その後も、『銀河鉄道999』の松本零士、『2001夜物語』の星野之宣、『コブラ』の寺沢武一らの活躍もあって、宇宙ものはSFマンガの一大ジャンルであり続ける。90年代に日本人宇宙飛行士が誕生し始めると、宇宙はぐっと身近な舞台になってくる。宇宙飛行士が現実の職業になったのだ。宇宙マンガにもリアリズムが要求されるようになり、幸村誠の『プラネテス』(1999年)などの秀作が登場した。このあたりが、宇宙マンガにとって大きな分岐点と言えよう。
このジャンルの到達点が、2007年からスタートした小山宙哉の『宇宙兄弟』(講談社、既刊45巻)であることは衆目の一致するところだろう。現在も連載が続く大長編であり、これ以後、宇宙飛行士ものは描きにくくなった感さえある。
『ありす、宇宙までも』の連載開始は24年。リアル宇宙ものとして久々の新作であり、『宇宙兄弟』に真っ向勝負を挑む形となっているのも興味深い。
「親ガチャ」という諦めを憎む
ところが驚くべきことに、本作の発想は、もともと宇宙ものではなかったという。今年3月27日の「マンガ大賞」の授賞式で、著者が率直に明かしていた。
「男女で勉強を一緒にして、絆を育み、困難に打ち勝つという物語が先にありました。『なにか大きな目標を作ってほしい』と編集部に言われたので、宇宙飛行士は後から作りました。第1話(の原型)については、内容はほとんど同じですけど、最初宇宙の要素はなかったんです」
私もその場にいて、思わずうなった一人だ。と同時に、本作の新しさが鮮明になったとも感じた。
本作で最も印象的なセリフが、「子供は、自分の力で未来を変えることができる」という、第1巻で犬星がありすに語る言葉だ。

主人公の朝日田ありすは、秀才少年の犬星に「子供は自分の力で未来を変えることができる」と促され、夢に向かって歩む。『ありす、宇宙までも』第1巻の場面©︎売野機子/小学館
犬星は、今流行の「親ガチャ」という言葉を憎んでいる。生まれた家の環境や経済状態によって自分の将来が決まってしまう。そんな子供の諦めを、彼は絶対に許せないのだ。事故で両親を失ったありすと同様、犬星もまた、両親が里親であることが第4巻で明らかになる。
「(大人の力を借りず)全部子供の力でやってやろうという犬星の考えは、ありすにとっては悪の誘いかもしれない。でもそれは、子供時代の自分を勇気づけるような部分もある。それはデビュー時から一貫していると思います」
著者の2009年のデビュー作『薔薇(ばら)だって書けるよ』は、人とちょっと感覚が違うため、“当たり前”の日常生活が送れない妻と、それを支えようとする夫の話で、ありすと犬星の関係を彷彿(ほうふつ)とさせる。売野さん自身、勉強は大好きだったが、ありすと同じ年代の頃、学業の道を絶たれるつらい事情があったと明かし、「それが心残りなのかもしれない」と漏らす。いろいろな意味で、著者渾身(こんしん)の作であることが伝わってきた。
「どこまでも遠い所に行ける」
ありすが陥った、どの言語も母語のレベルに達しないセミリンガル、あるいはダブルリミテッドという状態は、帰国子女や在日外国人の子供たちに多いと言われる。日本で働く外国人が急増するにつれ、学校現場でも日本語の授業についていけない子供の増加が社会問題化している。日本全国の公立学校で、日本語指導が必要な子供は、日本人を含め7万人に達するという。ありすのような悩みを抱える子供は、決して珍しくないということだ。そしてそれは、適切な教育をすれば、乗り越えられる可能性が高いのである。
著者に聞いてみた。「勉強が大事だと思う理由はなんですか?」
「どこまでも遠いところに行けるから、だと思っています」
ありすが宇宙を目指すのは、ここからもっとも遠い場所だから。そのための翼が「学ぶこと」なのだ。現代社会は、子供の夢を奪う事象に事欠かない。しかし、親ガチャの完全否定も含めて、『ありす、宇宙までも』には、子供たちに勇気を与えるエールが詰まっていると言えるだろう。

書店員らが選ぶ「マンガ大賞2025」で大賞となり、昨年の受賞者の泥ノ田犬彦さん(右)から記念品を受け取る『ありす、宇宙までも』の著者、売野機子さん(共同)
くしくも先日、『宇宙兄弟』が、来年刊行の第46巻で完結を迎えることが告知された。あくまで偶然だろうが、「世代交代」という言葉が頭に浮かんだのも確かだ。日本の宇宙マンガの歴史は、再び大きく変わろうとしているのかもしれない。(敬称略)
バナー写真:「マンガ大賞」に選ばれた『ありす、宇宙までも』1~3巻©︎売野機子/小学館