【書評】改革・開放で酒文化は熟成したか:藤井省三著『魯迅と紹興酒 お酒で読み解く現代中国文化史』
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一杯一杯復た一杯は「白酒」から「紅酒」へ
中国国家統計局が1月21日に発表した2018年の国内総生産(GDP)は名目で90兆309億元(約1440兆円)に達した。米国に次ぐ世界第2の経済大国であり、3位の日本の2.6倍の規模だ。
1952年東京生まれの著者が中国に留学したのは、改革・開放が本格始動した1979年。本書で「中国のGDPが1980年の約3,000億USドルから2018年の14兆USドルへと46倍も急増したように、中国人の暮らしは大変貌を遂げています」と記しているが、飲酒も例外ではない。
著者は北京の地酒で清香型白酒の「二鍋頭(アルクオトウ)」をことのほか愛している。しかし、中国では度数が40~60度と高く、“烈酒”ともいわれる白酒の消費は大きく減少している。半面、醸造酒で比較的度数の低いワインや紹興酒、ビールなどが伸びている。
中国でも経済発展と酒のアルコール度は反比例するという仮説が成り立つのかもしれない。盛唐の詩人、李白はかつて「一杯一杯復(ま)た一杯」と詠ったが、北京や上海での宴席では最近、白酒よりも「紅酒(赤ワイン)」で乾杯することが多い。
反腐敗運動で“公宴”の脱アルコール化
「公費による宴席風景の変化は、2013年1月より突然、全国一斉に始まった(中略)。この変化を脱アルコール化と呼ぶことにしたい」
習近平氏は2012年11月の中国共産党大会で序列1位の総書記に選出され、国家主席にも就く過程で反腐敗運動を発動した。これに伴い、著者が“公宴”と名付けた公費による宴席に極端な自粛ムードが広がり、高価な白酒などが円卓から姿を消したのである。
もっとも、そこは中国。「“上有政策、下有対策(上に政策あれば、下に対策あり)”ということわざがあるように、この酒宴禁止政策に対しても、まもなく良い対策が編み出された。それは客側によるお酒の持込である」と著者は付け加える。
『孔乙己』の舞台で熱い紹興酒を嗜む
著者は作家、魯迅(1881~1936年)の研究では第一人者である。「魯迅と紹興酒」をめぐる分析やエピソードは読み応えがある。
魯迅の弟、周作人は「酒量は少なかった」と回想している。著者は「中国革命の父である毛沢東が魯迅を『中国の第一等の聖人』と偶像化したため、儒教の聖人である孔子に替わって、魯迅は社会主義中国における聖人となった。これは毛沢東による魯迅の政治的利用であったが、ほどほどの中庸を守った飲みっぷりは、お手本として大いに学ぶべきであろう」。日本にも「二合半(こなから)」という言い方があるが、著者は魯迅を酒の師としても仰いでいるのだろう。
魯迅の短編小説『孔乙己(コンイーチー)』について、著者は小説に出てくる居酒屋「咸亨(シエンホン)酒店」はかつて魯迅の実家近くに実在したと指摘、1995年末、紹興に再建された咸亨酒店を訪ね「錫のお燗瓶入りの熱い紹興酒も注文できた」と思い出を綴る。
因みに紹興酒で有名な「咸亨酒店」は東京・神田神保町にもある。看板の文字は紹興の店と同じ書家の直筆だという。北京の東四北大街には「孔乙己酒店」があり、年代物の紹興酒だけでなく小説で主人公の孔乙己がつまんだ茴香豆(ホイシアントウ)もメニューにある。
芥川龍之介、「革命の聖地」訪問の秘話も
本書は北京、上海、地方、香港・台湾、世界の5篇から成る。著者は世界中の中国語圏各地を訪ねただけに、秘話やエピソードも豊富だ。土地勘のある読者なら、なおさら臨場感をもって追体験できる。
上海のメイン・ストリート、淮海(ホワイヘイ)中路のすぐ南にある「新天地」。外資系レストランなどが密集する再開発地域で、入り口付近に毛沢東の蝋人形も展示している記念館がある。中国共産党が1921年7月23日に第1回党大会を開いた建物だ。
本書によると、芥川龍之介は同年6月、現在の新天地にあった社会主義者、李人傑(リー・レンチエ)の自宅を訪ねた。この建物こそ、2カ月後に第1回党大会の会場になった「革命の聖地」だった。