【書評】分断された日本の中国論に橋をかける:高口康太編著『中国S級B級論』

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中国をどう見るかはとても難しい。中国崩壊論もあれば、中国礼賛論も見かける最近の日本における中国論マーケットだが、S級とB級が混在する中国の複雑な事情を知ることで、中国理解はもっと容易になるのではないだろうか。

超一流と二流が同居する中国

本書のタイトル「中国S級B級論」には、ちょっとした仕掛けがある。このタイトルをみて、すぐにピンとくる人は多くないはずだ。だが、このタイトルの意味さえしっかり理解すれば、本書の意図するところは、ほとんど伝わる。

S級とB級は超一流と二流(あるいは三流)ということ。いまの中国にはS級の部分とB級の部分が同居しており、その間に巨大な落差がある。日本はS級でもなくB級でもなく、均質的なA級(いちおう一流としておく)社会なので、中国のその落差が体感的に理解しにくい。

だから、日本の対中観は、大まかにいえば、下から目線の「中国すごい論」と、上から目線の「中国ダメだ論」の2つのイメージに分かれてしまう。本書の編著者であるジャーナリストの高口康太は「(中国にS級とB級の)どちらでもあるが正解」と指摘する。すごい論とダメだ論のどちらも間違いではないのだが、どちらもなんとなくしっくりこないのはそのためだ。

国によって発展の道は決して同じではない。日本は割とスムーズにB級からA級にステップアップし、S級になろうかというところでバブル崩壊、金融やITの世界的な競争にも乗り遅れ、少子高齢化を迎えて成長は打ち止めとなった。

しかし、中国は、B級からS級への一気のジャンプを果たそうとしているようにも見える。それは、カエルがぴょんぴょんと石を跳び越えていくことに例えて、リープフロッグ(かえる跳び)現象と呼ばれるという。例えば、中国社会は固定電話からスマホへ、ではなく、固定電話もないところにいきなりスマホ社会が普及した。QRコードを用いたキャッシュレスの決済システムの普及もクレジットカード普及より先に進んだ。個人的にも、「いいね」と広告によってブログの文章で数千万円を稼げるビジネスモデルを確立した中国は、安い原稿料に苦しんでいる私たち日本の書き手にとっても、S級の理想世界に見えるときがある。

だが、すべてがS級かといえばそうではない。まだまだ「後進性」を感じさせる部分は多々ある。つまり、S級もあれば、B級もあって、中国はまだら色なのである。「先進国・中国」と「発展途上国・中国」の両面の情報が錯綜し、立場(つまり持ち上げたいか、ディスりたいか)によって、描かれる様相がガラッと変わってしまうのだ。

そんな両極端の中国論のギャップをなんとか接着させ、分断された両極端の中国論にブリッジをかけようという試みが、5人の中国通の書き手による本書の要点である。

「途上国かつイノベーティブで大国」な中国

中国はもともと大国ではあるが、経済は強くなく、日本など欧米の支援抜きには成り立たなかった。だから中国経済は、いってみれば、マイナーなB級領域であった。

しかしながら、いまや中国経済は日本に追いつき追い越し、世界で二番目の経済大国となってしまった。規模だけではなく、個人の経済力も相当ついてきており、特に都市部の富裕層や中間層と言われる人たちの余剰購買力は目を見張るものがある。昨今の爆買い現象は日本人が中国経済の実力に刮目するきっかけになった。

中国と日本の両社会に軸足を置いて観察を続けている中国アナリストの田中信彦が本書で紹介する中国不動産のエピソードは衝撃的だ。もともと中国では都市部のいい立地の場所に質素な公営住宅がたくさん建っていた。お金がなくて土地しか人民にあげられない中国政府は、1990年代にタダ同然でこうした公営住宅を払い下げたのだが、それが土地高騰によって数千万、数億円の高額資産に化けているという。

日本でも地価高騰はあったが、そのスピードとレベルが違う。膨大な中流以下の一般市民が途端に土地長者になったわけで、日本で爆買いを楽しむ中国の人々の「余裕ぶり」には、こんな背景もあるのだと納得させられると同時に、「中国の富裕層=ごくごく一部の成功者」という思い込みは、そろそろ脱却すべき時であると気づかされる。

