【書評】まだ知らぬ沖縄へ:藤井誠二著『沖縄アンダーグラウンド』

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21世紀を迎えようとする頃まで、沖縄にはいくつも売春街があった。米兵や観光客で賑わったそれらの街は、いつ、そしてなぜ生まれたのか。丹念な取材によって、知られざる歴史や交錯する人々の感情が浮かび上がる。

「特飲街」という言葉がある。
いまではほとんど聞かないが、「特殊飲食店街」の略称で、公然と売春を行う店が立ち並ぶ地域を指す。
戦後は、日本中の都市に無数にあったという。

1957年の売春防止法の成立によって特飲街は次々とその姿を消していったが、沖縄には最近まで存在していた。しかもひとつではなく、いくつも。
その事実を知っている人が、どれくらいいるだろうか。

「沖縄の別の顔」を見に

今から30年ほど前のある夜、「社会派ライター」として仕事を始めたばかりの著者は、那覇市内でタクシーを拾う。
初めての沖縄に興奮し、ひめゆりの塔に行き、読谷村で鎮魂の彫刻を見たと語る著者に、40を過ぎたばかりのドライバーは言った。
「じゃあ、沖縄の別の顔も見せてあげましょうか」

そして連れて行かれたのが、宜野湾市の特飲街「真栄原新町(まえはらしんまち)」だ。
タクシーを降りた著者の目に映った光景は、沖縄の明るいイメージとはずいぶん違う。

「街路灯や家々の玄関灯ぐらいしか明かりがないひっそりとした住宅地をタクシーで200〜300メートル進むと、妖しい光を放つ空間が忽然とあらわれた。(中略)季節は夏の盛りをすぎてはいたが、そこにいるだけで汗をかき、ときおり吹くぬるい風が頬をなでた」

「薄暗い照明の店に普段着のまま佇む女性。胸を大きくはだけて上目づかいで合図を送ってくる女性。男から声をかけられるまで椅子に腰掛けて文庫本を読みふける女性。道行く男たちと視線を一瞬だけ交錯させる女性。ねっとりと視線を絡ませてきて、媚態をあらわにする女性……」

「アッシーくん」や「おやじギャル」という言葉が流行し、アニメ「ちびまる子ちゃん」の主題歌「おどるポンポコリン」が大ヒット。東京では扇子とボディコン、お立ち台で有名になる「ジュリアナ東京」がオープンしようとしている時代の話だ。

当時、女性たちが体を売る値段は15分で5000円。
ここに、いわゆる「本番」までが含まれている。

この日を境に著者は沖縄県内の特飲街をいくつも歩き、そこで生きる人々の話を聞くようになる。自然と話は特飲街の生い立ちに及び、沖縄という、日本とアメリカに翻弄され続けた土地がはらむ、様々な事情が浮かび上がってくる。

 「こうあるべき」という考えを押し付けることなく、足を使って丁寧に証言を集め、資料をめくり、ときには英語の論文まであたって書かれた本作は読みごたえ十分だ。
単純な「沖縄の売春街のルポ」だと思って開くと、しっぺ返しを食う。

性の防波堤として作られた街

戦後の沖縄は、地上戦で多くの命が失われたことによる困窮だけでなく、占領した米軍による犯罪にも苦しめられ続けた。強盗や交通事故だけではない。何より人々が怖れたのが、米兵によるレイプだった。

彼らは農作業をする女性を山へ連れ込み、子どもを背負った女性を畑に押し倒し、深夜の民家に侵入して若い娘を犯した。入院中の病院で、父親の前でレイプされた女性もいる。わかっている限り、もっとも幼い被害者は6歳だ。

「まさに占領米軍は、『レイプの軍隊』と言っていいほどのありさまだった」
過去の新聞記事を読んだ著者は、そう嘆く。

一方で、米兵が持つドルが沖縄の経済を潤したのもまた事実だった。
ドル紙幣を湯水のように使う米兵目当てに夜の街へと集まる日本女性も少なくなかったし、「Aサインバー」と呼ばれた米軍公認の飲食店を経営し、短期間で財をなした人も大勢いる。

そんな混沌とした社会から住民を守ろうと、地元の有志や売春業者、公安委員までが一体となって考え出したのが真栄原新町だった。
自然発生的に生まれたのではなく、住宅地から離れた場所に、米兵を相手に売春する街を作ったのだ。

戦後間もない頃には、県内の警察署長会議で米軍慰安施設建設についての議論も行われていたという。
そうやって真栄原新町の他にも沖縄中部の吉原、コザの八重島(県内最大の特飲街だった)や照屋など沖縄各地に特飲街が作られ、戦争で夫を失って子どもや親を抱えて生き抜かねばならない女性たちの稼ぎ場所となっていった。

「子どもが学校に入学するまでには足を洗いたい」
「家族のためにはいつまでも犠牲になろう」
「固定収入のある男なら多少程度は悪くても結婚したい」
1954年に琉球政府が調査した、売春女性たちの声である。

本書でたびたび使われる、「性の防波堤」という言葉は重い。
米兵によるレイプから、多くの女性を守るという大義。
家族を養うために、働かねばならない数多くの女性。
ベトナム戦争が始まり、ますます金遣いが荒くなっていく米兵。
そして「ハーニー」と呼ばれた彼らの日本の恋人たち。
読んでいるうちに、沖縄という場所にとって何が正しい選択なのかわからなくなってくる。

「沖縄の恥部」に対する浄化運動

それから数十年、特飲街そのものもずいぶん変わっていった。
街に立つ県内出身の女性は減り、北海道や大阪から借金を背負って連れてこられた女性が増えたし、客も米兵よりも本土からの観光客が中心になった。
ヤクザが絡んだ人身売買のようなケースもある。

「沖縄の恥部」と政治家や女性解放運動家たちから名指しで批判された真栄原新町は、官民一体となった「浄化運動」の結果、2011年にはほぼすべての店舗が廃業し、ゴーストタウンになった。他の特飲街も同様だ。

かつてこの街で体を売っていた女性のなかには、「浄化」によって職を失い、生活保護を受けて暮らしている人も少なくないという。

ある女性は、なぜ著者のインタビューを受けてくれたのかと聞かれ、「沖縄にこういう街があったことを記録しておいてほしいから」と答えた。

1960年頃からコザなどで売春して暮らしてきた女性は、取材は拒否したものの、手書きのメモに「生きてくために売春することの何が悪いかと思ってました」と記して渡した。

真栄原で生まれ、借金返済のために1990年代から真栄原新町で働いた女性は、街の生い立ちについてはほとんど知らなかった。
「もう、身体や心が麻痺するような感覚なんです。ロボットになった感じで数をこなすしかなかった」

そしてアメリカ空軍兵士を父に持ち、特飲街の八重島で育ったミュージシャンの宮永英一は、著者にこう話している。
「街がなくなるのは自然の流れとしか言いようがない。ただ、売春をして稼いできた女性たちこそが、戦後の沖縄を支えてきたということをしっかりと認識しないといけない」

私自身、沖縄が好きだ。
親しい友人家族が住んでいることもあり、数年に一度は訪れている。
だが特飲街の歴史については知らなかった。
きっとまた近いうちに沖縄行きの飛行機に乗る日が来るが、その時はこれまでとは少し違った気持ちで空港に降りるような気がする。

沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち

藤井 誠二(著)
発行:講談社
四六版 354ページ
初版発行日:2018年9月6日
ISBN:978-4-06-512827-5

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