【書評】人生100年時代の「家族の履歴書」:吉行和子著『そしていま、一人になった』

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父は戦前の作家、美容師の母はNHK朝ドラのヒロイン、兄と妹はともに芥川賞作家。本書は自らの人生と家族との絆を綴った明治から平成に至る「家族の履歴書」でもある。人生100年時代、病や介護も織り交ぜた物語が紡ぎ出される。

今年84歳の女優「病気が私をつくってくれた」

女優、吉行和子は今年8月で84歳になる。「仕事をしているときがいちばん楽しい。役に扮して過ごしているときがいちばん心地いい」。天職に恵まれ、ドラマチックな人生を歩んだ。

母と新劇を観たことが契機となり、18歳で劇団民藝の研究所に入った。22歳のとき「アンネの日記」でデビューした。民藝を33歳で退団、フリーとなって様々な役を演じ続けた。映画の「愛の亡霊」(大島渚監督)と「東京家族」(山田洋次監督)では日本アカデミー賞優秀主演女優賞。傘寿を過ぎても現役である。

「しぶとく長生きしている」。しかし、「子どもの頃から数えきれないくらいの病気をした。何度も、もう駄目かと思った」。2歳で小児喘息を発症、悪魔が入り込んだような発作に苦しめられた。発作を一時的に抑える注射器を衣装に隠し持って舞台に臨んだこともある。

持病の喘息は52歳のとき「鍼治療でピタリと止まり、以後発作は一度も出ていない」。その後も体調を崩すことはあったが、「病気が私をつくってくれた。まずは我慢強くなった。この世界に長くいられたのも、その我慢強さのおかげだ」。息長く活躍する女優の強さは、病気との闘いの裏返しでもあった。

早世の父エイスケ、享年107歳の母あぐり

「栄助と付けられた字を嫌い、勝手に片仮名に変えた」父、吉行エイスケは1906年(明治39年)岡山県生まれ。「大変な不良で、困り果てた親は結婚でもしたら落ち着くだろうと、近所で知り合いの娘をもらうことにした」。

結婚は1923年(大正12年)春。エイスケが16歳、お相手の松本安久利(あぐり)は15歳だった。二人はやがて東京で居を構える。

ダダイズムの影響を受けた早熟な文学青年エイスケは詩人であり、新興芸術派の作家でもあった。戦前、中国を訪れた作家としては芥川龍之介や横光利一らが有名だが、実はエイスケも1930年代、魔都と呼ばれた上海に長期間滞在した。

「上海が、極東にをけるニユーヨーク、となる日は遠い將來のことではない」。エイスケは著書『新しき上海のプライヴェート』(1932年)でこう予言していた。

エイスケは家を空けることも多かったという。「面白いことばかりして、三十四歳、戦争のはじまる前に心臓発作であっけなく死んでしまった」。1940年(昭和15年)7月8日のことだ。当時、妻のあぐりは32歳、長男の淳之介は16歳、長女の和子は4歳、そして次女の理恵は1歳だった。

NHK連続テレビ小説「あぐり」のモデルとなった母は、人生100年時代を先取りしただけではない。働く女性の走りであり、98歳まで現役の美容師だった。天寿を全うし、2015年(平成27年)1月5日に107歳で亡くなった。座右の銘は「身老未心老(身は老いても心は老いず)」。

最後まで頭はしっかりしていたが、骨折を繰り返し、99歳からは歩けなくなった。本書では介護生活の大変さも率直に語られるが、本人はまさに「身老未心老」を貫いた。その様子を著者は「頑張って、頑張って、自分を律して生きた」と讃えている。

明治から平成まで「関東大震災、第二次世界大戦、その前の戦争、コレラ、スペイン風邪の流行で姉二人と父を亡くし、おまけに父の死後、母親は騙されて財産を失い、十五歳のときに嫁に出され、破天荒なエイスケに付き合わされ、パーマネントもなかった頃から美容師の家に住み込みで修業してと、波乱万丈のエピソードにはこと欠かない」のが1世紀を超えるあぐりの人生だ。

