【書評】ゴミにまつわる深くあたたかい物語:滝沢秀一、滝沢友紀『ゴミ清掃員の日常』

Books 社会 暮らし 環境・自然 家族・家庭

35歳を過ぎた売れない芸人が見つけてきた、ゴミ清掃員というアルバイト。飛び込んだ先に待ち受けていたのは、信頼できる仲間と送るプロフェッショナルな日々。ふとゴミを捨てる手がはっと止まる、読みごたえ十分なコミックエッセイ。

お笑い芸人兼ゴミ清掃員の著者によるコミックエッセイだ。
そもそもこんなユーモラスな肩書を持つ人は日本でひとりしかいないだろうが、この本がまた、抜群におもしろい。

まず、ゴミについて自分がいかに無知だったかを思い知らされる。

たとえば使い終わったシャンプーボトルを、何ゴミとして捨てればいいのか。
可燃ゴミか不燃ゴミか、またはプラスチックか、ペットボトルか……。
正解は、「きれいに洗っていたらプラスチックとして資源ゴミ。汚れが残っていたら可燃ゴミに」。
せっかく資源ゴミとして出しても、汚れていたら捨てられてしまうのだとか。

では、ペットボトルを捨てる時、キャップやラベルを外すのはなぜか。
本体はペットボトルとしてリサイクルできるが、キャップはプラスチックだから。
ラベルやフタがついたまま捨てられたペットボトルは、そのままでは再生できない。
ペットボトル工場と呼ばれる場所で、ゴミ清掃員の人がひとつひとつ手作業ではがしているのだという。

軽い気持ちでポンとゴミ箱に放り込んだペットボトルの先に、まさかここまで人の手を介した作業が待ちうけていたとは、予想もしていなかった。

清掃車の中でカップラーメン

他にも「ねえ、知ってる?」と人に教えたくなるような話や、「すみませんでした」とついうつむきたくなってしまうようなエピソードが満載だ。しかもいずれも、(たいていはこちらが間違っているのに!)ゴミの捨て方について上から説教するのではなく、時にはクスリと笑ってしまうようなオチとともに読者の前に現れてくる。

持ち上げる際に薄いゴミ袋が破け、天に向かって叫ぶおじいちゃん清掃員。
車にゴミを積んで、清掃車を追いかけてくる夫婦。
ガンと闘いながら、死ぬ間際までゴミ清掃員として働き続けた先輩。
ペットボトルに混じって、なぜか資源ゴミとして出されたブラジャー。
走行中の清掃車の中で、こぼさずカップラーメンを食べる方法。

著者の目を通すと、眉をひそめたくなるような場面も、じんわり暖かくちょっぴりおかしい話に変わる。それはきっと、ゴミ清掃員という仕事に対する愛情とプライドが、1コマ1コマから溢れているからだろう。

たかがゴミ、されどゴミ。
生後のおむつに始まり、生まれてから1日たりともゴミを出さなかった日はないはずだが、まさかゴミの奥にはこんなにおもしろく、優しく、そしてディープな世界が広がっていたとは……!

「あしたはどっち? ゴミ?らいぶ?」

合間にはさみこまれる家族の話も効いている。

息子に「あしたはどっち? ゴミ?らいぶ?」と聞かれたり、清掃員を始めてから、賞味期限が切れてゴミになるのを避けようと冷蔵庫チェックを始めたり。しかも結婚記念日が5月30日(=ゴミゼロ)だなんて、こんなできすぎた話あるだろうか。
さすがお笑い芸人だ。

金欠の話も、奥さんの産後うつの話も、描き方によってはヘビーになるが、著者は気負うことなくさらりと語っている。だからこそ、「日常をとにかく楽しく繰り返して生きていこうと思っている」という結びの言葉が響く。
ちなみに漫画は奥さんが描いているが、プロの漫画家ではないらしい。

この本を読んで、ゴミの捨て方が変わった。
「ちょっとくらい」という悪魔のささやきに耳を貸すことなく、いいゴミ出しをしたくなる。ペットボトルは洗う。シャンプーのボトルも洗う。ホッカイロは不燃ゴミ、CDは可燃ゴミへ。
小さいビニール袋をいくつも出す時は、結んでおくと清掃員の人の腰にやさしいようだ。

そしてもうひとつ。
朝、駅に向かう道すがらすれ違うゴミ清掃車を見るまなざしも、そこにきびきびとゴミ袋を投げ入れていくゴミ清掃員を見るまなざしも、読む前と今とでは確実に違っている。

ゴミ清掃員の日常

滝沢 秀一(原作)、滝沢 友紀(漫画)
発行:講談社
A5版:128ページ
初版発行日:2019年5月30日
ISBN:978-4-06-515672-8

ごみ ペットボトル 清掃員 不燃ごみ