中国のITネタに知悉しているジャーナリスト、山谷剛史が紹介するように、中国はもともと海賊版スマホ『山寨手機」天国であったが、シャオミのように、その海賊版のノウハウを生かして高スペックで品質もよく、外見はアイフォンそっくりだがOSはアンドロイドのS級携帯を売り出して業界を驚かせたような企業も出てきている。これなどもB級からS級への飛躍的ジャンプの一例だ。

そんな時代なので、中国認識も新しいチャレンジを迎えている。昨今の日本メディアでは中国南部の都市・深圳を取り上げる記事がブームになっているが、それまで深圳といえば、漢字で書くことすら苦労していたのに、いまやITの聖地ということで誰もが一度は行ってみたい場所にアップグレードした。本書の執筆者の一人で、深圳のIT生態系に詳しい東京大学准教授の伊藤亜聖は「途上国かつイノベーティブで大国」な中国と、我々はどう向き合うべきかという問題設定を提示し、読者に新思考を迫っている。

中国政治分析は逆にB級化

実は、本書の筆者の方々が、最も「かえる跳び」を実感しているのではないだろうか。中国経済というテーマはいまや日本社会の誰もが注目するS級テーマになっているように見える。トランプ米大統領が発動した米中貿易戦争が駄目押しだった。それまで知る人ぞ、知る、という企業だったファーウェイが、米国のバッシングによって、知名度的には完全にS級企業へ一気に昇格しているのがいい例だろう。

こうした中国経済分析のB級からS級へのステップアップとは対照的に、私としては、中国政治分析が最近、S級からA級へ、あるいはB級化しているところが気になっている。

朝日新聞の国際報道畑で長年中国語使いの末席として働いていた経験からすると、中国政治を書くことは誰にでもできることではなく、あの怪しげで奥の見えない中南海の情報を、さも見てきたかのようにストーリーとして書き上げる中国通の先輩記者たちは、紛れもなく、社内外から尊敬を集めるS級クラスの記者だった。

しかしながら、彼らが唱えてきた「いつか中国は民主化する」「改革開放で豊かになった中国は民度が上がって共産党も無視できなくなる」「インターネットの登場で中国はいつか開かれた情報空間が生まれる」といった期待は一向に実現することはなく、昨今の情勢をみると、共産党の独裁性はむしろさらに進み、政治改革への期待は幻想と化している。

権力構図においても習近平総書記の一人勝ち状態で後継者の名前も思い浮かばない状況にある。政局記事の意味が薄れてしまい中国政治というテーマは、国際ニュースのなかでもはや過去のような花形ではなくなりつつあるのが現実である。

本書の唯一の政治パーツを書いている水彩画という一風変わったペンネームの筆者は、業界ではよく知られた中国政治ウオッチャーで、民間の研究者として丁寧に公式情報を追いかけ、普段からその分析には学ぶところが多々ある。その彼が「(いま2期目の習近平は)3期どころか、まさかの4期連続で総書記に居座る可能性も現実味を帯びてくる」と記しているところを読むと、希望の乏しさが感じられて切なくなる。

最近は「天安門事件を弾圧したからいまの中国の発展がある」といった奇怪な意見を中国人が本気で語るようになり、どう反論すべきか呆然と立ち尽くす思いだ。

中国政治は、一党独裁を堅持して民主化に応じず、ノーベル平和賞を受賞した劉暁波を獄死させ、人権活動家を捕まえまくり、言論人を弾圧している。だが、その中国のやり方がいつしか世界でS級スタンダード視される日が来たらどうなるのだろうか。これはあながち冗談とは言えない。いまや世界最先端の呼び声も高い中国のウエブ管理方式を学びたいという国が世界にちらほら現れているという。各国で強権的な政治の復活も顕著だ。最近の香港の抗議デモにも中国政治の強権が影を落としている。いまのような中国政治がS級と評される世の中にならないことを、心から祈りたい。

中国S級B級論

高口康太編著
発行:さくら舎
四六版:248ページ
初版発行日:2019年5月12日
ISBN:978-4-86581-196-4

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