【書評】胎児、その未知なるもの:最相葉月、増﨑英明著『胎児のはなし』

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胎児はお腹の中で、おしっこしているのかな?感情はあるの?陣痛ってどうやって始まるの? 胎児にまつわる「へーっ」や「すごーい」が詰まった1冊。読んだあとは、妊娠や出産を見る目が変わること間違いなし!

数年前、長男を出産したときの感想は、たった一言「なんだこれは!」だった。それまで30数年。いろいろな経験をしてきたつもりだったが、妊娠から出産は、そんな知ったかぶりを完全に打ち砕いた。

自分の身体のなかで、人間を育てる。
長い妊娠期間は、いわば「母親養成ギブス」。ひたすら「つわり いつ終わる」と検索していた妊娠初期や、真夏の空の下、ビールを横目で見ながらガリガリ君をかじっていた安定期を経て、子どもが誕生する頃にはなんとなく母親の自覚めいたものが芽生えていた。

内側から身体を蹴られる感覚にも慣れ、「早く出てこないかな」と楽しみになっていたのだから、ギブスは効果抜群だ。

しかし、自分から別の人間が出てくる出産というできごとは異次元だった。

「生まれたよ!」と、頼りがいのある助産師さんが胸の上に置いた我が子は、当たり前ではあるが、“人間”の姿をしていた。
しわしわの指、小さい爪、尖った唇、ぎゅっと閉じられた瞳。そのどれもがミニチュアのようでありながら、しっかり人のパーツの形をしている。ほんのちょっと前まで、自分の胎内にいて繋がっていたとは信じられない。

まだしびれているような脳から出てきたのが、「なんだこれは!」だった。

「もーう、いい質問しますよねえ」

本書を読むと、妊娠や出産で感じた「なんだこれは!」のひとつひとつが愛おしく思えてくる。

受精卵として着床し、細胞分裂をはじめ、人間の形になってくる胎児。
子宮の中でぎゅうっと体を丸め、手の指や足の指をしゃぶっている胎児。
誰がプログラムしたのか、生まれてくるまでの精緻な仕組みはいまだに謎だらけなのだという。

産婦人科医として40年間胎児を研究してきた増﨑英明先生に、ノンフィクション作家の最相葉月さんが尋ねる形で本書は進む。最相さんの質問の力は強い。
増﨑先生は唸る。

「もーう、いい質問しますよねえ」
「考えもつかなかったなあ」
「サイショーさん、絶対、産婦人科の研究者になれますよ」

産婦人科医にとって当たり前のことも、最相さんには、そして読者には当然ではない。そこから、「へーっ!!」とつい口に出てしまうような、不思議な話がどんどん飛び出してくる。これが猛烈におもしろい。

胎児はおしっこしているのか?
…増﨑先生は10時間胎児を観察し、だいたい60分に一度、胎児がおしっこすることを発見した。「そろそろおしっこするぞーっていうのがわかるんです。(中略)それで、ぴゅーって。ははははは」

どうして胎児のおしっこで子宮はいっぱいにならないのか?
…自分のおしっこを飲んでいるから!ちなみに胎児はうんちはしない。

胎児に表情はある?
…30週よりもっと後からは、間違いなく泣いている時がある。しかし理由は不明。笑顔に見えるのは筋肉の収縮の可能性が高い。

へその緒から、胎児の血は逆流しないのか?
…母親の体内には、胎児のDNAが入っている。胎児のDNAの半分は父親由来なので、つまり、妊娠以降の妻の体には夫のDNAが存在する!

私の体内に、夫のDNAが入っているなんて。そしてその媒介者は、息子だなんて。
子はかすがいというが、子どもによってリアルに繋げられているとは思わなかった。

そして、胎児についてはわからないことが山ほど残っていることも、本を読むうちにわかってくる。

なぜ胎児は頭が下なのか?
なぜ決まって3000g前後で生まれてくるのか?
(高地のペルーで日本人が出産すると、小さい赤ちゃんが生まれるらしい!)
どうして陣痛は起きるのか?

それぞれに仮説はあるが、いずれも、はっきりと解明はされていない。

これほど胎児を研究してきた増﨑先生が、「胎児、未知なるものなんです」と語る。
AIやIoTなど、すさまじいスピードでイノベーションが生まれている現代でも、胎児についてはこれほど多くのことがわからないままとは、胎児って、なんておもしろいんだろう!

それであなたはどう考えるのか?

本書の魅力はもうひとつ、ノンフィクション作家が聞き手であるということだ。読者が「知りたい」話題をぐっと捉え、そこから増﨑先生を逃さない。

たとえば生殖医療について。
「倫理は医療の一番難しい部分です。だから正直、NIPT(母体血を用いた新型の出生前診断)の話はしたくないんです」
そう口ごもる増﨑先生を、最相さんは追いかける。
「やっぱりNIPTにふれざるをえないです」
読者としては、ありがたい。

比較的正解がはっきり存在するサイエンスの世界で、妊娠や出産をめぐる問いには、明確な答えがない。
最先端の生殖医療を論じ、AID(非配偶者間人工授精)や養子縁組について話す2人の対話を読んでいると、「それで、あなたはどう考えるのか」と聞かれている気分になる。

すーっと軽く読めるのに、深く考える瞬間が訪れる。
そして自分の考えに気づき、はっとなる。不思議な本だ。

それにしても、出産の前にこの本を読んでいたら、と後悔した。
増﨑先生の観察によると、赤ちゃんは生まれてからほぼ80分、まばたきせず、黒目も動かさずにずーっと目を開けているらしい。
そんな、まさか。見ておけばよかった。

次の出産では必ずこの事実を確かめるのだ、と私はいま心に決めている。

胎児のはなし

最相葉月、増﨑英明(著)
発行:ミシマ社
四六版:320ページ
初版発行日:2019年1月29日
ISBN:978-4-909394-17-0

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