『ひらやすみ』が映す「休む」という生き方:歩幅緩めて見える幸福とは
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平屋舞台に人生交錯
物語の舞台は「平屋」。1階ワンフロアで階段が無い、日本式の開放的な家屋だ。タイトルの『ひらやすみ』は、この“平屋に住む”という意味と、“平穏な休み”の意味を重ねたようにも見える。
主人公は29歳のフリーター・ヒロト。お年寄りからよく話しかけられるといった人当たりの良い性格で、近所のおばあちゃん・はなえとは、週2回一緒にごはんを食べるなど仲良くしていた。ある日、彼女が心筋梗塞(こうそく)で亡くなり、ヒロトは、はなえが暮らしていた東京・阿佐ヶ谷の「平屋」を譲り受ける。そこに山形から上京した従姉妹(いとこ)・なつみがやってきて、物語は始まる
ヒロトは俳優の道を諦めてアルバイトをしながら毎日が夏休みのような生活を送る。一方、ヒロトとは対照的に休みなく働く人が数多く登場し、読者はそのたびに「休む」ことの意味を考えることになる。
例えば、ヒロトの親友・ヒデキは、高級インテリアを扱う会社で定職を得て、同僚の嫌みに耐えながら働いている。結婚し子どももいて、立派な車もある。何もかも手に入れた人生に見えるが、仕事のストレスから心を壊しかけ自殺願望まで芽生える。
そんなヒデキを救ったのは、定職もなく、妻も子どももいないヒロトだ。ヒロトはヒデキに冷たくされても見捨てず、寄り添った。なぜなら、5年前、ヒロトが競争に疲れて役者の夢を諦めた時、ヒデキがこう言ってくれたからだ。
「オレはお前が俳優とか関係なく大事で いつでも気楽に会えりゃそれでいい」
社会的な地位や肩書にとらわれがちな世の中で、こう思ってくれる人が1人でもいたなら、人生が意味のあるものに思えてくるだろう。2人の友情からは、幸せについて地位やお金、名誉だけでは満たされないものがあると気付かされる。
お気楽なヒロトだが、このままでいいのか悩むこともある。定職につき、やりたいことを見つけ、努力をする必要があるのではないかと。だが、ヒデキはまたこう語る。
「お前は今のままでも、最高なんだよ。」
競争社会で疲れた読者の心を救う金言が本作には詰まっているのだ。
マンガに表れる仕事観
働けば働くほど豊かになると皆が信じていた時代=バブル経済の崩壊を経た平成の中後期(2000~2010年代)、時代はよりシビアな実力社会に突入した。時代を反映してか、主人公らが確かな実力を身につけ、一流を目指していくマンガが人気を博した。そうした中で女性が躍進する物語も多く登場した。
例えば、安野モヨコの『働きマン』(04年)や槇村さとるの『Real Clothes』(06年)はキャリアウーマンが活躍する。また、自らの腕一本で道を切り開くクリエイティブな職の作品も目立ち、中でも、大場つぐみ原作、小畑健作画に よる『バクマン。』(08年)、東村アキコの『かくかくしかじか』(12年)など、マンガ家を目指し切磋琢磨(せっさたくま)するマンガ家を描いた名作もたびたび話題になった。
共通するのは、仕事に対するひたむきさと誠実さ。それが人生の道を切り開くと教えてくれた。当時、そんな作品の主人公らの姿に励まされた読者は多いだろう。しかし一方で、努力しても結果につながらず、報われない現実に疲れた人もいたはずだ。
昭和の時代は「安定した仕事につき、結婚して子どもを産むこと」が一般的な幸せの形だったが、平成はその価値観を引きずりながらも「好きなことをして生きる自己実現の追求」をする生き方が若者中心に支持された。
「自己実現の追及」により、何者かにならなければならない、何かを成し遂げなければならない、と気負った人もいたはずだ。だが、いざ大人になってみたら、自分の理想とかけ離れた人生を送っている人もいるだろう。