両親と兄淳之介、妹理恵へのレクイエム

11歳上の兄、淳之介は作家。4歳違いの妹、理恵は詩人で作家。兄は「驟雨」で第31回、妹は「小さな貴婦人」で第85回の芥川賞をそれぞれ受賞した。二人とも鬼籍に入っている。母あぐりにとっては「逆縁」となってしまった。

母と淳之介は17歳しか違わない。淳之介が肝臓がんのため1994年(平成6年)に70歳で亡くなったとき、母は「棺に寄り添い、一生懸命に話しかけていた」という。その悲しみを『母・あぐりの淳への手紙』と題して出版、「私より早くいなくなるなんて、私は涙がとまりません」と嘆いた。

理恵は甲状腺がんで2006年、66歳の生涯に幕を閉じた。98歳だったあぐりは自ら『吉行理恵レクイエム「青い部屋」』を編集した。その本のはじめで「理恵すみませんでした。母親はいつも子供によりそって、いろいろ世話をする人と理恵は思っていましたのに、私はまったく違いました」と追悼した。

母の三周忌を経て上梓した本書は亡き家族へのレクイエムであり、明治から平成に至る上質なファミリー・ストーリーでもある。秘話や写真も盛りだくさん。発行日が平成最後の日付になっていることも象徴的だ。

「わが家の連中は話し合うことがほとんどなかった。だからそれぞれが書いたものであとから知ることが多い」。著者はこう記すが、行間から両親と兄、妹への深い愛情や絆が伝わってくる。日本エッセイスト・クラブ賞の受賞者であり、俳人でもある著者の筆致は小気味よく、ウイットに富む。

母や妹、女優仲間の岸田今日子、冨士眞奈美らとの海外旅行の思い出話も興味深い。93歳の母の「エイスケさんが過ごしていたという、上海の街を見てみたい」との希望で実現した親子旅では、かつて日本人が住んでいた一角を訪れた。場所は特定できなかったものの、「泰山木の大きな樹が入口にあり、うまい具合に葉っぱが一枚ヒラヒラと落ちてきた」。母は「この木も昔からあったんでしょうね」とつぶやき、葉っぱを自分のポシェットに入れたという。

戦争の体験者、人生の残り時間を楽しむ

「冬薔薇(ふゆそうび)昔兵隊だった人」

著者の俳号は窓烏(まどがらす)。本書には随所に自作が出てくるが、この句は戦争の体験を踏まえている。「火が目の前まできたことはあった。私は八歳、妹は四歳だった」と空襲にも見舞われた。死体を見て、夢に出てきたこともある。

著者は、令和になって公開された新作映画「雪子さんの足音」(浜野佐知監督)の主役を演じている。映画では雪子さんともう一人の老女が登場し、転がった死体を見たり、臭いを嗅いだりと、女性の視点で戦争を語る場面がある。

本書でも「戦争に行くのだけは金輪際あってはならない」と訴えているが、何も反戦の書というわけではない。戦争を知っている世代が「家族のことをきちんと書こう」との思いでまとめた“終活の書”でもある。以前、こんな句も詠んだ。

「コーヒーに少しの未来冬木立」

人生の残り時間を楽しむにはどうしたらいいか。著者は極力ものを持たない。「もし家が火事になったとき、あれが焼けてしまったと悲しむようなものは身の周りには置かないと決めている」著者は、こう自分に言い聞かせる。

 「思い出だけが残り、ものはないのが楽でいいと、ちょっと痩せ我慢ではあるが、これでよし、と納得しよう」

そしていま、一人になった

吉行 和子(著)
発行:ホーム社
発行日:2019年4月30日
四六版 260ページ
ISBN:978-4-8342-5329-0

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