【書評】社会部記者が見た金融事件簿:奥山俊宏・村山治著「バブル経済事件の深層」

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著者は朝日新聞社社会部の二人の著名な事件記者である。著書は特捜検察(特捜部、法務省、検察庁)との関係が深い記者がバブル経済崩壊時に起きた4つの経済事件を取り上げ、事件当時の特捜検察の動きと関係者の証言を克明に記録し、当事者の事後談取材を加えた迫真のルポである。

刑事裁判となった事件は決着をみるまで長期の時間を要する。それを追うには相当な根気が求められる。裁判を傍聴し、丹念に裁判記録を丁寧に拾う粘りは、社会部記者ならではのものだ。そして何よりも人間描写の迫力と緊張感が全編に行き渡っている。

事件は、①大阪の料亭の女将である尾上縫の詐欺罪による逮捕と興銀の関与②信用組合理事長でもあった実業家、高橋治則の背任罪(信組の不正融資)と日本長期信用銀行(長銀)によるリゾート開発会社EIEインターナショナルへの関与③大和銀行ニューヨーク支店における損失事件と米国からの追放④日本債券信用銀行(日債銀)の有価証券報告書虚偽記載(関連ノンバンク融資の引当不足)による証券取引法(現金融商品取引法)違反事件-である。それぞれの事件に銀行経営者が深く関与し、バブル時代の計算度外視の狂乱の雰囲気の中で、過剰融資に走り、そして回収に失敗していった模様が活写される。

字数の関係もあるので、まず尾上事件をかいつまんで紹介したい。ここでは日本興業銀行(興銀)の異様な接近が詳細に語られる。興銀難波支店長の突然の来訪をきっかけに尾上と興銀との間で頻繁に交わされた金融債の買い増しとそれを担保にした融資の急増は、いま振り返っても常識からかけ離れている。株式取引で銀行や証券会社にいいようにカモにされていた尾上は、1989年の1年間に驚くことに1兆1975億円もの融資を受け、6821億円を返済し、270億円の利息を払っていた。このうち興銀グループの融資は2400億円に上る。

日本の銀行取引で一個人に対してこれほど巨額の融資が行われたことはない。空前絶後である。しかも当の尾上には金融知識、株式の知識がほとんどなかったという。神がかりとなった尾上の託宣で取引が実行されていたことを証券会社と銀行は知っていた。市場を知らない株式売買に利益が出るはずもなく、資金繰りに困った尾上は東洋信用金庫職員に偽造預金証書を作らせ、それを担保に融資を引き出す。その果てに東洋信用金庫は、破綻へと転がり落ちていく。

事件後の銀行や証券会社の弁明は空疎であり、尾上自身の事後談は他人事のように超越し、鬼気迫るものがある。気味悪がって誰も手を出さなかった尾上の店はしばらく処分されなかったが、尾上が神がかりとなり信心した石像たちが高野山に運ばれて、ようやく落着を見る。筆者はある関係者から「妙な雰囲気の尾上」という証言を引き出している。誰も尾上の人物を理解できなかったことが綴られていく。後味は不気味ですらある。

高橋事件でも、尾上と同じように「常人ではなかった高橋」の得体の知れなさが紹介される。EIEのリゾート開発を鵜呑みにした長銀もまた、高橋を理解できなかったのである。特異な人物に翻弄され、留まることができなかった銀行の悲喜劇でもある。

大和事件では、藤田彬頭取(当時)の理解しがたい「思考停止」の2週間が描かれる。そして、日債銀事件では窪田弘元会長・頭取が判決を受ける時の法廷での様子を描写した場面が印象深い。裁判官が「日債銀発の金融恐慌を招来するのではないかと考え、そのような事態の発生を危惧するあまり本件犯行に及んだ」と犯行の動機を認定した時、筆者は窪田氏が「それまで伏せていた眼差しを冷たくして裁判長席に向けた」瞬間を見逃さなかった。

金融恐慌を回避することが犯罪の動機?そのような犯罪が存在するのか。金融恐慌という深刻な事態を軽々しく口にする裁判官の理不尽。それに対する憤りを内包した抗議の視線を筆者は感じ取ったのである。強引な理屈付けである。国策捜査とは得てしてこうした不条理な局面を作り出す。

特捜検察と大蔵省の対立の図式もこの著書の読みどころである。両権力の蜜月関係が冷えた瞬間を描いた場面はドラマチックである。メディアはこの並立する権力の衝突から多くのおこぼれの情報を得ている。著書にはその知られざるリークが随所に出てくる。日債銀の不良債権額のリークもその一つ。評者もバブル時代のリーク資料を持っているが、それだけ情報が溢れ、戦いが激しかったことを表している。この著書がなかなか明らかにされない権力対権力の戦いの物語として仕上がったのは、ひとえに筆者の取材源の深さによるものである。

バブル経済事件の深層

奥山 俊宏、村山 治著
発行:岩波書店
新書版:308ページ
初版発行日:2019年4月19日
ISBN:978‐4‐00‐431774‐6

金融危機 バブル崩壊 長銀破綻