平成の終盤から令和に入った今、休むことをテーマにした作品が徐々に増えている。それは、昭和と平成の「幸せ」や「自己実現」についていけない自分に気が付いた人が多かったからかもしれない。例えば、コナリミサトの『凪のお暇』(16年)、水凪トリの『幸せは食べて寝て待て』(20年)など、大きな夢よりもささやかな日常や人とのつながりで幸せを見出す作品だ。『ひらやすみ』もそうした潮流のひとつだ。
厚生労働省の毎月勤労統計によると日本人の1人あたりの年平均労働時間は1990年から2024年の間に2割減り1643時間となった。政府提唱の「働き方改革」などを経て、「働きバチ」と揶揄(やゆ)された価値観は過去のものとなり、ゆっくり休むことにも価値を置く社会に様変わりしている。休むことをテーマにしたマンガの人気も、こうした日本社会の風潮を反映しているはずだ。
作品の魅力に加え、時代性を得た本作は、雑誌TVブロスのコミックアワード2021大賞、26年1月発表の小学館漫画賞を受賞した。欧州最大のポップカルチャーの祭典「ルッカコミックス&ゲームズ2024年」で最優秀連載コミック賞を受賞した際、審査員は「画と脚本の両方において、ゆったりとしたテンポと落ち着いたトーンが何よりも特徴的な作品だ」と紹介している。
休暇から生まれた物語
本作の誕生について、作者は短編集『センチメンタル無反応』収録の「悪性リンパ腫で入院したときのこと」に描いている。新型コロナウイルスが拡大し出した頃、病院での抗がん剤治療中に構想を練ったそうだ。病は寛解したようだが、「休む」をテーマにした本作には、当時、休まざるを得なかった作者の実感がこもる。私たちもコロナ禍でさまざまなことが一変し、当たり前にあったものが一瞬で無くなる無常観を味わった。そうした経験があったからこそ、『ひらやすみ』の登場人物に共感し、彼らの人生を見守りたいと思う読者が多いのかもしれない。
作品は2023年10~12月に休載。当時、作者はSNSで休載につい「『ひらやすみ』がこれから夏休みを描いていくんですが その夏を徹底的に悔いが残らないように描きたい!というのが率直な理由です」と説明した。休むからこそ、良いものが描ける、生み出せるという作者の思いがにじむメッセージだ。
夢を巡る対照的な2人
一方、軸となる登場人物の2人、ヒロトとなつみは「夢」を巡って対照的な立ち位置にいる。ヒロトは役者の夢を諦めた人、なつみは現役の美大生でマンガ家を志望し、デビューを目指し夢半ばにいる。なつみの姿は、かつてのヒロトと二重写しだ。
並行する2人の人生に、読者は夢とはいったい何かを考えるだろう。夢を持つのは悪いことではない。なつみのように目標によって日々に張り合いができ、人生が輝くこともあるだろう。
しかし、同時に読者はヒロトの姿を見て学ぶはずだ。夢のために心がすり減り、自分を無くすくらいなら、休んでいいし、やめてもいいと。そのことで人生は台無しにはならないし、30歳を過ぎたとしても、青春は何度でもやってくる。
彼らの夢と人生はどう続いていくのか。目が離せない。
夕飯の匂い、中央線沿線の空気感
『ひらやすみ』が魅力的なのは、時代に合ったテーマ性だけではない。作中でたびたび登場するおいしそうな“おうちごはん”の描写もたまらない。阿佐ヶ谷を中心に描かれる東京・JR中央線沿線沿いの街の雰囲気も驚くほどリアルで、絶妙なのだ。あの周辺特有の夢追い人の街の雰囲気、サブカルチャーの空気感が見事に再現され、作品の哀愁につながっている。
夕暮れの帰り道、漂ってくる食事の匂いや、オレンジ色に灯る台所の窓から漏れ聞こえる夕飯時の喧騒……。読後は大切な人が待つ家に帰りたくなるような、そんな切ない気持ちになり、せわしなく歩んできたその歩幅を緩めることで、見えてくる幸せがあると教えてくれる。
バナー写真:『ひらやすみ』1、2、9巻の表紙 ©真造圭伍/小学館

